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私の出来ることはみんなも出来ること

私の出来ることはみんなも出来ること

幼い頃、私は私のことをずっと特別な人間だと思っていた。クラスの中心で過ごし、人前に出ることを率先し、先生からお褒めをいただき、友人たちは皆笑顔だった。友達が多いよね、誰とでも仲良くなれるよね、面白いよね、と日常にキラキラが溢れていた。

二十歳の頃、私は私のことを一般的な凡人だと信じ続けた。想像するものと見えているものが全く一致しない、言葉と行動が真逆で、自分の心より他人の目を気遣い、人と話す時には見栄を張り大きな私を演じる。普通で一般的で平凡な人間だと。


幼い頃どれだけ自信があっても、時が経つにつれて周りの影響や考えなくてもいいことで私が侵されていく。私は私のままであるが、私が何者なのかがわからない。普通で一般的で平凡な人間だ。私が出来るんだから、他のみんなもできるに決まってる。そんなことには価値がないのだ。
と考えていたが今はそうでないと言える。


私は出来ることだけど、意外とみんな出来ないことが多いらしい。人前で恥ずかしげもなく熱い話を出来ることや、大学卒業と同時に独立することや、まず人の話を聞くことや、22歳になってから大学受験に挑戦すること。これらの道は普通選ばないと。

普通で一般的で平凡な人間だと信じ続けていたが、普通では選ばない道を私自身で選んでいたのだ。

普段は誰かのすごい話を聞いた時自分では出来ないなぁすごいなぁと感じ、自分のことへ目を向けていない。しかし、その誰かは自分と同じ選択をしていないのだ。その誰かがどうしても手に入れたかったものを知らずに手にしてしまっているかもしれない。

私の出来ることは決してみんなが出来ることではない。いつでも、みんなが出来ないことを私はやっている。小さいかもしれないがそんな成功体験を積み重ねていくにつれてアイデンティティが形成されていくのではないだろうか。

私が出来ることはみんなが出来ることじゃない。


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