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学生時代に求められていたコミュ力と社会人に求められるコミュ力の違い

今回は学生時代のコミュ力と社会人のコミュ力の違いについて書いていく。
本は前回と同じこれ

仕事で必要な「本当のコミュニケーション能力」はどう身につければいいのか?

本書では「学生時代の求められるコミュ力は「一緒にいて楽しい力」
社会人に求められるコミュ力は「一緒に仕事をして成果が出る力」
と定義している。

学生時代は、1人でもくもくと勉強してテストでいい点を取れば、その人は優れた人と評価された。1人でもなんとかなっていたのだ。
しかし社会人には成績ではなく、成果が求められる。成績は1人で積み上げれたが、成果は自分のアウトプットが誰かのインプットになって初めて成果となる。

アウトプットをインプットしたいと思った時に対価を払うことでインプット側は欲しいものが手に入れ、アウトプット側は対価としてお金を貰い、会社は利益を生み出せるし、自身の生活に還元される。誰かがインプットして、それをアウトプットし、また他に人がアウトプットに対して対価を支払うことで世の中は回ってるんだなと思う。

アウトプット側は、自分のアウトプットがなるだけ多くの人にインプットしてもらいたい。そこで求められてくるのが、コミュ力だ。
自分のアウトプットの良いところは何なのか、誰にインプットしてほしいのか、どんな効果があるのか、どれくらいの対価が必要なのか、それに見合った対価は本当にあるのか。これらを相手に伝える必要がある。

その為には、自分のアウトプットを自分で言語化して、相手に伝える必要がある。相手に分かりやすいように。

「専門家にとってはコミュニケーションが問題である。自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。専門家のアウトプットとは知識であり情報である。」byドラッカー

ドラッカーも言っているように、ただ作っただけでは成果にはならない。自分のアウトプットを成果にする為には、アウトプット側がインプット側にアピールして成果に結びつける必要がある。会社では営業の人達がやってる事でもある。

また、会社でなくてもTwitterやYouTubeで自分のアウトプットを多くの人に見てもらえるよう、言葉を精製したり、サムネを創意工夫したりするのも、社会で求められるコミュ力なのかもしれない。

コミュ力とは言い換えれば、「どれだけの影響力を持っていて人を動かせるか」でもあるのだから。

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