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本の登場人物・時代背景に関する補足説明(8)-ベトナム王国皇子 クオン・デ候のこと

 掲題(8)が抜けていました…。
 それと、『クオン・デ候』に関する説明が足りない様に思いますので、(8)として、ここで詳しくご紹介することにします。

『クオン・デ候』とは;
 ベトナム王国最後の王朝阮(グエン)朝の開祖 嘉隆(ザーロン)帝の直系の子孫です。日露戦争後、フランスからの祖国植民地解放を志し、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)やその他多くの革命運動家らと共に日本へ渡航。犬養毅氏柏原文太郎氏や大川周明氏、松井石根氏らなど日本の重鎮と交流関係を築きました。同士らと共にベトナム独立解放運動を起こした原点といえる人物であり、日本で亡くなる1951年まで不屈の闘志で40年以上に亘り祖国解放にその一生を捧げました。
 こちらが、日本渡航直後のクオン・デ殿下のお写真です。⇩

 明治39年(1906)5月、ベトナム王室の朝服を着用して、東京牛込区の写真館で撮影されました。殿下23歳の頃です。とてもハンサムです。。。

 私が翻訳出版した本の元本は、題名を『クオン・デ 革命の生涯』、1957年当時の南ベトナムで発刊されたベトナム語の古本です。
 その経緯とは;
 「クオン・デ殿下没後に祖国へ渡った遺品の中に、日本人記者松林氏インタビュー(1943年末)によるクオンデ殿下の自伝があった。1957年のサイゴンでこの自伝のベトナム語翻訳版が発刊されたが、日本では今日まで40年以上その存在だけが知られており、全貌を知る機会がなかった。筆者は、2019年9月ホーチミン市の古本屋でこれを入手し全文を翻訳。そして自伝が書かれた背景とその前後の近代史解説も執筆し、亦自伝から得られた内容を元に既存史実の再掘り起こしをして独自の新しい解釈を試みた。」

 元々の原本は、1943年12月に東京で行われたクオン・デ殿下へのインタビューを纏めた日本語の冊子です。東京を祖国植民地解放運動の拠点としていたベトナム王国の皇子の戦前インタビューです。とても貴重な内容が詰まっています。

 日本では、戦後長きに亘りその存在だけが知られていたクオン・デ殿下の自伝は、当時の日本首脳陣であった犬養毅や松井石根、大川周明等との深い絆の理由や、大東亜戦争終盤で世界決戦に向かう日本を核にした枢軸国側の期待を背負ったベトナムの重要な歴史的ポジションを明らかにしています。
 一度他国の支配を受け入れてしまえば、周到なるメディア操作による大衆支配、増税による経済支配、既得権益の故意的逆分配に依る同国人の内部分裂と間接支配の構図が形成され、これを取り返すには膨大な時間と血が流されます。これは、決して過去物語ではなく、現在進行形で常に世界中で繰り返されて来ています。

 祖国独立実現にその生涯を捧げた、ベトナム独立革命家たちの素顔に滲み出る純粋な武士道精神と素朴な死生観に、現代日本人が忘れつつある、我々祖先の、国を護り愛する想いに再び気が付かされます。日露戦争から大東亜戦争終盤まで、日本に独立活動基盤を置いたベトナム王国のクオン・デ殿下の自伝は、日越近代史研究にとって重要且つ貴重なヒントが沢山含まれていると思います。

 若干23歳で祖国を離れ日本に渡った殿下の、その生涯の大部分が日本、そして日本の大東亜戦争に大なり小なり関連しているのですから、これから日本に於けるベトナム近代史研究再掘り起しへのきっかけになることも期待したいし、又、真実の歴史を知ることで、国を愛し、世界平和に貢献しようとする誇り高き日越両国の青少年の一助にもなる筈だと願って止みません。
 
 クオン・デ殿下は、自己による書物を書き残しませんでした。その為、今日迄、日本での殿下に関する記述は、残された記録や伝聞による憶測の域を出ませんでした。しかし、冊子『クオン・デ 革命の生涯』は、ベトナム革命運動の中心人物であり、日本の当時の政府内閣軍部首脳陣と緊密な関係を持っていた殿下が直接インタビュー中に語った言葉です。
 『世界の恒久平和のためにアジアの一民族の当然の責務として、日本と大東亜戦争に従い共に西洋列強と戦う』
 と表明したクオン・デ殿下の自伝は、既存の史実断片と研究結果を裏付け、すっきりと辻褄の合う説明を為し得る証言が詰まっています。

 戦時中の日越関係の深い絆を知らない現代日本の一般読者にとっては、驚きの声を持って捉えられるかも知れません。しかし、将来ベトナム近代史研究者を志す若い方にとっては、今後の歴史研究への重要なテーマを多数提供できるかと期待しています。

 「頭山、犬養両方翁から頼まれて面倒をみた。」と語った松井石根大将(東京裁判で絞首刑)は、クオン・デ殿下を『亜細亜主義の志士』と評しました。玄洋社・黒龍会メンバーを中心に『如月会』を組織して、フランスからの独立を目指すベトナム王国(当時)を最期まで援助し続けました。対米戦争回避を模索し続けた第二次、第三次近衛文麿内閣の時に、並行して進められた仏領インドシナへの平和進駐(仏印進駐)を、クオン・デ候自伝の視点から深く探求して行くと、実に興味深い真実が浮かび上がります。

晩年のクオン・デ殿下のお写真です。⇩(家族会HPより)

 因みに、これがワタシ、、アマゾンの著者プロフィールです。。。⇩
 何祐子(が ゆうこ(ペンネーム))。1990年代初めにベトナムホーチミン市へ渡航し、現地の日本企業に勤務。25年以上に亘るベトナム在住期間に、当時まだ大東亜戦争の記憶残るベトナム人のご老人や、熱心なカオダイ教信者であった義父から貴重な話を伺う。趣味であった大東亜戦争史関連の読書を通して、終戦間際の日本とベトナムの深い絆を知り、日本語やベトナム語を含む関連資料や書籍の掘り起こしと整理をこつこつと進めている。

本の登場人物・時代背景に関する補足説明(9)|何祐子|note

クオン・デ 革命の生涯|何祐子|note

 

 
 
 




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