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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話7 ~Part1:院生時代に学んだこと~

前回のお話はこちらから。
今回はPart1~Part3まで三部作となっております。

大学院で学んだこと

さて、心理学という学問がいまいちつかみきれず、不完全燃焼ながら学部を卒業し、進路は大学院となりました。

大学院は、在籍校の院に進む内部入試と、外部の院に進むための試験を受けました。残念ながら、外部の方は落選となり、内部入試で同じ大学の院に進むことになりました。

したがって、指導教授も学部と同じで研究内容もほぼ同じです。慣れた環境のなかではありますが、心機一転スタートした大学院生活です。

院では、授業が極端に少なくなります。
現在の臨床心理士養成指定大学院とは異なり、色々やるべき課題はあるとはいえ、拘束される時間は少ないです。

したがって、いかに自分自身で生活や行動をマネジメントできるか、という自律性が、学業の進歩に直結してしまいます。

実際、当時の私にとってはそれが最もハードルの高い課題でした。

目標を見失う中で見つけたもの

正直にふりかえれば、私にとっての修士課程での生活は、何か明確な目的があったわけではないです。前回も書きましたが、就職というハードルを避けた、というのが正確でしょう。

そういう意味では「モラトリアム」だったといえるでしょうね。

いえ、もちろん自分の研究活動もしていましたし、後輩の学部生に実験や統計、レポートの書き方の指導などもしていました。

他ゼミの学生にまで統計を教えたり、もちろん学会での発表もするなど、それなりに、院生らしい生活はしてました。

思えばこのころのそうした経験は、学部で学んだ基礎を「定着」させるのに大いに役だったように思います。

ただ、あまり発展性というか、何か新しいテーマを研究しよう、という意欲は少なかったですね。

ただ、学生の中には実験ではなく調査研究を行う学生もいましたので、その際用いる多変量解析を手伝っているうちに、統計法全般がかなりわかるようになってきたのは収穫でした。

とはいえ、卒論の反動なのか、大学に行くのは必要最小限でしたし、少し目的を失ってフワフワしていて、これからの進むべき道に大いに迷っていた時期です。

そこで、生活の力点は、学業よりも次の2点に向けられることになります。

一つは「仕事」。
もう一つは「武術」です。

結果として振り返れば、学問の追求というより、多様な経験によって成功・失敗を繰り返し、ある意味で「人間力」というか「生活力」というか「直観力」というか・・・その後の生存に必要なスキルを身につける期間だったように思います。

パートタイマーとして働く

有名な某大型書店で、バイトではなくパートという形で、ほぼ毎日出勤して仕事してました^^;

何しろ奨学金をもらいながらのぎりぎりの学生生活でしたので、学費だけは親に出してもらっていましたが、生活費は何とか自分でまかなう必要性から、仕事をしないという選択肢はありませんでした。

しかも、その仕事先の書店、水が合っちゃったんですね^^;

時給はそこそこでしたが、そもそも本は好きですし、ボーナスも出ましたし、上司もやさしく、周囲との人間関係も良好で、苦役のようだった学部時代のバイトとは異なり、「仕事を楽しむ」というそれまでにない体験になったのです。

仕事は主にカウンター業務(接客)と、本のジャンルごとに担当があり、担当する本棚の整理、在庫管理・発注など、「待ち」だけでなく積極的に取り組む必要があり、始めは大変でしたが、慣れてくると本当に楽しくやれました。

接客も学部時代の飲食店でのバイト経験が功を奏したか、意外と卒なくこなせたのも、その後の自信になったと思います。

結局1年半勤めましたが、そのまま就職しててもよかったかな、とすら思います。(取ってくれたかどうかはわかりませんが^^;)

実際、そこで学んだこと、多かったです。

何しろ、モラトリ・・いや院生ですから、世間離れも甚だしい身分です。

多少なりとも、仕事の責任や義務、といった、社会人としてのあり方の一端をかいま見た経験でした。

今でも大学院修士時代を思い起こすと、その書店でのエピソードばかり想い出します…。それくらい印象に残った体験でした。

今回もお読みいただきありがとうございました。
次回、Part2 へ続きます。


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