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①【ベツレヘム】パレスチナ自治区”ベツレヘム”へ〜キリスト教の聖地巡礼とバンクシー・アート巡り〜

シャローム。イスラエルのテルアビブ在住のがんちゃんです。
今回は、パレスチナ自治区にある街、”ベツレヘム”へ日帰りバスツアーで行ってきた際のことを、2回に分けてレポートしたいと思います。

YouTubeにて、ベツレヘムの動画も公開中。@ganchan_in_israel

(交通量の多いベツレヘムの街。Photo by あやのさん)

旧約聖書では”ダビデの街”。新約聖書では”キリスト生誕の地”として知られるベツレヘムの見どころとしては、聖地巡礼の他に、近代ではイスラエルとパレスチナを隔てる分離壁に描かれた”バンクシー”のアートや"The Walled Off Hotel”も有名です。

街を見守るように佇む教会と、無機質で退廃的な分離壁。
あまりに対照的な表情を併せ持った、この街での体験をシェアします。

☆イスラエルの基本情報はこちらをCheck!
これを読めばイスラエルを語れる〜入門編〜
☆パレスチナ、バンクシーの基本情報はこちらをCheck!
これを読めばイスラエルを語れる〜中級編〜

(街中にはスターバックス・コーヒーに似た看板のお店も。)

旧約聖書、新約聖書、それぞれのベツレヘム(Bethlehem)

【クリスチャンの街からイスラム教徒の街へ】
ベツレヘムは、エルサレムから南に10km、標高726mの小高い丘の上にある街。
パレスチナ自治区にあり、アラブ・クリスチャンの街として知られていましたが、現在はイスラム教徒が住民の大半を占めています。それは、イスラム教徒の平均出生率の高さ(約3.5人)に要因があると言われているそう。

(ツアーの日は空気が澱んでいた。Photo by あやのさん)

【旧約聖書ではダビデが育った街】
ベツレヘムとは、ヘブライ語で”パンの家”という意味があり、旧約聖書では、後にイスラエルの王となったダビデの故郷として記されています。
彼は、少年時代にベツレヘムで羊飼いをしていました。

(羊飼いの野の教会近くにある”ボアズの野”。パレスチナ自治区がよく見渡せる。)

ダビデは、聖書では珍しく容姿が良いと記されているうちの1人だそう。当時のユダヤ人としては稀で、白肌に青色の目を持ち赤毛だったため(ユダヤ人は、茶褐色の肌に黒か茶色の瞳の人が多かった。)一説には、「ダビデはユダヤ人の”エッサイ”の子ではなかったのではないか。」と言われているのだそう。
実際にエッサイは、他の兄弟とダビデの扱いに差があり、預言者”サムエル”がエッサイの家に、サウロの次なる王を探しに訪れた時も、ダビデの存在を隠したんだとか。

【新約聖書ではイエス・キリスト生誕の地】
ベツレヘムといえば、新約聖書においてイエス・キリスト生誕の地として、あまりにも有名な場所です。

(ベツレヘムのメンジャー広場、Manger Squareでは、クリスマスイルミネーションの準備がされていた。)

ナザレで受胎告知を受けたマリアは、月が満ちてきた頃に”皇帝アウグストゥス”から全国民に発令された「住民登録せよ。」という勅令に従って、ダビデの家に属していた夫のヨセフと共に、身重な体でベツレヘムへと3日間の旅に出ます。
到着してみると宿がどこもいっぱいだったため、仕方なく馬小屋に泊まることに。そこでイエスを出産するのです。

【イエス・キリストに纏わる絵画の誤解】
イエスはたびたび絵画で、青目に金髪で描かれていますが、当時のユダヤ人は肌は茶褐色で目は黒か茶色に赤毛であったため、それはあり得ないのだそう。
また、イエスが生誕した馬小屋は、2000年前は洞窟のような仕様であったとされるため、木造の馬小屋を描いた絵画も誤りである、と言われているそう。

イスラエルからパレスチナへのアクセス

【緊張の検問所】
イスラエルから”ベツレヘム”へのアクセスには、検問所(チェックポイント)を通らなければなりません。
エルサレムをバスで出発してから、20分もかからずに検問所に辿り着きました。
この検問所の監視塔は、バスの中からでも写真撮影が禁止で、撮影するとカメラや携帯を没収されてしまうと聞いていたものだから、ドキドキです。

(街中にある撮影可能な監視塔。よく見ると、中にイスラエル兵の姿があった。)

実際は、パスポートチェックもなく容易に通過できたので、拍子抜けしてしまいました。(その時々によって変わると思いますのでご注意ください。)
しかし、パレスチナ自治区の住民は、簡単には抜け出せないのです。

【全長700kmの分離壁】
検問所を通過してから、バスに揺られること数分。
景色が開けたところで、迫ってきた光景には『現実のものなの?』と目を見張りました。
全長約700kmに及ぶ、パレスチナとイスラエルの間に蛇のように張り巡らされた分離壁。これでも、まだまだ建設中なんだとか。
パレスチナ自治区の市街地に食い込み、乱暴にも道路を分断してしまっている箇所もあるのだそう。

(蛇のようにくねっている分離壁。)

聖誕教会(Nativity Church)

イエス・キリストが生誕した”聖誕教会”は、ベツレヘムのメイン広場、”メンジャー広場”の向かいにあります。
ここはアラブ人の物売りが多く、鞄やアクセサリーを必死に売っている、まだあどけない少年の姿に、街の貧しさを嘆かずにはいられません。

(メンジャー広場はレストランや店舗、駐車場があり賑わっている。)

【イエスの生まれた洞窟の上に建てられた教会】
聖誕教会は紀元327年、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって、イエスが誕生した洞窟の上に建てられた教会です。
6世紀のユスティニアヌス帝の時に再建され、11世紀の十字軍の時代に現在のような高い壁に囲まれた外観になったのだそう。

(聖誕教会の外観。外形は十字型をしている。)

教会の内部は、ローマ・カトリック、ギリシア正教、アルメニア正教に区分され管理されています。
イエスの生誕日であるクリスマスも宗派によって異なり、聖誕教会では年に3回もクリスマスが祝われるんだとか。(カトリックとプロテスタントは12月25日、アルメニア正教は1月6日、ギリシア正教は1月7日。)

(過去にはパレスチナの武装勢力による、1ヶ月の立て籠り事件も起きた。警備は厳重。)

十字軍の時代には要塞としての役割も果たしていたそう。
イスラエルの北にあるアッコー(Akko)という港町も、12〜13世紀に十字軍が征服していましたが、これに似た要塞があったことを思い出しました。
入り口は”謙虚のドア”と呼ばれていて、大人は腰を屈めないと入れないほど小さくて驚きます。
外敵が馬に乗ったまま入らないようにするために、このような入り口になったのだそう。

(奥に写る、屈んで入っている人がいる所が入り口。)

【聖誕教会の中へ】
”謙虚のドア”を屈んで入ると目の前に広がるのは、想像していたよりも慎ましい内装の会堂。
正面右側の祭壇は、ギリシア正教会が管理しています。

(天井からは金属製のランプがぶら下がっている。Photo by なつきさん)
(壁に描かれた絵が美しい。まだ修復が進められているんだそう。)

現存する教会の中では、世界最古と言われる聖誕教会。
床にはところどころ穴が空いていて、現代の会堂の床よりも一段低い所に、コンスタンティヌス帝時代の古いモザイクが保存されています。

(幾何学模様のようなモザイク。)

ギリシア正教の祭壇の脇から、階段を降りたところにあるのがイエス生誕の洞窟。
皆さんお祈りをされるので、列は階段の上まで延びていましたが、10分ほどで順番が回ってきました。
「観光客が多い時は、聖誕教会に入るのに3時間かかることもある。」と、ガイドさんは仰っていたので、ここも普段は大変な列になるのでしょう。

(イエス生誕の洞窟へと続く、階段上の装飾①。)
(イエス生誕の洞窟へと続く、階段上の装飾②。)

【イエス生誕の場所】
イエスが生誕した場所は、優しい蝋燭の光に囲まれていました。
中を覗き込むと、東方の博士を先導した星に因んだと言われる”14角の銀の星”がはめ込まれています。

(ラテン語で「ここにてイエスは生まれたまえり」と記されているそうだが、見つけられなかった。
Photo by なつきさん)
(イエス生誕の場所。どうしても、知らない方が写ってしまいます。勝手にごめんなさい。)

【聖カテリーナ教会】
会堂に隣接した通路を進むとあるのが、聖カテリーナ教会。
ここは、12月24日のクリスマスイブのミサが世界中継される教会です。

(パイプオルガンの音色が響いていた。)
(ミサの際に用いられる、イエスの赤子の人形が安置されていた。)


中庭には、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳するために、聖カテリーナ教会の地下の洞窟に約30年間こもっていた”聖ヒエロニムス”の像があります。

(一生を捧げて聖書をラテン語に訳した、聖ヒエロニムスの像。)

彼の訳した『ブルガタ版ラテン語聖書』は、カトリックの公認聖書になりました。彼の偉業により、キリスト教が世界中に広まったとされているのです。

面白いのが、彼の翻訳間違いのためにミケランジェロ作のモーセ像には、角が2本生えてしまっているということ。
ヒエロニムスがラテン語に翻訳する際に、ヘブライ語の”光り輝く”という文字を”角”と訳し間違えてしまったためと言われています。
ヘブライ語って、母音記号のニクードがついていないと、全く違う意味になってしまう言葉があり本当にややこしい…。

ヒエロニムスの足元には、頭蓋骨がある。

ヒエロニムスの像の足元にあるのは、翻訳に協力してくれたローマの婦人”パウラ”の頭蓋骨。
パウラの死後も彼は彼女の骨をそばに置いて、翻訳作業を続けたのだそう。

(聖誕教会の会堂の装飾。)

ベツレヘム土産、ヴィンテージアクセサリー

キリスト教徒ではない私でも、聖誕教会に流れる空気感にはすぅ、っと引き込まれるものがありました。神聖でいて素朴なのです。

巡礼者が聖地を訪れた記念に購入したと言われている、ベツレヘムパールのアクセサリーを、私も購入して持ち帰ることに。

(ベツレヘムパールのパーツ。ボタンにしたり、ネックレスにしたり。)

ベツレヘムパールは、元々ミサで使われていた祈りの道具。マザーオブパール(真珠の母貝)の手工芸品で、私が購入したものは30年もののヴィンテージとのこと。

(柔らかい質感が可愛い。)


そして、こちらはローマ時代に流通したガラスをもとにして作られた、ローマングラスのアクセサリー。なんと、2,000年もののヴィンテージです。
輝きがどれも違って美しい。しかし、私が身につけるには、まだ人生経験が足りなかったよう。

(ローマングラスのアクセサリー、光に当たるとキラキラ輝きを放つ。)

歴史の深い街だからこそある伝統的なアクセサリーに、ツアーの女性達は魅了されっぱなしでした。

(ベツレヘムパール)


次回もベツレヘムツアーの続き、”ミルク・グロッド教会”、”分離壁のバンクシーアート”、”羊飼いの野のラテン教会”についてレポートします。

最後までご覧いただきתודה רבה (トダラバ、ありがとうございます♡)

写真/あやのさん・なつきさん・がんちゃん
文/がんちゃん

【参照】
・地球の歩き方編集室.『地球の歩き方 2019-2020年度版』.株式会社ダイヤモンド社
・ミルトス編集部.河合一充『イスラエル・聖書と歴史 ガイド改訂版』. 株式会社ミルトス

ープロフィールー

“YouTube 始めました!@ganchan_in_israel “

2019年末にイスラエルのテルアビブに駐在を開始。
現在は「もっと近くにイスラエル」「Web版 地球の歩き方・テルアビブ特派員」にて記事を執筆中。


好きな食べ物:すき焼き、ワイン(イスラエルフードではフムスとマラビが特に好き)。
苦手なもの:あんこ、サメ。
マイブーム:ワイナリー巡り、カフェ巡り、イスラエルらしい雑貨集め。
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