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美術館の照明は学芸員からのメッセージ [展覧会の舞台裏]

美術館や博物館でこんな案内を見たことないですか?

薄暗い展示室の中で、ほのかな照明に照らされて浮かび上がる作品は、なんだかとても貴重なものに見えるけれど、鑑賞するならもっと明るい方がいい気もしますよね。

実は美術館の照明って、とても奥が深いのです。作品を生かすも殺すも照明次第。今回は「美術館の照明」にスポットを当てて(!)お話したいと思います。

保存の観点からみた照明

最初に大原則を。美術館も博物館も、資料(美術館なら美術作品)の収集、保管、展示、調査研究が主な事業です(博物館法でそう定められている)。その中で「保管」「展示」、この2つは相反するものです。ベクトルが真逆、といっても過言ではありません。

保管、つまり作品の保存だけを考えるなら、作品はずっと収蔵庫にしまっておくのがベストです。でも、美術館は展示を通して文化を発信する場所ですから、そうもいきません。

展示をするとなると、作品に照明をあてる必要があります。スポットライトで個別にあてる場合もあれば、部屋全体を照らす天井の照明(ベースライト)だけで見せる場合もあります。いずれにしても真っ暗では鑑賞できませんからね。

作品保存の観点から言えば、光をあてる=ダメージを与える、です。これは決しておおげさに言っているわけではありません。

光というと、私たちが認識できる可視光線以外にも、紫外線や赤外線といった人の目では見えないものも含まれます(小難しい話をすると、1nm〜1mmの範囲の波長をもつ電磁波が広義の光であり、そのうち380nm〜780nmの範囲が可視光線と呼ばれる狭義の光です)。

パナソニックHPより

太陽光にも紫外線が含まれていますよね。そして紫外線がお肌に悪いことはみなさんご存じの通り。作品も紫外線をあびると、色が褪せたり、素材が変質していきます。
赤外線も照射した対象に熱的な作用を与えるので、作品の収縮やひび割れを引き起こします。
いずれも即座には分からないな劣化速度ではありますが、着実にダメージを受けるのです。

可視光線領域内でも、紫外線に近い波長(380~450nm)は、紫外線ほどではないにしても作品の損傷を引き起こすため、注意が必要です。

そんなわけで、照明学会、ICOM(国際博物館協会)などいくつかの団体が、展示照明の基準値を設けています。素材によって、光に比較的強いもの、弱いものがあるので、それによって基準値が変わります。

・光に敏感なもの(染織品、日本画、水彩画、印刷物、皮革品など)=推奨照度50lx
・光に比較的敏感なもの(油彩画、木製品、漆器など)=推奨照度150lx
・光に敏感でないもの(金属、石、ガラス、陶磁器、宝石など)=推奨照度500lx

また、CIE(国際照明委員会)が2004年に年間累積照度という新たな基準を発表しました。一度にあてる照度に制限を設けるだけでなく、一年を通じて累積されるダメージにも焦点を当てたという点が新しい部分です。

・光に最も敏感なもの(絹、変色しやすい色素、新聞、浮世絵など)=制限照度50lx、年間累積照度15,000lx h/y
・光に非常に敏感なもの(布、水彩画、日本画、印刷物、自然史関係標本など)=制限照度50lx、年間累積照度150,000lx h/y
・光に比較的敏感なもの(油彩画、テンペラ画、フレスコ画、骨、象牙、木製品、漆器など)=制限照度200lx、年間累積照度600,000lx h/y
・光に敏感でないもの(金属、石、ガラス、エナメルなど)=制限照度 無制限、年間累積照度 無制限

これに基づくと、例えば退色しやすい浮世絵は、照明を50lxに絞ったとしても、一年間に累積照度15,000lx h/yまでしか許容されないことになります。15,000/50=300ですから、展示可能な時間は300時間という意味です。一日の開館時間が8時間であれば、37.5日間が展示期間のリミットとなります。

とは言え、日本の美術館でこの累積照度をいちいち計算して、展示期間を考えているところは私の知る限り無く、「脆弱なものは展示期間一カ月間まで」などとざっくり規定を作っているところが多いです。

いま、日本の美術館・博物館の6割以上は、照明にLEDライトが使われています。LEDは、それまでの白熱灯(ハロゲン灯)や蛍光灯に比べて、低消費電力、長寿命というメリットがあります。

LEDは、ハロゲン電球の20倍、蛍光灯の4倍程度の寿命で、おかげさまで会期中に電球が切れたから焦って交換しなくては!みたいなことがなくなりました(そもそもLEDは明るさが70%まで落ちた状態を寿命と定義しているので、基本的に蛍光灯のようにつかなくなる、ということは無いらしいです)。

それに加えて、有害な紫外線や赤外線の放射が極めて小さいという大変ありがたい特徴があります(今までも蛍光灯は紫外線吸収膜つきの美術館・博物館用蛍光灯という種類が使われていましたが)。

先ほど挙げた展示照明の基準値はいずれもLED照明が普及する前に設定されたものなので、LEDならもう少し照度を上げても大丈夫なのでは?という気もするのですが、

同等の色温度、照度のもとで、白色LEDによる変退色等の変化が、従来光源と比して大きく変わるという実証データは今のところなく、従って照度基準を変更する動きも現時点ではない。

「光による資料への影響の抑制と白色LED展示照明の現状について」吉田直人(文化財活用センター保存担当室長)『文化財の虫菌害』76号(2018年12月)

だそうです。ようするにまだ基準値を変えるだけのデータが集まっていないということでしょう。てなわけで、とりあえずLED照明になっても、今までと同じぐらいの感覚で照明の明るさを考えるようにはしています。

50ルクスとか150ルクスとか言われてもピンときませんよね。こういう照度は照度計で計測できます。照度計はピンキリで色々ありますが、目安程度なのでまぁそんなに高いものじゃなくて良いと思ってます。

でも実際のところを言えば、学芸員は最適な明るさを目の感覚で覚えているので、いちいち測ることはしません。「今回は日本画なのでこれぐらいにしておくか」「今回は油彩画だからこれぐらいまで明るくしてもいいか」と、判断してる感じですね。

以上、ちょっと小難しくて退屈な話をしてしまいましたが、ここで言いたいのは、展示室が暗いのはちゃんと理由があるんだよってことです。

鑑賞の観点からみた照明

さて、保存の観点からも大事な照明ですが、鑑賞体験を演出するという意味でも照明は非常に重要です。

私、有明のパナソニック本社まで行って照明研修を受けたりしていますが、とにかく照明は奥が深い!私もまだまだ勉強中で、日々の展示業務の中で実践中です。

彫刻などの立体作品が、照明の当て方によって表情が変わる、というのは直感的に理解できるかと思います。全体的にふんわりと光を当てれば優しい印象になりますし、彫りの陰影が際立つように光を当てればやや厳格な雰囲気になります。下から光を当てれば恐ろしげな表情に変わることも(子供が懐中電灯でよくやるやつ)。

じゃあ、絵画のような平面作品は照明があまり重要ないか、と言えば、もちろんそんなわけはありません。

平面といっても、絵画作品だってつるっつるの真っ平らではありません。洋画であれば額がありますね。分厚い額、装飾的な額、色々あります。
照明の角度によっては、この額がつくる影が画面にかかってしまいます。もちろん影をゼロにはできませんが、自然に見えるよう注意しなくてはいけないのです。

油彩画は、薄塗りの画家もいれば、粗いタッチをみせる画家もいます。タッチが特徴的な画家であれば、その凹凸がわかるような照明をするのもありですね。ただやりすぎるとくどくなって、絵の良さを殺してしまうのでバランス感覚が試されます。

日本画の掛け軸に関して言えば、巻いている状態が基本なので、横方向に折れ線が無数についてしまっているものが多いです。こうした作品に対して、上から光を当てると、折れ目が際立ってしまい、ものすごく痛々しい状態の作品に見えてしまいます。もし満身創痍の人が舞台に上がってきたら観る方は心配で芝居の内容が頭に入ってきませんよね。それだと困ってしまうので、そんな時は光を当てる角度をゆるやかにするか、下からも光を当てて影を打ち消すかすれば、ダメージは目立たなくなります。

それから、日本画の顔料で群青や緑青という色があります。群青はアズライトという鉱石を粉末にしたもの、緑青はマラカイトという鉱石を同じく粉末にしたものです。天然石から作られた顔料自体がもつ美しい煌めきを、照明でサポートするのもまた一興です。

LEDライトについて先ほど少し触れましたが、メーカーや機種によっては照度を変える調光だけでなく、色温度を変えられる調色機能のついたライトもあります。色温度を変えることで、温かみのあるややオレンジがかった色(色温度が低い)にも、無機質でクールな印象を与える白っぽい色(色温度が高い)にもできる優れものです。
この色温度によって作品のイメージはがらりと変わるので、ここも工夫のしどころです。

あ、肝心なことを忘れていました。作品をよく見せることばかり考えて照明を決めていると、実際に作品の前に鑑賞者が立った時、その人の影がばっちり作品にうつってしまうというのもやりがちな失敗です。作品と照明スポットを結ぶ直線上に人が立つ形になると、当然ですが影がうつってしまうので、それを見越した位置に照明はセットしなくてはいけません。

また、アクリルやガラスのはまった額装作品が多い展示の場合、予期せぬところで作品に光が映り込み鑑賞者にまぶしさを感じさせてしまうことがあります。一度照明が全部仕上がっても、一通り鑑賞者の気持ちで展示室を見て歩き、目に直接光が飛び込んでくるような不快な点がないかを確認するのも大事な一手間です。

とまぁこんな具合に、思いつくままに挙げただけでも気にしなくてはいけないことが多々あるのが美術館の照明です。あちらを立てればこちらが立たずで、100点満点の照明はありえませんから、優先するものが何か、妥協するものは何か、ということを常に考えながら照明を調整します。

それだけ複雑で奥が深いものなので、照明だけを専門とするプロも美術館業界には存在します。
特に大会場の展示となると、学芸員ひとりでは手に負えませんから、展示を一通り終えた段階で照明の専門業者に入ってもらうことがあります。芸大美術館なんかは灯工舎という会社に委託してるんじゃなかったかな(今ちがったらごめんなさい)。
また、東京国立博物館にはデザイン室という部署があり、照明デザイン担当の研究員さんがいます。海外では展示デザイン担当者や照明担当者がいる例がありますが、日本では珍しいですね。

まとめ

大きな美術館でも小さな美術館でも、照明は展示の大事な仕上げにあたります。たとえが適切かは分かりませんが、照明はお化粧のようなもので、学芸員としては大事な作品を少しでもきれいに見せたいから、最後まで気が抜けません。もちろん保存のこともあるので、必要最低限にしながら最大の効果が出るような、そんなアクロバティックなことをやっております。

照明によって学芸員は、ここを見て!ここがすてきでしょ!というメッセージを伝えているつもりです。
ぜひ展覧会に行った時には、作品から一歩離れて、照明がどんな風に使われているか見てみてください。展示の楽しみ方が少し深くなると思いますよ。

[最新の展示照明を体験したい方へ]

パナソニック汐留ミュージアムは、LED照明を開発しているパナソニックの美術館です。ジョルジュ・ルオーのコレクションが有名ですが、企画展もいろいろやってます。展示は自社商品のアピールの意味もあるので、こだわった照明が体験できますよ。

本記事は【オンライン学芸員実習@note】に含まれています。


バックナンバーはここで一覧できます(我ながら結構たくさん書いてるなぁ)。


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