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展覧会は刹那的、だから図録を作るのです

展覧会図録を作るのは、楽ではありません。お金もかかります。手間もかかります。

そして図録を作ることは決して義務ではありません。現に図録のない展覧会はたくさんありますよね。

でも、やっぱり私たち学芸員はなるべく図録を作ろうとします。仕事が大変になるのが分かっていても。

なぜでしょう?

自分の業績になるから?

たしかにそれはあります。
図録がなければ、その展覧会を企画したのが誰かなんてわかりません。
逆に図録に、展覧会企画担当として、またテキスト執筆者として名前を載せれば、それは学芸員としての確かな業績となります。

しかし、それもオマケのようなもの。

私が考える図録の必要性とは、アーカイブとして価値があることです。

考えてみれば、展覧会って不思議なイベントです。

何も無かった空っぽの展示室に、集めてきた作品が並び、展示ケースが配置され、壁が立ち、パネルやバナーが付き、照明があたり、気がつけばお客さんを呼べる展覧会会場ができあがります。

会期中、多くの人が訪れた展覧会も、閉幕すればすぐに撤収作業です。
余韻に浸る間もなく、また空っぽの空間に戻ってしまうのです。

そしてまた次の展示作業がはじまる、という。

これを繰り返していると、どうしてもある種のむなしさのようなものを感じてしまうのです。

がらんどうの展示室に立つたびに「あの展覧会はなんだったんだろう」という思いが頭をよぎります。

展覧会を観に来てくれた人の心には何かが残ったかもしれません。でも、それは学芸員の私には知るよしもありません。

そして、展覧会は1つとして同じモノはありません。同じ作品を集めて、同じ展示方法をすることは、まずありません。
たまたま、何らかのテーマで一堂にそろった作品たち。それもまた散り散りになって、二度と揃うことはないというのも、なんとも刹那的です。

だから、一度きりの展覧会、その記録を残すためにこそ図録を作るのです。

図録がなければ、展覧会は流れ去っていくのみで、終わってしまえばもはや跡形もありません。
図録という形で残していくからこそ、美術館の歩みがきちんとアーカイブになるのです。それは展覧会を行った美術館だけでなく、図録を買ってくれた人、図録を献本した外部の図書館や美術館にも、記録されていくということです。

なんとなく図録の意味が伝わったでしょうか?

図録を作ると作らないとでは、展覧会準備のハードさに天と地ほどの開きがあります。それでも、何とか図録を作ろうとするのは、記憶だけでなく記録として、展覧会を手に取れる形で残したいと思うからなんですよね。うん。

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