見出し画像

激務系ワーママに育てられ、1日11時間保育園で過ごした息子 成人した彼の視点とは?

とある大学の英語の授業。このクラスは能力別クラスの最上級で、帰国子女や留学生も在籍し、英語で様々な課題についてディベートする。学生の男女比は3:7。担当教授は女性。彼女が選んだ今日の課題は、ジェンダーバイアス問題。

「現状では、時短勤務を取るのは母親に偏っている。父親が時短勤務にしてもよいのではないか?」

この学生たちが社会にでて子育て世代になった時、きっと直面するであろう問題を授業で取り上げることにより、女性だけがマミートラックを強いられる現状について、問題提起したい。きっと男子も女子も「母親が時短を取得する」所謂ステロタイプを選択するのではないか?

そんな担当教授の思いは、最初に発言した男子生徒の発言で思わぬ展開に。

彼はちょっと怒ったような表情でこう言った。
「Neither mother nor father should leave office early. Children can stay at a day-care until 19:15 and I was one of those children. My mom always showed up last. Well, it's nothing
(どちらも時短を取る必要はない。延長保育は19:15までやっていて、自分も利用していた。自分の母親は毎日、最後に迎えにきた。それで、問題はない

私は、息子からこの話をきいて何とも言えない気持ちになりました。

なぜ、時短が議論の前提なの?
女性教授は、学生の中に保育園OBOGがいるとは思わなかったの?
なぜ、いつも男性vs女性の議論になるの?

当時、勿論「3歳児神話」はありました。
「0歳児から、保育園に長時間預けていると、母親の愛情不足でロクな子供が育たない」という論調も(今もありますね)。

そして、私の友人にも、親戚にも、子供を0歳から1日11時間保育園に預けた人はいませんでした。全く周りにロールモデルがない中、このような育て方をするとどんな人間が育つのか予想もつかないまま、ジョブ型採用の私は、業務上の結果をだすべく必死でした。

朝息子と別れてから、夜保育園に迎えに行くまでには、日々様々なドラマがありました。予想外に長引いてしまったロンドン時間でのテレコン、15時過ぎてから顧客とのトラブル、諸々のドタバタを片付けて、電車に飛び乗り、最寄りの駅でタクシーを拾って保育園に駆け込む毎日。

時短が前提の議論。それは、子供は保育園に遅くまで預けてはいけないという前提。それは、ワーママでも男性と同じ成果をだそうと必死だった私の毎日、いや戦友だった他のママたちの毎日をも否定するものではないのか?

おそらく私より若い世代であろうその女性教授に、こんな意図はなかったのかもしれません。しかし、私はそう感じてしまいました。昨今のフェミニストの方の「ワーママでも男性と同じ働き方をする」女性への批判に辟易した私の被害妄想かもしれません。

そして私は、息子が自分の人生、いや私の人生を肯定してくれたことに感謝せざるをえません。そして、今になってやっと素直に思うのです
「お迎え、毎日遅くなってごめんね。」

自分は遅くまで保育園に預けられていたけど、それはそんなたいしたことじゃないよ。自分は、可哀そうな子でも、愛情不足な子でもない。息子のIt's nothingはそんな彼なりの矜持が秘められていました。

これも、「3歳児神話」信者の方からみれば、「いやいや、あなたの子供は本当の母の愛情を知らないから、そんなひねくれた考え方なのだ」と批判されてしまうかもしれません。

肝心のディベートの方は、教授の予想に反して女子が
「子供が生まれたら、専業主婦になりたい」と発言したりと
「時短を男女どちらが取得すべきか?」という議論にはならなかったそうです。しかし、今の大学ではこんなことを議論するのですね。隔世の感です。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?