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【本屋の奥さん】

駒込に住んでいた頃、近くにあった行きつけの本屋の奥さんと懇意になった。歳は今風に言うとアラフォー後半といったところだ。小さな本屋さんで奥さん1人が切り盛りしていた。奥さんには息子さんと2人の娘さんがいるのだが御主人はいない。理由は知らない。

その日も、何か面白そうな本がないものだろうかと、そこに立ち寄った。

「こんにちは!ちょっと本見せて下さいね~」

「あら~いらっしゃい!今日はバイト休みなの?こんな時間に来るなんて珍しいわねぇ。彼女とデートにでも行きゃいいのに~」

奥さんが声を掛けてくる。

「はははっ!貧乏人の僕なんかに彼女なんかいませんよ」

「あらっ、女はお金だけじゃないわよ。〇〇クン、若いしモテるでしょ?」

「いえいえ、とんでもない」

「またまたぁ、そんなことないでしょ、彼女にご飯なんか作ってもらってんじゃないの?」

「ホントですって、いません」

「そうなの?ご飯ちゃんと食べてる?」

奥さんはご飯の心配までし始めた。

「そうだ!ご飯、ご馳走しちゃおうかなぁ・・そうしよっ!」

「・・・・・」

「なに困った顔してんのよ、そんなんじゃないわよ、ホラッ!〇〇クンお友達いたでしょ、◆◆クン、その子も一緒にってことでどうかしら?・・・そうねぇ、今度の土曜あたりどう?」

・・・・・・・

結局、奥さんのゴリ押しによって承諾してしまった。当時は携帯もPHSも無かった時代だ。私の安アパートの部屋にも電話なんかついていなかったので、板橋の友達のところには直接出向いて行ってことの由を伝えた。

・・・・・・

土曜日の夕方、私は駒込駅前で2人が来るのを待っていたが、時間が早かったので、まだ誰も来てはいなかった。

やがて約束の時間を少し回った頃に奥さんがやって来たのだが、その出で立ちに驚いた。

「・・❗️」

それは裾は長めだが、バレリーナのヒロインが着るようなスカートで、真っ白い薄い布を何枚も重ねたドレスだった。ホンワリと盛り上がったスカートだ。後で知ったことだが、ロマンティック・チュチュスカートというらしい。

「あっ!〇〇ク~ン、お待たせ~ごめんね、待った?」

「いえ、たった今きたところですから」

「そうそう、◆◆クンなんだけどね、昨日ね、今日どうしても都合が悪くなったから行けないってワザワザ伝えに来てくれたのよ。あなたのアパートにも寄ったんだけど留守だったって・・ヨロシク言っといてって」

「あっ・・そう・・なんですか」《なんだよアイツ、奥さんと2人で行けってのかよぉ》

「さっ!行きましょうか!」

奥さんは私の腕を取って道路端まで行き、手を上げてタクシーを停めた。

・・・・・・・

巣鴨でタクシーを降りて、奥さんお薦めの居酒屋に入った。居酒屋といってもかなり高級な感じである。

「さぁ、なんでも頼んでね!今日はジャンジャンいきましょう!」

奥さんのテンションは高い。

「まずは生ビールで乾杯よね!あっ!ちよっとおねえさん!オーダーいい?〇〇クンお刺身食べるでしょ」

「はい、なんでも食べますよ」

「若い子はいいわねぇ・・えぇと、このお刺身の盛合せとぉ・・あっ!アワビがあるの?じゃそれも・・・」

奥さんは高そうな物をジャンジャン注文した。

私は場が白けないように、あることないことを話して酒の肴として提供した。

そうして小1時間も経った頃だろうか・・・

「ねぇ、〇〇クン池袋行こうよ。美味しい店があんのよ」

「はい、どこでも行きますよ」

・・・・・・・

池袋では焼肉をご馳走になり、今度は六本木に行くことになった。

やはり、ガッチリと腕を組まれてタクシーに乗り込み、六本木へと向かったのだった。

《それにしても、池袋から六本木までタクシーか・・金持ちなんだなぁ~》

六本木に着いたら、超有名な女性演歌歌手の店に行くんだと言う。

・・・・・・・

その店は、その歌手の下の名前が店名になっていた。たまに本人が来るらしいが、その日は弟さんがいた。普段は弟さんが切り盛りしているそうだ。

ソファで暫く水割りを飲んでいたら、初老の品のいい紳士が店に入ってきて、奥さんに声を掛けてきた。

「やぁ、お待たせ~・・・ん?」

「あぁ、この子?わたしのツバメよ!いい男でしょ、ウフフ」

「・・・・・」

「ハハハッ!社長ぉ~なんて顔してんのよ、ウソよウソッ!今日はねぇ、日頃から頑張ってる若者の慰労会なの!」

「あっそうなんだ・・じゃパ~ッ!といこうか!」

社長さんはフルーツの盛合せやナニヤラを頼んでくれた。

結局そこの勘定は社長さんが支払ってくれたのだが、5万円くらいだったことを覚えている。

店を出て社長さんと分かれ、また奥さんとタクシーで巣鴨に帰ってきた。

官能小説のような展開を期待された方には誠に申し訳ないのだが、何事もなく、奥さんにお礼を言って、そのまま分かれたのだった。

メカしこんだ未亡人と若者が2人っきりなのに何もなかったというなんとも不思議な飲み会だった。そもそも社長の登場の意味はなんだったんだろうか・・

・・・・・・・

そんなことがあってから以降も同じように本屋に立ち寄っている。以前と少しも変わったことはなかった。

・・・・・・・

それから数年後に東京を引き揚げたのだが、暫くの間は奥さんとの年賀状のやり取りが続いた。しかしいつの間にやらそれもなくなってしまった。風の便りで、奥さんは本屋をやめて、息子さんがスパゲッティ屋を始めたらしいということだけは耳に入ってきた。


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