不定期~こどおじ日記(2020年10月21日 水曜日)

2020年10月21日水曜日。晴れ。9時半に起床。午前3時に寝て、正午に起きるという生活をしていたが、やはり気分が上がらないので少しずつ朝型へ生活リズムを戻している。今日は寒いと思い、裏起毛のパーカーを着てみたのだが、意外に暑く、日中はロンT1枚で過ごすことにした。9月23日に適応障害が限界を迎え、会社に行けなくなってからほぼ社会から断絶をしていた。飲み食いもせず一日中布団に潜り込み、夜になって食事をするためだけに外出する、そんな日々を送っていたら、クーラーが必要なくらい暑かった夏からいつの間にか冬の足音が近づいていた。刺激が無いと、時の過ぎるのはあっという間だ。年齢を重ねると時間の進み方が速く感じるというのはそういうことだろう。

明日の引越しのために、事前に実家で部屋の片づけへ行ってきた。42歳になって子供部屋おじさんへ逆戻りである。さらに無職、独身と社会的の評価は最低だ。これこそ無敵の人。生活コストを下げるため、基本自炊となる。冷蔵庫を開けてみたら、卵と野菜が目についた。炭水化物、卵、野菜さえあれば生きていけるな。坂口恭平さんの著書を読んだからか、とにかく何かを「つくる」ことを欲している。最初に浮かんだのは料理だった。自炊が楽しみだ。同居する家族の分もつくるため、バリエーションは豊かにしたい。

実家では両親と姉が住んでいるが、母は20年前から双極性障害を患っている。今日訪問したときも布団に潜り込んで出てこない。自分もうつ病だからよくわかるのだが、精神病は医者や薬のみでは治らない。やや認知症の気も出てきているから、未来は明るいとは言えないけど、何とかしたい気持ちはある。父から、母の飲んでいる薬の種類を教えてもらった。素人目に見れば、躁を抑える薬に偏り過ぎな気がした。一部プラシーボへ切り替えてみたらどうなるだろう。父とも相談しながら、対応を変えていきたい。このままだと、もう福祉施設へ預けるしか手は無さそうなので、何とか食い止めたいが。

適応障害を抱えながら通っていた会社から離れて1か月、底知れぬ不安からは逃れられているような気がする。ただ、失ったもの、それは仕事に対する自信だ。比較的面接は得意なため、再就職は42歳という年齢のハンデはあってもその気になればすぐにでも決まるだろう。ただ、同じように適応障害を発症するのではないか、その恐怖が抜けない。全く厄介な認知の歪みだ。考えすぎて、理想を高く持ちすぎて、自滅している。人間上を見ればきりが無いけど、下を見ても底なしだ。生きる自信を取り戻すために、先ずは丁寧な暮らしを続けてみよう。人だけでなく動物や植物、自然とも対話するのだ。

昼食は福山市の行きつけのインネパ料理屋へ行ってきた。僕は認知があるので、サービスでスープやドリンクが出てくることがある。働いている彼らネパール人は目に見えるほど陽気ではないが、非常に人当りが良い。日本人のように切羽詰まった雰囲気が無く、接客が穏やかだ。人によっては雑に見えるのかもしれないが、僕にとってはお互いに気を遣わず理想的なレストランだ。いつも通り、ランチを注文。日替わりカレーはチキンとエノキのかれーだった。ナンをおかわりして、アイスコーヒーを飲みながらしばしランチを楽しんだ。

今年4月から、不眠を患っていたので刺激を取らないためにカフェインの摂取を控えていた。後々考えると、それが鬱状態を悪化させていた一因だったかもしれない。基本1日に缶コーヒー2本分のカフェインは摂取していたので、相対的に気持ちが持ち上がらなかったのもあるかもしれない。表現を変えれば、カフェイン中毒の気もあったのかもしれないが、結果うつ病が悪化するよりはマシだった。

アパートに戻り、明日の引越しのため荷造りを続ける。その中に貸与されていた制服があったので、保険証とともに勤めていた会社へ送り返した。それにしても、半年間ほど付き合った会社だけど、最後まで曖昧でアバウトだった。離職票もおそらくこちらから依頼しない限り送っても来ないだろう。ただ、社長には良くしてもらったので、それは心残りだ。結局最後の挨拶も出来ないまま、不義理をしてしまった。もう、転職するとしても同業には戻らない。未練はあるが、僕は昔から見切りが下手だ。時には諦めることで未来を見据えたい。

今日はBSで広島対阪神の放送をやっている。明日からは毎日カープの放送を見れるとなると、ちょっとだけ気持ちが落ち着く。RCCのラジオも以前のように聴くことができる。慣れた環境に戻れるというのはホッとする。一気に環境を変えようとしてリセットをしたことで適応障害を発症したので、今後は少しずつ環境を変えていこう。転職だけなら転職、引越しだけなら引越し、結婚だけなら結婚。

結局、倉敷市水島という土地に関しては、何の思い入れも持てなかった。この土地を離れるにあたって、感慨深いものは何も無い。二度と住むことは無いような気が今はする。ただ、今後人生がどうなるかなんで全く分からないのである。

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