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列王記上3章/善悪を判断できる心

・本記事は何を書くか

本章でソロモンには善悪を判断する知恵が主より与えられる。
彼のその後の生涯を参考にし、最終的に神であり人であるキリストを通して本章を解釈する。

・ソロモンの知恵

「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。
そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」‬

‭‭列王記上‬ ‭3‬:‭9‬ 新共同訳

ソロモンは主に「何事でも願うがよい」(本章5節)と告げられた後に上記の内容を願う。

主はこれを喜び、彼のことばに従ってソロモンには知恵、善悪を判断し聞き分ける力が与えられる。

「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。
あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」‬

‭‭列王記上‬ ‭3‬:‭12‬ 新共同訳

主にこれほど賞賛される知恵を持つソロモン。しかも単なる世俗的な知恵ではなく善悪を判断する知恵を持つ彼の生涯はどのようなものだったか。

・迷う知者、ソロモン

ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。
主は二度も彼に現れ、 他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。
そこで、主は仰せになった。
「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。」

‭‭列王記上‬ ‭11‬:‭9‬-‭11‬ 新共同訳

神から素晴らしい知恵を与えられたソロモンは、しかしながら異教徒の妻たちを愛し、それをきっかけとして神から離れていく。
善悪を判断し、聞き分ける知恵を神から与えられた彼は善とは何か。悪とは何かを知っていながらそれを生きれはしなかったのである。

・内なる人、肉なる人

「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、 わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。

‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭7‬:‭22‬-‭25‬ 新共同訳

パウロはロマ書でこのように語る。
内なる人、知恵が仮に神の律法を善きものと認めていても、肉はそれに反対し我々は善を成せない。知るだけでは善を成せはしないのである。

では、何が善とは何かを知った私たちにそれを行わせるのか。

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。
この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭8‬:‭14‬-‭15‬ 新共同訳‬

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