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会社という組織のカオスを垣間見た/わたし、定時で帰ります

ネタバレありです。ご了承を。

「わたし、定時で帰ります」は現代の日本のIT系の会社を舞台にしたワーキングストーリー。

利己的な主人公が、最終的にはみんなを定時に帰らせる為に、自ら残業をするようになり、利他的な考えを持つようになったのは、成長したとも取れるけど、同時に仕事というものの複雑さを感じた。

仕事効率を上げる以前に無茶な予算の仕事を請け負う事を最初から止めれば良いのに、24時間いつまでも動けるバイタリティを身につければ、何とかなると思っている。違う、そうじゃない。

人は追い込まれればリスクよりも希望的観測に目を向けるようになるし、更にそれを脳内アドレナリンが揺るぎないものにしていき、終いには倒れる。

あの毎日定時で帰る事を決して譲らなかった主人公が徹夜を強いるようになったのだから、仕事ってそんなにも人となりを変えてしまうのかと恐ろしくなった。

この作品ながらの反面教師なのかもしれないが、他人事とも言えない。無理を強いるのは良くないが、その無理の度合いは、みんな違う。でもその度合いを曲げなければ、誰かが無理をする事になる。

その瀬戸際で主人公は変わっていったのだろうけど、流石に本末転倒だと思ったし、他人を変える事はそう容易い事ではないのだなと痛感した。

仕事に対するモチベーションは人の数だけ存在する。過労する事を快感と覚える人もいれば、最低限の労働で済ませようとする人、真面目すぎるあまり、強迫観念に近いものを覚える人まで。

その価値観の違いは世代が違いは、それまでの生き方や環境が違えばあって当然のものだ。

その価値観を互いが互いに譲らないものとしていれば、人間関係に亀裂が走るし、他人に自分の価値観を押し付けようとする。

それが会社内なら、利益やタスクといった形で影響を受ける。結果、残業や赤字に悩まされる事になる。

大抵の人が、定時で帰る事を良しと思うだろう。でも同時に懐疑的な視線を送る人だっている。そんなねじれに捻れた環境で、生きるためのお金を稼いでいるんだから、あまりにもカオスだと思ってしまった。

身の回りのものが変わっていけば、何を喜びと捉えるかも変わってくる。それを理解しないまま一緒に働いていると、「あの人はやる気がない」とか「今時の若いものは」と言った言葉に変わっていくんだろう。

本編中の、仕事の為に無理を強いる社員達とそれを辞めさせようとする社員のやり取りは少し稚拙に思えた。

でもそれは、それだけ当たり前の事を堂々と表現しているからなのだろう。そしてその当たり前を小説だけではなく、TVドラマとしても放送し、人々に働き方の啓蒙を行ったのは、世の中としても変わってきてるのかなと感じた。

こんな話フィクション過ぎると思ったが、今でも何処かで起きている事なのかなと思うと、やっぱ日本人て働きすぎじゃねと思わざるいられない。

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