見出し画像

5年前に書いた、アロマと私が出逢うまでの体験記③入院と緊急手術

2000年に起きたことを2018年に書いて、2023年に振り返っている、続きです。

3、入院と緊急手術

翌日は、経過観察。

検査で原因を探ろうとしてくれる先生たちに会う合間に、点滴に繋がれたままよろよろとトイレとベッドを行ったり来たりしていた。体が重い。何よりトイレの度に激痛が走り、膀胱炎になった友達の話を思い出して、「膀胱炎なのかなあ…」とも考えた。
原因が分かりそうで分からないモヤモヤした時間。病院にいて、母が傍にいるということが、唯一の安心材料だった。

午後になり、お見舞いに来てくれた友人に笑顔を無理やり見せたけど、その場にいた私の限界を誰もが気づいていて、会話をあまりすることなく、母は友人にまた来てねと伝えたらしい。友人は帰り道、私の状態を見て帰り道に泣いたよと、後に話してくれた。

あの頃の私は、自分が痛みで苦しみつらいときでさえ、へらへらとしていたのだ。

今思えばピエロみたいだなと、懐かしく思い出す私の人へのやさしさや気づかいは、完全に間違っていた。

その日の夕方のことだった。

高熱から目を覚まして、からからの体にポカリスエットを入れた時。くちびるから、口の中、食道、胃にじゅわ~っと流れていくのを感じたとたんに、激痛がやって来た。

色んな科で丁寧に調べてもらった私が車いすに乗せられて、最後に辿り着いたところは婦人科だった。原因が卵巣と卵管にあることがすぐにわかって、手術することになった。

高熱のせいか何かの感情がわく余裕もなく、準備の為にまた来た道を帰る時、大きな看護婦さんが押してくれていた車いすが止まった。そこには新生児室があって、産まれたばかりの赤ちゃんたちが並んですやすや眠っていて、「ほら!あなたも、あんな可愛い赤ちゃんを産むんだよ~!!」と大きな声で元気に声をかけてくれて、涙がでた。

思えば生理が始まったころくらいから、時々不調があって、高校受験が激しい生理痛重なって脂汗をかきながら受けた時は、人生の中でもまあまあな辛い時間だった。

20代になってまさかこんなことになるとは。私って赤ちゃん産めないのかな?ドラマで見たことのある風景を自分が体験するとは、本当に人生何があるのか分からない。

その後、準備が進み、あっという間に手術室の入り口にいた。

普段は超心配性のくせに、母は笑顔で「大丈夫だからね」と強く優しく言った(泣くのを我慢してたらしい)。高熱の体に、ひんやりと冷たい麻酔が体内に入って、看護婦さんが「10、数えてください」と穏やかに言う。

「1、にぃー、さん…」で、記憶がなくなった。

その時、夢を見た。

最初は自然の中にいた景色を眺めて「きれいだなあ」と思っていたら、次に、お見舞いに来てくれたメンバー含む、仲の良い5人の友だちと大学の教室でくだらない話をしている景色が現れた。その穏やかさに「日常はこんなに素晴らしいものだったのか。戻りたいな。」と静かに思った。

朝になっていて目が覚めた。
父が、朝日に照らされ、私が目が覚めるのを待っていてくれた。一人で、東京の電車を乗り継いで来てくれたんだ…とだけ思って、麻酔が効いていた私は、また目を閉じた。

ばかものだった私は、自分の体の声(直感や勘というの)を無視し続け、見事おおばかものへと格上げになってしまった。

そんな私をぎりぎりの、本当にぎりぎりのところで様々なタイミングが奇跡的にぴったりと揃い、家族や沢山の人たちの行動や祈りによって、命を救ってもらった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?