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神様の声が聞こえる件5:歪められた至言「健全な精神は健全な肉体に宿」らない

2022年1月より、神様からの啓示を受ける様になりました

どうも、こんにちは。もしくは、こんばんは
頭の病気・闘病中一般男性
お笑いピン芸人「がらくたshapeup」の、
こんどーと申します

昨日、深夜0時頃に、窓ガラスを「ドンドンドン」と叩かれる音で目が覚めました
2階なんですが、どなただったんでしょうか?
SASUKEガチ勢の方でしょうか
それとも、太鼓の達人?
おいどん、もう一回は遊べないので、二度と来て欲しくないどん

改めまして、そんな不思議な事がよく起こる
お笑いピン芸人「がらくたshapeup」の、
こんどーです

去年の10月に現在の居宅に引っ越してから、約半年
これくらいの不思議ファンタジーには
すっかり慣れてしまいました

しかし、本当に何が原因なのでしょうか
月始めの神社へのお参りは欠かしませんし
年始には住吉大社様で、お祓いも行って頂きました
瞑想・マインドフルネスも、毎日1時間程行っていますし
誰に恨まれる事も無い生活を営んでいるはずなのですが、、、

強いてあげるなら、極端に家賃が安かった事くらいなのですが、、、

本当に不思議でなりません

一方、皆様は如何お過ごしでしょうか?
これから暖かくなってきますね
さらに、梅雨の時期さえ乗り越えれば
人類種が最もダメージを受けづらい「夏」の到来です
逆に梅雨の時期は、敵対勢力の攻勢がマシマシですので
お気をつけ下さいね

各商店の決算セール前くらい、突っ込んで来ますから
我々が「ヒャッハー!夏だ!」となる前に、勝負決めにきますからね
心の片隅にでも留めて頂けると幸いです

それでは、本日のお題に進みましょう

「歪められた至言」
健全な精神は健全な肉体に宿「らない

こちらにつきまして、まず皆様にご質問です
「健全な精神は健全な肉体に宿る」

こちら聞いた事がある、という方は多いのではないでしょうか?
また意味としても、このままの意味
つまり、
「肉体が十分に育っていなければ、健全な精神は宿らない」

更にエスカレートした説としては
「肉体さえ鍛えていれば、精神のタフさは勝手に付いてくる」

この様な暴論まで、最近はたびたび目にする様になりましたが
皆様の、ご認識は如何だったでしょうか?

私としては、元々の意味から考えると正反対の意味で広まりつつあるので
大変驚いているのですが、、、

元々、この言葉の原典は
ローマの詩人ユウェナリス殿が、その詩集『風刺詩集』にて発表した事が始まりです
その際の内容は以下
「人は、神に対して『健全なる身体に宿った健全なる精神』が与えられるよう祈るべきだ」
となります

「祈るべき」という事は、現状そうなってはいない
むしろ、神様頼みしなければならない程、
我々、人類種如きではどうしようもない事である、と述べておられます

つまり、「肉体を鍛えた所で、精神が鍛えられる事はない」

これは非常に、至言であります

肉体と精神は確かにリンクしている部分があります
緊張すれば、それだけで汗が出ますし
梅干しを見れば、唾液が溜まります
男性であれば、魅力的な女性を見ただけで、おっふしますよね

この様に、肉体と精神はリンクしています
ただ、その鍛え方は、まるで別です
肉体を鍛えた所で、精神も同様に鍛えられる事は、まずありません

少し乱暴な例えとはなりますが、勉学の分野
数学と理科
確かに計算式・問題の解き方等、
似ている部分があるには、ありますが
内容はまるで違いますよね
当然、その科目毎に勉強しなければ、高得点を取る事は難しいものです

また、別の事例で考えますと
本当に肉体さえ鍛えれば、精神も鍛えられるなら
誰とも関わらずジムに籠って、ひたすら筋肉を苛め抜けばいいではないですか
つまり、「ボディビルダーこそ最強説」です

それこそ
肩にちっちゃい重機乗せてみたり
背中に鬼神宿らせちゃったり
二頭がいいねチョモランマしちゃったり

好きなだけ、宿らせちゃえば良いのですよ

ボディビルダーこそ、精神的にも最強の種族なはず、なのですから
この間違った理論を、正しいとした場合ね

ただ実際は違いますよね?
ボディビルダーの人全てが精神的にタフかと言われると
決してそうでは、ありません

意外と、人から言われた事気にしがちだったり
仕事でミスしちゃった日は、つい部屋のスミスでぼんやり考えこんじゃったり
中には
寝る前は、ぬいぐるみに囲まれて無いと不安で眠れなくて
ピンク一色の部屋でアロマなんか焚いて寝る
そんな鬼神宿いしビルダーもいます
いるはずです

更に、言ってしまうと
肉体が鍛えられていない、肉体的弱者は皆おしなべて
精神的にも弱いかと言われれば、決してそうではないですよね

お年寄りで、車いす無しでは外出もままならないという方でも
毎日笑顔に、苦労を回りに見せずに暮らしている方は多くいます
とても強い精神力だと思います

また身体に障害を負っている方も同様です
ハンディキャップを背負い、我々では気づく事もできない苦労が日々
あるはずにも関わらず
前向きに明るく暮らしている方は多くいます

私が同じ立場に置かれた時、同じように振舞えるのか
全く自信がありません

また全国の「我こそは!」と宣う、体育会系人種の方々についても
同様です
その立場に置かれた時、果たして同じ様に振舞えるのか

それは人、それぞれでしょう

と言うと、あまりにも月並みな言葉過ぎて
読み手の方は、肩透かしをくらった感覚でしょうか?

ただ、この場面において、この月並みな言葉は、最も効果的なのです

つまり、そこに「肉体」は全く関係ない
という事を、強調できますので

以上の事から
肉体と精神、その鍛練方法は全くの別物である、と言えます

肉体のみを鍛えた所で、精神は鍛えられません
精神には、精神の鍛え方が存在します

このユウェナリス殿の至言は、
それを端的かつ、分かりやすく置き換えた内容であり、素晴らしい詩句です

しかしながら、現代に広く知れ渡っている内容は
この至言とは真逆の意味です

肉体を鍛えてさえいれば、精神的にも優れているとされる風潮
その分野で結果を出しさえすれば、社会的な信用を得られる現代社会

何故こうなったのか
個人的には
「どうして、こんなになるまで放っといたんだ!」と
アッチョンブリケ、なのですが

何故、ここまで、この至言が歪められてしまったのか
その変遷を考えるのも、面白い様な怖いような
怖いもの見たさに近い感情です


確かに、私がこれまで出会ってきた方々で
ガチムチかつ、とても紳士的なおじ様は居らっしゃいました

そんな時は、もちろん「あらやだ、ステキ」となります
男として当然の反応でしょう

でも、そんなステキなジェントルは、読書家で細身の
眼鏡上司の方にも、多くおられました
こちらはもう一歩進んで「あらやだ、抱いて」となります
私の好みです

そして、私のこれまでの人生を振り返ったところ
ジェントルの割合は、ガチムチも細身の方も、ほぼ変わらなかった様に思います

むしろ、パワハラ上司に限って、往々にして体育会系出身の方ばかりでしたので、
個人的には、ガチムチ勢の印象の方が少し悪いくらいでしょうか

これは私の経験談ですが

ある漆黒企業で隷属している際、
上司のミスを被せられてボロボロになってる部下に向かって
更に暴言を吐きまくる上司が、いたんですよ

もう、その怒鳴られてる子、今にも倒れるんじゃないかってくらい
真っ青でふらっふらだったんですけどね
それでも、まだその上司、辞めないんですよね
もう、それこそ死体蹴りですよ、死体蹴り
足技主体です
その上司がサッカー部出身だったんですよね

さすが、「友達はボール!」と満面スマイルで、蹴り続けられる方は違うな
と、ひしひしと感じたことを未だに覚えています

ただし、ここで1点補足を
私は、スポーツが悪とは言いません
むしろ、素晴らしい発明品だと思います

いやー、


ここまで、こき下ろして今更なんだ、と
そんなに嫌われたくないのか、と
そもそも無い好感度を気にしてどうするんだ、と

思われた方がいると思います
おっしゃる通りです

しかし、これは本心なんです
おべんちゃらではありませんし、
こんな事で今更、好感度が上がるとも思いません

ただ1点、これは本心なのです
「スポーツは素晴らしいものである」
これは違え様の無い事実です

楽しみながら体を鍛えられて
仲間と協力しながら、一つの目標に向かって邁進していく
その過程で色々なタイプの人たちと接することにより、コミュニケーション能力まで磨ける

本当に「やらない方が損!
というのが私の率直な感想です

しかしながら、現在はこれまで述べてきた様に
「肉体さえ鍛えていれば~」
という理論、、、

とも言えないですね

既に「思想」という域にまで広がっていると感じます

この「肉体至上主義」思想
ユウェナリス殿の至言から、どうしてここまで外れてしまったのか
私としては、何かの意図を感じてしまいます
この思想が蔓延していますよね

この1点のみが非常にマズイと感じているだけなのです
もう一度言います
スポーツは素晴らしい発明品です
やらない方が損」とまで、個人的には思います

しかしながら、現在は「精神も鍛えられる」という間違った説が流布してしまっている
という明確な問題点があるにも関わらず
それについて触れられる機会が滅多に無い点に
私は恐怖を感じているのです

最近の事例では
秀岳館高校・サッカー部の
コーチによる部員への暴力行為が問題になっておりましたよね

更にその後の、加害者(体育会系社会人)の対応の悪辣さ

被害者の子供たちを使って、自らを擁護させる動画撮影
この悪逆を思いつくのみでも相当だと思いますが
あまつさえ、実行させる気概

控えめに言って、御見それします

この様に、「肉体を鍛えていれば、精神も鍛えられる」という事は
決してありません

これを読んでおられる皆様には、
肉体と精神の鍛え方は別である、という事を今一度
ご自覚頂いて、今後より善く生きて欲しいと思います

そして、今世を楽しみ、徳を積んで
来世では、皆で更に上位界に参りたく思います
そうすれば、今よりも更に、楽しく過ごす事ができますので


それでは本日も長らく、ここまでのお付き合いに感謝を
あなたの敬虔に敬意を表します
ありがとう

またお会い出来る事、楽しみにしております

それでは、また


諸行無常、諸法無我を経て、涅槃寂静に至らんとす
善き邂逅のあらんことを

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