僕らは消費者にしかなれないのか

 本、音楽、映画などのコンテンツへの好きがより一層深まったころ、僕の中にふと浮かんだ、永遠の消費者にしかなれないのか。一生自分に問い続けることは避けたい。

 僕の世界で一番好きな人は、消費者がいるから私たちみたいに製作者が存在できているって言ってた。(彼女は美術系の大学に行っている)もちろんその通りなのだけど、幼いころから憧れに近づくことを繰り返してきた私の人生、これからもこの思いを抱えながら、大学を卒業し、仕事をやっていくのか。突き詰めていけば、世の中にある仕事も自分で考えて利益を上げていくという点で、クリエイターに近いのかもしれない。しかし、自分の中の好きな世界観を表現するという点では、なんだか違う気がするのだ。

 Laura day romanceの鈴木迅くんが言っていた言葉が脳内で反芻されている。いろいろな作品を吸収して、音楽としてアウトプットしている。すごくかっこいい。その音楽が他の人の世界を変れたらいいという思いで作っているらしい。本当にありがたい、すごく変わりました、僕の中の世界は。

 バイト中に考えていたのだけど、僕もいろいろな作品を吸収して、自分の人生を制作している最中なのかもしれないと思った。そう考えたら、自分は製作者であり。友達や家族は僕を消費する消費者だ。まあ人とほぼ会わないので、消費されることは少ないのだが、僕の考えを好きだと言ってくれる友達はいるし、いい自分を作れてるってことになるのかな。

 自分の好きな家具を買って部屋をアレンジするだとか、好きな服を買うとか、髪型を変えるとか、それってセンスじゃないですか。もう完全に自分を作り出しているクリエイターはあなただ!(確信)

 なんて確信を持っていたら、べてらんちが同じようなことをnoteにまとめていて、より一層確信が持てた。

 いろんな作品を吸収して、自分が変えれるものを変えていく、それをちょっと先の方、他人の生活まで影響を与えられるのが、小説家だったり音楽家なんだと定義しておこう、自分のために。


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