聖書にはさまざまな奇跡が描かれている。
盲人を癒す、水の上を歩く、パンを増やす、そして復活する。
奇跡物語は大抵、象徴的に解釈される。
盲人が癒された話は「心の盲目が癒されたのだ」という具合である。
近年では復活もそのように解釈される。
「キリストの復活とは、弟子たちの心の中で起きたことであり、キリストはそれほど偉大な道徳的教師だったのだ」云々という具合である。
が、復活のみは他のあらゆる奇跡と違う性質を持つ。
キリストが人間の道徳的教師、倫理学者ではなく神の子なのはまさに復活したからであり、この部分を信じない信仰は無意味ではないか。