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列王記上5章/ソロモンの知恵

神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。
(中略)
彼の語った格言は三千、歌は千五首に達した。
彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた。
あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた。‬

‭‭列王記上‬ ‭5‬:‭9‬, ‭12‬-‭14‬ 新共同訳

列王記上3章で善悪を判断する知恵が与えられた(3:9-12)、と語られているソロモンは、本章で文学的な知恵(12節)と自然科学の知恵(13節)も与えられている。

また本章26節ではフェニキアの中心都市ティルスの王とソロモンが条約を締結する際にも神から与えられた知恵が語られる。
つまり外交的、人間関係の知恵も神からソロモンへ与えられたのだと解釈可能かもしれない。

ソロモンには自然科学、人文的教養、人間関係、そして善悪を判断する知恵も与えられた。
超賢人である。
知らないことは何もない。少なくとも列王記では彼という人間をそのように描く。

ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。
ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。

列王記上 11:5-6 新共同訳

知らないことは何も無い賢人ソロモンは、しかしながら、最も重要な知恵を持たずに死ぬことになる。
聖書は彼をそのように描く。

ソロモンの知恵は神から与えられた知恵であった。
神から与えられた知恵で知らないことは何もないはずだが、彼は最も重要な知恵は持たなかった。

ここで疑問に思うのは
「一方的に与えられる知恵で神を知ることは可能だろうか?
神を知るとは双方向的な関係性ではないだろうか?」
ということである。

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