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「クリエイター」なんかみんな死ね

 「クリエイター」とかいう訳のわからないフワフワした肩書きの奴を見ることがある。おまえも見たことがあると思う。俺はそいつらの全員が嫌いだ。

 YouTubeなんかやってると、得体の知れないプチ有名人(俺もそのひとりだ)に会ったり、ネットでつながったりすることがよくある。そのなかにも「クリエイター」はうじゃうじゃいる。「クリエイター」って何なんだ。何をクリエイトしてるのか言えよ。「動画クリエイター」とか「ゲームクリエイター」ならわかる。

 「クリエイター」ってなんだ。神か?

クリエイターは「光をクリエイトせよ」と言われた、すると光がクリエイトされた。クリエイターはその光を見て、良しとされた。
『創世記』

 しょうもない、良い加減にしてくれ。「クリエイター」という言葉がいつから人口に膾炙したのかはわからない。何かを創作してるやつが偉い、という風潮があると儲かるやつが、「クリエイター」という言葉をカッコよくプロデュースして、流行らせているんだと思う。UUUM、お前のことを言ってるんだ。



 何かを作ってるやつを神話化するのは、金になるから都合がいい。YouTubeはもちろん、お笑いも音楽も小説もマンガも映画もゲームもファッションも、「天才」の才能や努力を描いて人生を消費させるのが一番金になる。高校野球と同じだ。でも、本来、なにかを作って見せることに権利なんか必要なかった。

 昔よりもすこし有名になって、俺も何度か、舞台の上から、もしくは画面の中から、聞いてくれている人に向かって「表現とは…」みたいな講釈を垂れたことがある。気持ち悪いけど仕事だから仕方ない。

 そういう時、聞いた人に「自分は何も創作してないから……」みたいな謙遜をされることが多い。謙遜するな。お前らみたいな奴が謙遜するから「クリエイター」がつけ上がる。誰だって真剣にやれば良いものは作れる。やるかやらないか、それだけだ。




 俺が「クリエイター」を嫌いなのは、昔の自分が「クリエイター」にコンプレックスを持っていたことを、まだ覚えているからだと思う。

 俺はずっと、誰かに自分のことを伝えたかったが、「クリエイター」になれる気はしなかった。「クリエイター」は神話化すると同時にどんどん様式化していて、ロックバンド、漫画家、芸人……とみごとに体裁が固められている。そんなフォーマットに自分を押し込めたくなかったし、押し込めるとも思えなかった。

 短歌をつくって文章を書くようになるまでの18年間、俺は自分のことを誰よりも面白くてセンスがあると思っていたけど何もできなかった。お笑いも音楽も大好きだったしすぐにでもやりたかっあけど、プロの「クリエイター」になれずに趣味としてやるだけなら、やっても仕方ないと思っていた。そんなはずはないのに。

 昔の俺みたいなやつが世界を「クリエイター」と「消費者」に二分していく。聞け、クリエイターと消費者に線引きなんかない、人間がいるだけだ。種類なんかない。



 俺は、おまえが書いた感想も、おまえがつけたクソリプも、おまえの作品として読んでいる。

 はじめは、舞台と観客に高さの差なんてなかった。舞台を高くした方が、遠くからでも客に見てもらえて、金になるから、そうしてるだけだ。お前が俺の話で笑っているとき、笑っているお前の顔を、俺も見ている。

 「クリエイター」面したがるやつは怖いんだと思う。何者かになりたいという欲望、それを満たしてくれる肩書き。何者かになりたいという薄汚い欲望を「クリエイター」的な雰囲気で誤魔化してはいけない。どれだけ見てくれる人が増えても、根っこにある不安や渇きが消えることはない。おまえも、それを望んでいないはずだ。

 創作の苦しみ、みたいなものもどうでもいい。作るのが楽しいから作りはじめたはずだし、そうじゃないなら辞めればいい。創作が苦しいんじゃなくて、創作をきっかけに有名になったり金が動いたり人が動いたりするのが苦しいだけだ。創作は悪くない。「クリエイター」にしがみつくのは、金が欲しいか、褒められたいか、どっちかだろう。

 創作している人間に敬意なんか払わなくていい。同時に、創作している人間をモノ扱いしてけなすのもおかしい。「細田守、家族とかヒロインとか不得手なものは捨てて長所を(男の趣味が日本一よい)を生かせ…」「最近の米津玄師は売れ線JPOPの広告代理店バラードばっかり……」、これらはぜんぶ、消費者の信者じみた姿勢と裏表になってる。



 〈創作〉を俺らの手に取り戻す必要がある。何かを作ることは誰にでもできる。金になるやつとならないやつ、有名になるやつとならないやつがいるだけだ。「クリエイター」なんてどこにもいない。おまえが自動販売機でお茶じゃなくてジュースを買うのも創作だし、外科医が誰かのからだを刃物で切り刻むのも創作だ。

 究極的には、俺とおまえが創作しているのは自分自身の人生であって、その途中で何かをアウトプットするかしないかは、結果の話でしかない。作ってるか作ってないかはどうでもいい。俺はなにかを書くようになる前から、自分の人生を創作してきたし、いまも動画でも文字でもないところで、誰にも見えない自分の人生を創作しつづけているはずだ。



 俺がこの文章を書くまでの24年間でずっと俺はこの文章を書いていたし、俺がもしこの文章をきょう書かなかったとしても、俺の24年間はずっとこの文章を書いていた。

 「クリエイター」はどこにでもいる。俺はただ人間として何かを創作したいし、誰かが創作したものに触れたい。

 「クリエイター」なんかみんな死ね、昔の自分に、俺から言いたい、お前はクリエイターになんてならなくてもずっとおもしろいし、お前はクリエイターになってもずっとおもしろくないままだよ。

  2022.9.27 青松輝

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