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誰もがちょっとデザインできる時代に生き残るデザイナーの話[学芸員の仕事論]

今回は美術館学芸員の仕事論です。でも、きっと他業種でも似たようなことはあるはず。思い当たるところがあれば、コメントしてください。

結論を先に言うと、専門外のことに手を出し始めるとそこは地獄の一丁目だよ、そうならないためには、という話です。そしてタイトルの通り、デザイナーさんのこれからについて最後にまとめてます。
えらそうに語りますが、半分以上は自分の反省文です。


先日デザイナーさんと打ち合わせをして

美術館で行う展覧会。広報をしなくてはいけないので、当然チラシ(かっこよく言うとフライヤー)やポスターを作ります。

そんな時はデザイナーの方に依頼をします。広報物以外にも、図録やミニ冊子、展示室内のバナーやパネルなどデザインのプロの出番は多いです。

先日、仕事でとあるデザイナーさんと打ち合わせをしていた時の話です。
その人は他の美術館の仕事もやっていて、うちも何度かお願いしている人なので、最近どうですか〜みたいな雑談をしていたのですが、その時に「ん〜、学芸員さんが結構ご自分でデザインまでやってしまうので、仕事が少ないんですよ」というぼやきを聞きました。

「へー」とか言いながら、内心はドキッですよ。

これは私も耳が痛くて、うちの美術館にしてもしっかりプロに依頼することもあれば、予算をかけられない時は仕方なく自分たちでチラシのデザインをこさえることもあるのです。

やろうと思えばやれる環境ができてしまった

いや、言い訳をするとですね、今はデザイン環境が整いすぎているんですよね。

まずグラフィックソフト。
Adobeのフォトショップやイラストレーターの機能がどんどん上がってますね。フォトショやイラレが使えれば、それも使いこなすレベルではなく基本的な動かし方がわかっていれば、もうそれっぽいデザインはできます。
チュートリアル動画はYouTubeにたくさんありますし、「こんな感じの効果を文字に追加したい時はどうすればいいんだ?」と思った時は、検索すればだいたいピンポイントで解説したWEBページが見つかります。

書籍も充実しています。色づかいのコツ、レイアウトのコツ、ぱっとみてそこそこ様になるようなデザインの方法をまとめた本が書店にいけばたくさん見つかります。

そのあたりを参考にしながらやれば、学芸員でもデザインをやってやれないことはないわけです。

仕事に線引きは無く、器用な人は重宝される現実

学芸員は雑芸員と言われるぐらい、まぁあれこれやります。決して作品研究だけをしていればいいわけではありません。
ここまでをやるのが学芸員の仕事、ここから先は学芸員の仕事ではない、みたいなはっきりとした線引きがないので、やろうと思えばどこまでも手を出せてしまうんですよね。

そして、どこも同じでしょうが、人員や予算には余裕がありません。だから学芸員が1人であれこれできれば、当然重宝されます。

学芸員って無駄に器用な人が多いから、時に教員のようなことを、時に司書のようなことを、そして時にデザイナーもどきのことを、片手間でやろうとしてしまうわけです(どれも本業にはとてもかなわないレベルなのですが)。
組織からすれば便利な存在です。1人何役もやってくれるということは、外注費など目先の費用をおさえられますからね。

その行き着く先は?を想像してみよう

器用貧乏な学芸員には二つの問題があります。

一つは、人の仕事を奪ってしまっていること。
もう一つは、本来の業務に割く時間が削られること。

一つ目は、言わずもがなですね。
学芸員が素人仕事でチラシのデザインをやってしまうと、冒頭のデザイナーさんのぼやきのように、デザインを生業とするプロの仕事がなくなってしまうのです。
仕事がなければ、安い仕事でもやらざるを得なくなり、大半のデザイナーの賃金が低下していくことも懸念されます。

もう一つ、学芸員が本来やるべき仕事に割く時間が減ってしまうのも大きな問題です。
本来やるべき仕事とは、言い換えれば一番価値を生み出す仕事です。
いい展覧会を企画して、鑑賞者の心に何かを残し、結果的にその美術館の存在価値を高める、美術館のファンを作る、それが学芸員が生み出すことができる本当の価値のはずです。

それをやらずに他の業務に時間を割いてしまうのは本末転倒でしょう。

問題は数字で結果を出せないことと正直楽なこと

ここで難しいのは、学芸員が本当に生み出すべき価値、とかっこいいことを言っても、それが目に見える形で、もっと具体的に言えば数字としてなかなか反映されないことでしょう。

例えば、学芸員がチラシのデザインをプロに依頼して、自分は展覧会の企画に打ち込んだとします。おかげで本来の仕事にかける時間は1.5倍に増えました。
その結果、開幕した展覧会の入館者数がそれまでの1.5倍に増えるかと言えば、必ずしもそうなるわけではありません。
だったら、目に見える形で外注費が減る方がありがたがられるのは無理も無い話ですよね。

そしてもう一つ、本当の意味で問題なのはむしろこっちの方なのですが、

本来の仕事で誰にも文句を言わせないぐらい結果を出すよりも、あれもできます、これもできます、という器用さで評価される方が楽なんです。

うわー、過去の自分に言ってやりたい!!

それは逃げでしかないんですけど、自分でもそのことになかなか気がつけないんですよね(本人談)。

じゃあどうする。圧倒的なプロの技にふるえる経験をするしかない

周りからも重宝され、自分でも仕事をしている気になれる器用貧乏、エセデザイナー状態から抜け出すためにはどうすればいいか。

結論から言えば「デザインは私できません」と断るだけなんですよね。

ぶっちゃけその世界に生きていない人は、デザインができるということがどういうことなのかよく分かっていません。だから「デザインができない」と言われれば、そりゃそうだと普通に納得します。

だから本当に必要なのは、他人ではなく本人の意識改革なのです。
「そうは言っても、自分でもやろうと思えば、ちょっと時間をもらえれば、デザインぐらいできるし」という気持ちがある限り、みんな喜んでくれるし、自分も仕事をした気になれるから、やっぱりデザインもやっちゃうか、となってしまいます。

それを変えるには、圧倒的なプロの技にふるえる経験をするしかないでしょう。

良いデザイナーと仕事をして、その抜群の完成度を目の当たりにした時、ようやくデザインもできると思ってた自分が恥ずかしくなるのです。

学芸員の考える、これからのデザイナーの生き残る道

だからデザイナーの方にお願いです。仕事をする時は圧倒的なプロの仕事ぶりを見せつけてください!

「いや、そこまでハードル上げられると、ちょっと困るっす…」というデザイナーさんもいるでしょう。しかし厳しいことを言うようですが、技術の進歩がそれを許さなくなっているのです。現実と向き合うしかありません。

最近はAIアートが話題ですよね。
条件を設定するだけでAIが立派なイラストを即座に制作してしまい、その完成度も人が作ったものと遜色がなくなってきています。
見た目をきれいに整えるぐらいなら、もはやプロにお金を払ってやってもらう理由がなくなっているのです。

「いや、素人がいくら最先端のツールを使っても、やはり出来が甘い。ほら、例えばこのフォント、あと1mm左にずらした方がまとまりがよくなるでしょ」等と、細かなポイントにひたすらこだわっていても未来はありません。そういうのは佐藤可士和がやるから説得力があるのです。

でもですね。実は、私はそこまで難しく考える必要はないと思っています。プロであればデザイン力は誰でも一定のレベルを超えているでしょう。
であれば、これからの時代にデザイナーに求められる能力は「質問力」「提案力」です。どういうことかって?詳しくはもうここ(↓)で書いてました。

これを書いた時は「ここまでデザイナーさんに求めるのはわがままかな、贅沢かな」と思っていたのですが、いやはや時の流れが速すぎる。気づけば「質問力」「提案力」を備えていることがデザイナーとして生き残る必須条件と言わざるを得ない、そんな状況になっていました。まさにVUCAです。

VUCA=Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとった言葉。未来の予測が難しくなったいまの時代を指す。

人と人が仕事をする意味、人と人だから生まれる付加価値、そんなところをきちんと意識しておかないといけない、という非常に人間くさい結論となりました、とさ。
逆に言えば、そこをきちんとおさえておけば、むしろどこでも必要とされるのではないかな、と思います。


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