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【トマトとお祖母ちゃん】

僕の祖母は、明治生まれの、強くて明るくて社交的な性格の人だった。小柄で〈E.T.〉を可愛くしたような顔をしていた。

大工の亭主との間に、男5人、女2人の子供を生み、7人全員を立派に育て上げた。

彼女の社交性は際立っていて、往年、例えば京都旅行に行った時には、英語など分かりもしないのに、見知らぬ外人さんにニコニコと話し掛けては、一緒に写真に収まったりもした。

それとは裏腹に実に根性があって「ワシにキ〇〇マが付いとったらのぉ」と言って悔しがることもあった。男性中心の明治社会の中で幼少期を過ごしてきた祖母は、自分が男なら大きな仕事をやってやるのになぁと思ったのだ。

息子たちが〈女傑〉と呼んだ程の明治の気概がある女だった。

・・・・・・・

祖母たち一家は、実は、昭和の激動時代の流れに乗って〈満州〉へと渡った組である。

満州では色々苦労をしたようであるが、祖母は持ち前の明るさと根性で生き抜いた。

社交性がものをいって、満州人とも上手く付き合ったそうだ。

最初は当然、言葉なんて分かる訳がないのだが、そんなことはモロともしない祖母なのである。

さて、祖母が市場に〈トマト〉を買いに行った時の話だ。中国の言葉なんて鼻から無視した祖母は日本語一本で勝負をする。

「トマトじゃトマト❗️あ~かいえぇ、ま~るいでぇ❗️」

そう言ってシッカリとトマトをゲットして帰って来たと、そういう話を祖母の娘、つまり僕の叔母さんから聞いたことがある。

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僕が小学生の時お祖母ちゃんに訊いたことがある。

「ねぇねぇおばあちゃん!赤ちゃんは結婚したら生まれるよねぇ・・結婚せんかったら生まれんでしょ? なんで?」

すると流石の筋金入り明治女も困った顔をして、怒ったように言うのだった。

「子供はそんなこと考えんでもええっ❗️」

そんなことでタマには困らせたこともあったのだが、僕たち孫には、それはそれは優しい優しい〈おばあちゃん〉だったのである。

亡くなってから何年になるのだろうか・・数えることも、もうあまりない。


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