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「日本美術史」を講義するためのごく個人的な助走

最近、「日本美術史」についてあらためて考えています。なんでかって、今度ちょっと大学で講義する機会があるので。しかしながらまぁ、恥ずかしながら、分かっているようで分かっていなかったな、と(大丈夫か、おい)。

いや、もちろん学芸員なので、この時代にはこんな作品があって、こんな様式が流行して、次の時代にこんな影響を与えて、ということは頭に入っていますよ(ただし専門外のところを深くつっこまれると、ぼろが出ます…)。
でも、大学や大学院で日本美術史を学んだのなんて、もはや遠い過去。そこからは現場に入って、曲がりなりにも学芸員としてやってきましたが、その都度企画する展覧会に関わるテーマに関しては掘り下げてある程度詳しくなるものの、通史的な視点(古代〜中世〜近世〜近代)というのはあまり磨いてこなかったな、と反省しています。

はてさて、それじゃあ「日本美術史」とは何だろう、という話から始める必要がありそうです。自分のために。

「日本美術史」のはじまりはじまり

ちょっとかっこつけて言うと、「歴史」とは、常に後の時代の誰かが作り上げるものです。何を残し、何を捨てるか。そこには必ず歴史を編む者の意図が介在します。

日本美術を通史で体系的にとらえた「日本美術史」がいつ生まれたのかは、実ははっきり分かっています(「日本美術」の「日本」とは?「美術」とは?という定義の問題もありますが、それはまたあらためて)。

日本美術史の初出は、1900年(明治33)のパリ万国博覧会に日本が出品した『Histoire de l'art du Japon』です。そう、日本語ではなくフランス語だったのです(翌年、日本では『稿本日本帝国美術略史』として刊行)。これは農商務省の依頼を受けて、岡倉天心を中心とした帝国博物館が編纂しました。

それ以前の江戸時代にも、絵師の狩野永納がまとめた『本朝画史』(1679年)や、これまた狩野派出身の朝岡興禎が著した『古画備考』(1850年起筆)などがありましたが、いずれも画人伝の集積であり、体系的な通史とは異なるものでした。

話を戻すと、ようするに日本初の美術史は、国家事業として作られた官製「日本美術史」だったのです。最初の日本美術史が日本語ではなく外国語で綴られ、海外に向けて発表されたというのはとても象徴的です。
このことを『明治国家と近代美術』で鋭く指摘したのが、東京芸大の佐藤道信先生です(「氏」と書くと論文みたいだし、「さん」だと馴れ馴れしい気がするので、ちょっと悩んで「先生」に落ち着きました)。

佐藤先生によれば、日本美術史編纂の目的は、近代国家日本が西欧に並ぶ歴史・文化を持つ一等国であると表明することだったといいます。その基盤には、近代日本が国づくりの軸に据えた皇国史観(日本は古事記や日本書紀が描く神話の時代から、万世一系の天皇が治めてきた由緒正しい歴史の国ですよ、というもの)がありました。

『稿本日本帝国美術略史』の、つまり最初の日本美術史の時代区分は、「推古天皇時代」「天智天皇時代」「聖武天皇時代」「桓武天皇時代」と天皇による区分けから始まり、「藤原氏摂関時代」「鎌倉幕政時代」「足利氏幕政時代」「豊臣氏関白時代」「徳川氏幕政時代」という政権による区切りが続いています。朝廷や政権に基づいて区切っていたわけですね。

このような時代区分が、その後もそのまま続いたわけではありませんが、日本美術史が成立した時に何が意図されていたか、については頭にとどめておくべきでしょう。

時代で区切る日本美術史のわかりにくさ

さて、今は日本美術史の時代区分といえば、ざっと

・先史・古墳時代(縄文・弥生・古墳時代)
・飛鳥時代
・奈良時代(白鳳・天平)
・平安時代
・鎌倉・南北朝時代
・室町時代
・桃山・江戸時代初期
・江戸時代中期・後期
・近代
・現代

こんな感じが一般的でしょう(参考『日本美術史』美術出版社)。

でも、この通史的な視点で日本美術をとらえていくのも、個人的にはすんなり納得できないんですよね。いや、単純にわかりにくい気がするんですよ。

どういうことかと言うと、例えば、教科書的存在の美術出版社版『日本美術史』をパラパラ読み直してみると、こんな章構成と見出しで話が進みます(括弧内は私の補足説明です)。

【平安時代後期】
定朝様式の展開(仏師定朝から展開する和様の仏像表現)
仏画と絵巻(中国の影響から脱した日本独自の絵画表現の登場)
祈りと飾りの造形(蒔絵などの工芸意匠にみる優美な表現)
【鎌倉・南北朝時代】
宋風と和様(洗練された宋風建築の影響を受け和様建築へ)
慶派の出現(運慶・湛慶・快慶らによる鎌倉彫刻)
鎌倉絵画の和風(詫磨派の仏教絵画や密教絵画、垂迹画)
肖像画の時代(禅宗の頂相、天皇影や伝頼朝像の似絵)
巧緻化する工芸(金工、漆工にみる技法の複雑化、巧緻化)

わかりますかね。時代ごとに語ろうとすると、仏像の話、絵画の話、工芸の話、建築の話がぶつ切りのように出てきてはまた別のジャンルの話になって、結局流れがどうなっているのか分からないのです。

だから、もっと絵画なら絵画、仏像なら仏像、やきものならやきもの、という具合にジャンルごとに通史的な説明をした方が、頭に入りやすいというか、腑に落ちやすい気がするんですよね。その上で、ジャンルを超えたゆるやかな共通性が時代ごとにあるなら、そう説明すればいいわけで。

と思っていたら、何と既にそういう本がありました。2019年刊行の『教養の日本美術史』(古田亮監修、ミネルヴァ書房)です。

この本の特徴は、通史的な側面も持ちつつ、ジャンル史で構成されている点です。その意図は次の通り。

彫刻史、工芸史、建築史、書道史、そして絵画分野から水墨画史、やまと絵史、浮世絵史を章立てて通史と同等のヴォリュームを与えている。(略)これまでの概説書では、やまと絵は平安時代、水墨画は室町時代に隆盛したと記述されているのみで、その後の展開を追っているものは少ない。時代史からとらえれば確かに、その時代を特徴づけるに至る新たな分野を重点的に学ぶことは効率的かもしれないが、それだけでは、近代にまでつながる連続的な関係性が抜け落ちたり、なかったことになりかねない。

古田亮「序章 時代区分から見た日本美術史」『教養の日本美術史』

うわーぼんやりと私が考えていた問題意識が、ばしっと言語化されています。さすがは古田亮先生(現・東京芸大教授)です。参りました、参考にさせていただきます。

で、なんのために学ぶのさ?

では、最後に。

「日本美術史を学んで何か意味があるの?」

もしそんなことを学生さんに聞かれたら、どうしましょう。考えたこともなかったから、あわあわしてしまいそうです。備えあれば患いなし。想定問答を考えておきましょう。

過去の歴史を学ぶことは、今を考える視点に深みを与える、的な教科書的な回答がありますが、実際そんな実感ありますか?普通ないですよね。

じゃあ自分はなぜ日本美術史を学ぼうと思ったんだっけ?と思い返してみると、そんなに深い意味はなくて、何となく面白そうだったから、なんですよね。本当の初めは、何かの本の片隅に載っていた光琳の『燕子花図屏風』の挿図だった気がします。
でかじってみたら面白かったから、もうちょっと知りたくなって掘り下げて、そうしたらさらに興味がわいて、とその繰り返しで気づけば学芸員になっていました。

私の場合はたまたま日本美術史でしたが、深みにはまる対象は人それぞれ違うはずです。そう言えば、私も心理学や社会学、文芸、デザイン史、西洋美術史、いろいろかじっていました。結果的に日本美術史が残ったというだけです。だから日本美術史こそ最高!みたいに特別プッシュする気はないのです。

少なくともある程度学んでみないと、自分にそれが必要なものかは判断できないはずです。それなのに、やる前に「何か意味があるか?」「何か役に立つのか?」と品定めしようとしていると、もしかしたら自分が仕事であれ趣味であれ、生涯を費やそうと思えるぐらいバシッとはまる何かとの出会いを逃してしまうかもしれません。
それは本当にもったいないことです。

そもそも人文系の学部なんて、その何かを見つけるために行くようなものじゃないですかね。だから、気になることはかたっぱしからやってみればいいと思うし、むしろ今それをやらなくていつやるの?と言いたいのです。

うん、そんなとこだな。

というわけで「日本美術史を学んで何か意味があるの?」ともし聞かれた時には、「別に意味はないし、特別役に立つものでもないよ」と堂々と言ってあげたいと思います。「でも、もしちょっとでも興味があるなら勉強してみてもいいかもね。気づいた時にはあなたにとって意味あるものになっているかもしれないから」と続けて伝えましょう。

いやだめだ、これじゃ禅問答だ。こんなこと言われてもポカンですよね。まぁ、もうちょっと考えてみることにします。


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