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詩編1章/歩み、とどまり、座る
人は悪に向かう際に
それに向かい「歩み」、向かってから「とどまり」、最終的には「座り」込んでしまう。
逆に、罪の中に座り込んでいるならば
そこに「座らず」、立ち上がったならば「止まらず」、「歩み」去るべきだ。
悪や罪の状態に座り込んでしまうのは人間の弱さかもしれないが、そこから立ち上がり、神に向かいまた歩き出さなければならない。
列王記下1章/奇跡物語
聖書にはさまざまな奇跡が描かれている。
盲人を癒す、水の上を歩く、パンを増やす、そして復活する。
奇跡物語は大抵、象徴的に解釈される。
盲人が癒された話は「心の盲目が癒されたのだ」という具合である。
近年では復活もそのように解釈される。
「キリストの復活とは、弟子たちの心の中で起きたことであり、キリストはそれほど偉大な道徳的教師だったのだ」云々という具合である。
が、復活のみは他のあらゆる奇
フィリピの人々への手紙2章/よこしまな曲がった時代、不正を好む曲がった世代
・本章
パウロは先ずへりくだりの重要性を語り(1-5節)、神でありながらへりくだり人となられたキリストへの讃美の詩を語る(6-11節)。
そのキリストの讃美詩のあと、パウロは再びフィリピの信徒に従順の大切さを説く(12-18節)。
つまり、キリストに倣うへりくだりと従順により
「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 命の言葉をしっかり保つ
列王記上22章/打たれる羊飼い
・本章
北イスラエル王アハブはアラム人との戦争前に預言者たちの託宣を求める。
が、預言者たちは世俗権力の王に阿って勝利しか預言しない(6節)。
それに対して体制外にいる預言者イムラの子ミカヤは「主がわたしに告げられることをわたしは告げる」(14節)と言い、アラム人との戦争の敗北により
「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散って(17節)」しまうと預言し、また世俗権力に阿っているだ
列王記上21章/「隣人の家を欲してはならない」
ナボトの葡萄畑のエピソードである。
引用したように、古代北イスラエル王アハブは自分の宮殿の側にある葡萄畑を所有するナボトに話を持ちかける。
彼の畑を自分のものにするためである。
ナボトは王からの提案を拒否する。
律法によれば土地の使用権を売買出来はしても、所有権の売買は出来ないからである(レビ 25:13-15)。
これに対しアハブ王は自分のものではない土地を手に入れられなかったことに怒り、極め
列王記上20章/「彼らの神は山の神だから」
本章で古代北イスラエル王国は異教徒であるアラム人たちの連合軍と戦い、勝利する。
異教徒であるアラム人たちはその敗北について次のように解釈する。
この定義、つまりは「主とは山の神である」は妥当だろうか?
これはいくらでも批判できるだろう。
確かにモーセはシナイ山で十戒を授かり(出エジプト記 24:12)、キリストは山の上で説教し(マタイ 5:1-2)、山の上で変容したが(マタイ 17:1-2)、
列王記上19章/手で覆われて、ささやくように、鏡の向こうに
古代イスラエルは出エジプト後、「主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅(申命記 8:2 新共同訳」を経て神と契約を結び
本章において「四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。(列王記上 19:8 新共同訳」エリヤは神と出会う。
キリストは40日間荒野で誘惑を受け(ルカ4:1参照)
またモーセは神との契約際に「四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒
列王記上17章/天から降るパン
本章は預言者エリヤが北イスラエル王国の王アハブを面罵するシーンから始まる(1節)。
前章に記述されているが、アハブとその妻であるシドン人イザベルが唯一の神ではなく、シドン、つまりはカナン民族の神であるバアル神への信仰に傾いたからだ(列王記上16:31-32)。
荒野をうろつく周辺の人は、王という政治的宗教的権威を面罵するのである。
北イスラエルの王アハブを面罵したエリヤは、彼の王国の支配下に
列王記上16章/血統原理と天命原理
列王記の構造は
A.統一イスラエルの南ユダ王国と北イスラエル王国への分裂とその歴史(列王記上1-16章)
B.エリヤとエリシャの預言者物語(列王記上17-列王記下9章)
C.南ユダ王国と北イスラエル王国の歴史と両国の滅亡(列王記下10-25章)
となっている。
列王記のメインストーリーは両国の歴史であり、かつ北イスラエル王国と南ユダ王国はそれぞれ異なる正当性の原理に基づく国家であった。
南
列王記上15章/神聖な金
列王記上15章で南ユダ王国の王アサは「主の目にかなう正しいこと」を行った(11節)と記述されている。
彼は偶像を尽く廃棄し、その熱意は偶像崇拝者の自分の母を太后の地位から取り除くほどであった(13節)。
彼は唯一の神のために金、銀、祭具類を聖別し、エルサレム神殿へ奉納した。
これだけならば
「ああ、素晴らしい敬虔な王という記述ですね」
というだけである。
問いはこの後から発せられる。
本章に
列王記上12章/ここではないどこか
統一イスラエル王国が北イスラエルと南ユダに分裂した経緯が前章の列王記11章から語られる。
かつてイスラエルの民は他人の国であるエジプトで暴君ファラオに奴隷として使役されていたが、神に導かれた彼らはそこから約束の地であるカナンに移住して王国を建てた。
この出エジプトの物語がイスラエルという共同体のベースにある。
列王記上11章にはダビデの子、ソロモンの時代に統一イスラエルへ叛旗を翻す人物たちが書
列王記上10章/ソロモンにまさるもの
本章では現代のイエメンもしくはエチオピアにあったシェバ王国の女王がソロモン王に会いに来る。
彼が知恵者である。との評判を耳にしたからだ。
この挿話は新約聖書でも語られる。
しかしながらこのキリストの語りは現代人からすれば奇妙に感じられる。
知恵者はあくまでもソロモンであると記述されており、シェバの女王が彼に優るとは思えないからだ。
ソロモンには類まれな知恵がある。
しかし、その知恵はどこから
列王記上8章/神殿と執り成し
列王記において、神殿は主の名で呼ばれるものである。
「天も、天の天も納められず、地よりも大いなる存在(参照 列王記上 8:27)」の名で呼ばれる地上の影。
それが神殿である。
地上にあった神殿は天にあるものの写しにすぎない。
我々はやがて、影ではなく、そのものを見ることになるだろう。
・執り成し
本章でソロモンは神に対して祈る。彼はイスラエルの民を執り成しを主に祈る。
30節から始まったこ
列王記上6章/偉大なる建設者ソロモン王
主のために神殿を築いた偉大なる王ソロモンは、同時に神殿よりも巨大な宮殿を自分のために築いた王でもある。
7年の歳月を費やして主の神殿を建設したソロモン王は、同時に、ほぼ倍の期間である13年の歳月を費やしてほぼ倍の大きさの宮殿を自分のために築いた。
また、偉大なる神に捧げられた聖なる神殿は誰が建設したか?
言うまでもないが、それは征服された異民族の奴隷たちを強制労働させてである(列王記上 9:1
列王記上5章/ソロモンの知恵
列王記上3章で善悪を判断する知恵が与えられた(3:9-12)、と語られているソロモンは、本章で文学的な知恵(12節)と自然科学の知恵(13節)も与えられている。
また本章26節ではフェニキアの中心都市ティルスの王とソロモンが条約を締結する際にも神から与えられた知恵が語られる。
つまり外交的、人間関係の知恵も神からソロモンへ与えられたのだと解釈可能かもしれない。
ソロモンには自然科学、人文的教養
列王記上3章/善悪を判断できる心
・本記事は何を書くか
本章でソロモンには善悪を判断する知恵が主より与えられる。
彼のその後の生涯を参考にし、最終的に神であり人であるキリストを通して本章を解釈する。
・ソロモンの知恵
ソロモンは主に「何事でも願うがよい」(本章5節)と告げられた後に上記の内容を願う。
主はこれを喜び、彼のことばに従ってソロモンには知恵、善悪を判断し聞き分ける力が与えられる。
主にこれほど賞賛される知恵を持