産業保健活動の侵襲性を考える
はじめに
みなさま、「侵襲性」という言葉はご存知でしょうか?コトバンクを調べると以下のように説明されています。
Twitterでもアンケートをとってみました。
産業保健活動は、臨床のように投薬・注射・手術のような分かりやすく命に関わるような行為はほとんど行いません。そして、過去の記事でも言及していますが、原則として臨床医のような「診断と治療」は行いません(参照:「診断と治療の落とし穴」)。しかし、だからといって産業保健活動には、侵襲性がないということではないでしょう。この記事では、産業保健活動の侵襲性について考察したいと思います。なお、この記事では広く、対象者に危害やマイナスの効果をもたらすこと、ということで考えていきたいと思います。
呪いをかけるという侵襲性
「今の生活を続けていると死にますよ」
「がんにかかって死ぬかもしれません」
予防医学は予言医学とも言えますので、対象者に対して将来の病気を予言することはあるでしょう。しかし、疫学・科学的根拠(エビデンス)に基づいて予言することで、病気を予防するための指導は、時に呪いの言葉にもなりえます。占い師に「このままいくと60歳に大病を患って死にます」と言われることとは訳が違います。疫学と易学は似たようなところもありますが・・・。言われた本人は、たまったものではないですよね。「エビデンスで殴るな」という言葉もありますが、エビデンスがあるからといって、安易な予言は呪いにつながりえますのでご注意ください。
エビデンスは振りかざすものではないのです。あお@女医ワーママ先生のこちらの記事もご参照ください。「エビデンスは、誰かを殴る道具ではない」また、「「エビデンスで殴る」というやり方は、なぜうまくいかないのか」という記事もご参照ください。
行動制限の侵襲性
「ラーメンの汁は絶対に飲んではいけません」
「甘いモノは毒です」
「ビールは尿酸値が高まるから控えてください」
「玉子はコレステロールをあげるので1日1個までです」
こんな保健指導を受けた方は、その後の人生でどのような影響があるでしょうか?指導の表現やトーンは様々で、もう少し柔らかな指導や、控えめな表現もあるでしょう。そして、対象者側の受け取り方も様々で、全てを忠実に守るという方もいるでしょうし、聞く耳持たれず完全にスルーされて忘れ去る人もいるでしょう。しかし、ときに上記のような指導は、対象者のその後の人生において、行動制限をもたらしうることは知っておくべきだと思います。本当に好きだったものを食べなくなる人、食べることができなくすることや、食べる度に強い罪悪感が出てしまうこともあるかもしれません。
極端な話かもしれませんが、明らかに健康に悪いタバコであっても、保健指導でタバコを辞めさせることが本人にとって幸せかどうかは私には分かりません。タバコ以外にも、お酒や糖質、塩分などの健康に悪いものであっても、それを対象者の人生からひっぱがすような指導を行うことがは本当によいのかどうかは、毎回自問する必要があるのだと思います。
なお、「管理栄養士・栄養士倫理」には以下のように示されています。栄養の指導とは、介入であり、侵襲である、という前提は、我々産業保健職の保健指導にも全く同じように当てはまります。「管理栄養士・栄養士業務規範」もぜひお読みください。
過剰医療という侵襲性
例えば、健康診断の事後措置において受診勧奨を行う際には過剰医療に気を付ける必要があるでしょう。産業保健職の受診勧奨によって、不必要な検査や治療につながることもありえます。企業によっても異なりますが、産業保健職の受診勧奨はときに強い力があり、半強制的な受診を促す可能性もあります。受診するかどうか、検査を受けるかどうか、治療を受けるかどうかということに本人の主体性があるようで実はないことも多いと言えます(=自己決定権の軽視)。半強制的な力も働くこともあるからこそ、専門家として受診勧奨したからこそ、受診したあとは主治医の責任であって産業保健職の責任ではない、という簡単なものではないのだと思います。(参照:「受診勧奨の落とし穴」)
科学的根拠に乏しく不必要ながん検診もまた過剰医療を引き起こし、侵襲性が高い施策と言えるでしょう。採血、放射線曝露、検査にも侵襲性があります。検査によって偶発症・事故が起きますからね。また、偽陽性者への不必要な精密検査や、不安などの心理的な苦痛ももたらしえます。さらには、若年者に対する便潜血検査や、腫瘍マーカーによる検査といった医学的根拠の乏しいがん検診も実際には実施されており、これらも侵襲的な介入だと言えるでしょう。(参照:「がん検診の落とし穴」)
医学の不確実性の難しさ
産業保健職は医学情報を労働者に伝えます。しかし、医学情報というものは、非常に不確実性が高いものです。明らかな誤った情報を伝えるのはもちろんアウトだと思いますが、何が正しいかというのは意外に難しいものだと思っています。例えば、栄養に関しては未だに謎が多い領域ですよね。健康的な食事の正解なんてものはないような気がします。塩分や糖分の摂り過ぎが健康に良くないであることは比較的分かりやすいと思いますが、脂質や尿酸、ビタミン(サプリメント)は何が正しいのか難しいですし、知見も変わりゆくものです。当たり前のことではありますが、産業保健職は常に医学的知見をアップデートすることが求められ、企業・労働者に正確な情報を届ける必要があります。
こちらの動画は医学の不確実性を分かりやすく示した動画です。字幕で日本語訳を付けてお楽しみください。けっきょくのところ、卵ってどのくらい食べていいんでしょうね?笑
なお、栄養に関しては、佐々木敏先生の書籍はお勧めです。
間違ったことを教えるという侵襲性
産業保健職が指導することは本当に正しいのでしょうか?その根拠は信頼に足るものでしょうか?指導していることはどこまでその人に当てはまりますか?我々は、その自覚と自戒、自省が常に必要だと思うのです。我々もまた間違う可能性があると思うのです。間違ったことを指導しないように、日々私たちもアップデートが必要なのだとことはとても侵襲的だと思うのです。
管理栄養士・栄養士業務規範の以下の文章も紹介します。
レッテル貼りという侵襲性
病気や障害は、時代や環境次第で病気や障害ではなくなることがあります。診断というものにも社会・環境的な事情が含まれます。仕事に支障をきたしているものを病気や障害として治療するべきかどうかは絶対的なものではありません。環境が変われば、それは病気・障害ではなくなるかもしれません。そのため、人の「ある特性」を「歪んだ認知」、「発達障害である」などと決めつけることは望ましいものではないでしょう。あくまでその人がいるその環境では、たまたま支障をきたしてしまう「ある特性」も、他の環境に行けばむしろ強みになったり、重宝されたりすることもあるでしょう。例えば、ある種の認知や性的指向といったものが分かりやすいと思います。産業保健職が、労働者の特性に対して病気や障害であるというレッテルを貼って、治療や変容を求めることは、ときに過介入であったり、不適切なことにもなりうるのだと思います。産業保健職自身の価値観や考え方に潜在的に影響してきますので、自身の無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)に気が付くことも重要です。
疾病利得
支援は、その人のためになると信じて行うものですが、支援は逆にその人のためにならないこともあります。例えば、病状コントロールが悪いから負荷の高い業務に就かずに済むということで治療意欲を阻害してしまったり、症状を固定・誘発してしまったり、成長や出世の機会を逸することでキャリア形成やスキルアップにも悪影響を及ぼしたり、職場内の不公平感を醸成して孤立を生んでしまうなどの不利益につながることもあります。(参照:「疾病利得の落とし穴」)
じゃあどうすればいいのか
-本人の自己決定権を尊重する
どのような場合でも、本人の自己決定権は尊重されるべきものでしょう。そして、本人が選択するための情報を適切に提供することが必要だと思います。企業では、安全配慮義務の名のもとに半強制的な介入や、本人も盲目的に選択してしまう場面も多く、十分に自己決定権が配慮されていないことも往々にしてあります。しかし、本来的には本人の自己決定権に基づいて選択されるべき、ということは常に考える必要があると思います。例えば、様々な健康増進プログラムや、健診・検診、保健指導、衛生教育などにおいてです。脅かす、押し付ける、半強制的に動かす、選択を迫るといったやり方は、たまにうまくいったように感じることがあるかもしれませんが、逆にそのような成功体験は非常に危なっかしいものだとも思います。
-情報をアップデートし続ける
医学情報は常にアップデートされます。昨日までは正しかったことがひっくり返ることもあります。医学に真摯に向き合い、労働者の支援に必要な情報提供を行うことが産業保健職には求められると思います。例えば、手術のような大きな侵襲行為が許容されるのは、メリットがデメリットが上回るという知見が十分にあるからです。産業保健職の行う介入についても、メリットがデメリットを上回るであろう、という前提があるからこそ、許容されると思うのです。しかし、産業保健領域では、いつも十分な科学的知見があるかというと非常に微妙なところです。科学的知見という道標が十分にない世界を模索しながら進むのが産業保健という領域なのだと思います。正解がないから面白いとも言えますが、一歩間違えればデメリットが大きな侵襲的な介入になってしまう危険性をはらんでいるとも言えると思います。
-不必要な・根拠や目的が曖昧な介入・支援はしない
不必要な介入・支援は控えるべきでしょう。つまりは、面談ひとつとっても、きちんと面談の目的を整理し、明確にしていく、ということなんだと思います。(参照:「目的なき面談の落とし穴」)
-支援の功罪を知る
産業保健職として人に関与することはなんらかの侵襲性を有し、プラスにもマイナスにも影響を及ぼしうるということを知っておくべきだと思います。常にその自問自答が必要なのだと思います。また、面談・保健指導などの介入の対象となる病気・障害・習慣は、本当に面談・保健指導するべきものなのかどうかも常に一考の余地がある、と習慣づけておくとよいでしょう。
-産業保健職の役割を知る
産業保健職の役割とは、あくまで助言をする立場であり、道を示すこと、状況を整理すること、なのだと思います。それは前述の通り自己決定権の尊重ということも含みます。疾病性と事例性の整理も大事なことだと思います。自分たちの役割をどう定義するかどうかも、侵襲性を考える際に有効だと思いますよ。
(参照「産業医の役割の表現形」)
終わりに
いかがだったでしょうか。普段から自分の産業保健活動に侵襲性を考慮しているという方もいるでしょうし、侵襲性を考えていなかったという方もいるでしょう。まさにそれがアンケート結果にも出ていますよね。産業保健は、臨床のように健康や命に直結しない、介入の結果が分かりにくいことが多いため、侵襲性の概念が置いてけぼりになりがちです。しかし、介入する以上はなんらかの効果をもたらし、それが利益(メリット)、不利益(デメリット)となりうるのです。
このあたりは、「なぜ落とし穴が発生するのか」にもまとめていますので、ぜひご一読ください。
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