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42.がん検診の落とし穴

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はじめに

現在、がんは日本人死因のトップとなっており、その中でも特に産業保健職の対象である職域世代でがんになる方は多くいます。医療技術の進歩によりがんになっても働き続けられる方も増えていますし、急速に進んでいる少子高齢化により人材は非常に貴重です。また、定年年齢の引き上げ・継続雇用制度等により、高齢労働者も増えていくことで、職場の中でがんに罹患した後も就業を継続していく労働者の数も今後ますます増加していくことが予想されます。その中で、産業保健職としても、がんになっても働き続けることを支援する両立支援(治療と職業生活の両立)と、がんの早期発見・早期対応としての「がん検診」について対応する必要があります。そこで本記事では、がん検診に潜む落とし穴について説明していきます。なお、がん就労・両立支援(治療と職業生活の両立)についての情報は「がん就労(両立支援)の情報サイト」ににまとめておりますので、ご参照ください。

がん検診の功罪の落とし穴

がん検診には功罪(メリット・デメリット)があり、必ずしも受ければいいというものでは決してありません。対がん協会のホームページには以下のよう説明されています。

がん検診のメリット
 1「救命の効果があります」
 2「早期のがんを発見できます」
 3「がん以外の病気も見つけることができ、治療に結びつけられます」
 4「安心して生活を続けられます」
がん検診のデメリット
 1「がん検診の判定・診断の結果が100%正しいというわけでありません」
 2「結果的に不必要な治療や検査を受けてしまうことになる可能性もあります」
 3「検査によって身体に負担がかかってしまうことがあります」

がん検診のあり方に関する検討会祖父江氏の資料では以下のように説明されています。

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国立がん研究センターの斎藤氏の「がん検診の利益と不利益」のスライドを引用します。検診を行った場合にメリットを享受できる場合と、そうではない場合が分かりやすく示されています。

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また、マンモグラフィーによる乳がん検診について、cochraneでは以下のように説明されています。

スクリーニングによって乳がん死亡率が15%減少し、過剰診断と過剰治療が30%であると仮定すると、10年間にわたってスクリーニングに招待された2000人の女性ごとに、1人は乳がんでの死亡を避けることができ、スクリーニングがなければ診断されなかったであろう健康な女性が10人、不必要な治療を受けることになる。さらに、200人以上の女性が、偽陽性所見のために何年も不安や不安を含む重要な心理的苦痛を経験することになります。スクリーニングに参加するかどうかを決める前に、女性が十分な情報を得られるようにするために、私たちは、一般の人々のためのエビデンスに基づいたリーフレットを作成しました。試験が実施されて以来、治療が大幅に進歩し、乳がんに対する認識が高まっているため、今日のスクリーニングの絶対的な効果は試験の時よりも小さくなっていると思われます。最近の観察研究では、臨床試験よりも過剰診断が多く、スクリーニングによる進行がんの発生率の減少はほとんどないか、あるいは全くないことが示されています。cochrane:Screening for breast cancer with mammographyより引用・DeepL翻訳

2014年の調査では、胃X線検査では偶発症として腸閉塞や胃腸穿孔に加えて死亡事故すら起きています。このように、がん検診には様々なメリット(利益)とデメリット(不利益)がありますので、安易ながん検診の実施をしないようにご注意ください。

こちらの記事もどうぞ:「治療する必要のないがんもある」 NATROM先生に聞く、がん検診の副作用と過剰診断の不利益

検診の質の落とし穴

がん検診の3本柱は次の3つです。
(1)がん検診アセスメント:有効性の確立した検診
(2)がん検診マネジメント:精度管理と精度管理の体制整備
(3)受診率対策     :受診率向上

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国立がん研究センターがん対策情報センター「がん検診について」より引用

職域のがん検診は(1)がん検診アセスメントと(2)がん検診マネジメントがほとんどおざなりになっている状況です。有効性の確立していない検診を取り入れていないことも多いでしょうし、検査の精度が管理されていないこと、受診勧奨や精密検査のシステムが構築されていない、事業評価としてプロセス指標が評価されていないことなどが挙げられます。企業の関係者も、往々にしてがん検診受診率ばかりに目がいきがちになっていると思います。しかしながら、がん検診の3本柱はホップ・ステップ・ジャンプと言われるように、(1)がん検診アセスメントと(2)がん検診マネジメントがあって、はじめて(3)受診率が出てきます。(1)と(2)がずさんであれば、(3)の数字はあまり意味をなさず、仮に高いがん検診受診率が達成できたとしても、本来のがん検診の効果である死亡率減少をもたらさないかもしれません。現状の職域のがん検診受診率を見るときは、このような前提があることを知っておく必要があるでしょう。そして、このような現状の職域がん検診では、労働者に対して潜在的に不利益をもたらし続けている可能性もあります。産業保健職が関与することで、職域のがん検診を軌道修正していくことが必要だと思います。

受診率100%の落とし穴

がん検診の3本柱の3つ目である「がん検診受診率」は、がん検診のKPI(key performance index:評価指標)が用いられることは多いと思います。国立がん研究センターや、がん対策推進企業アクションの中で、日本のがん検診受診率は比較的低いことを訴えています。国が目標とする受診率 50%以上(精検受診率 90%以上)も非常に重要な数値目標です。企業としてがん検診を実施する以上、受診率が高い方がよいとも言えるかもしれません。しかし、がん検診受診率は100%を目指すべきという考え方には注意が必要です。後述のように個人差があったり受けられない事情を持つ方もいるからです。ある程度受診率は高いことが望ましいとは言え、100%が正解ではないことにご注意ください。
 また、がん検診受診率の分母はどの集団なのでしょうか?これは確立した世代集団を分母として示す方がより適切だと言えるでしょう。乳がん検診の受診率の分母が全世代の女性では明らかにおかしいでしょう。受診率については、母数が適切なのかも注意するべきポイントです。以下の二つのグラフでも、乳がんについては前者は40-69歳、後者は50-69歳と異なります。同じ「がん検診受診率」と言っても分母で数値も変わってくることにご注意ください。

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個人差の落とし穴

国立がん研究センターがん情報サービスの「食物関連要因とがんとの関連のまとめ」(下表)があるように、個人それぞれによって、リスクを上げるような習慣が多い方と、そうではない方がいます。他にも、家族歴やアレルギーや過去の有害事象、予防接種歴(HPV)や除菌歴(ピロリ菌)などによっても受診する必要性は変わります。制度・施策として実施する以上は高い受診率が求められるとは思いますが、受診者にはそれぞれの事情があって、受けない方がよりよい選択ということもありえますので、みんな受けるべきだとう考えに陥らないことも重要です(個人個人で異なるがんのリスクチェックはこちら)。なお、これはみなさん自身にも言えることです。自分が何歳でどのがん検診を受けるかを考えてみることもおすすめです。

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対策型検診の落とし穴

がん検診には、市区町村などの住民検診に代表される「対策型検診」と、人間ドックなどの「任意型検診」があります(下表)。

対策型検診は、対象集団におけるがん死亡率の減少を目的としています。対象となる人々が公平に利益を受けるためには、有効性の確立したがん検診が推奨されます。一方、任意型検診は、医療機関などが提供し、個人が任意で受診します。多くの検査方法が提供されていますが、がん検診として有効性の確立していない検査方法が含まれる場合があります。(国立がん研究センターHPより)

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職域のがん検診は果たして対策型なのでしょうか、任意型なのでしょうか?これは非常に難しい問題ですし、企業によってがん検診のやり方は異なることもあり、十分なコンセンサスが得られていません。そもそも十分に理解されていないのかもしれません。しかし、産業保健職としては、この部分を十分に理解した上で、また企業ごとのがん検診の制度(対象年齢、費用負担、受診方法など)も踏まえた上で対応する必要があります。そして、この対策型・任意型の理解のためにも、有効性がどこまであるのか、メリット・デメリットがそれぞれどれほどあるのか、といった知識を産業保健職は持つ必要があります。これらを理解せずして、例えば精密検査の受診勧奨はできませんのでご注意ください。

なお、個人的な考えとしては、デフォルト性が高い(必須受診・基本項目化している)、変更が難しい、費用補助が大きい、情報提供が少ない場合には対策型検診としてのニュアンスが高まると考えます。そして、その場合においては、有効性の確立したがん検診(検査方法や対象年齢など)を行う必要があると考えます。例えば、20代全員にも大腸がん検診(便潜血検査)や乳がん検診を基本項目として行うといったがん検診は不利益の方が大きく、しない方がよいと言えるでしょう。そして、有効性が確立していないがん検診や推奨レベル”I”のがん検診などについては、産業保健職が関与し、受診者との十分なリスクコミュニケーションの上に成り立つものであると考えます。

下図は「がん検診のあり方検討会」の祖父江氏の資料ですが、対象年齢によっては利益と不利益が変わることのイメージが端的に示されています。

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なお、職域のがん検診に関してより理解を深めたい方は、厚生労働省の「職域におけるがん検診に関するワーキンググループ」をご参照ください。とても勉強になりますのでお勧めです。

がん検診の実施目的の落とし穴

職域のがん検診の目的とはなんでしょうか?職域におけるがん検診に関するマニュアルでは、以下のようにがんの早期発見や、がんの死亡率減少が目的と示されています。

本マニュアルは、がんが国民の生命及び健康にとって重大な問題となっている現状に鑑み、職域におけるがん検診の実施に関し参考となる事項を示し、がんの早期発見の推進を図ることにより、がんの死亡率を減少させること等を目的とする。

たしかに一般的には、がん検診の目的は全死亡や、対象とするがんによる死亡を減らすことです。しかし、実際には、前掲の祖父江氏の資料にもある通り、がん検診の目的(メリット)には、がんになった方のQOLの向上や医療費の削減、真陰性者の安心があります。また、職域ではさらに早期発見によってがんによる退職を減らすことや、早期復帰による労働力の確保や、福利厚生的な要素も含まれます。元々、がんによっては、65歳未満でそう多く発症するものではありませんので、職域のがん検診を死亡率で評価することは困難な場合がほとんどですし、退職(死亡退職含)してしまうこともため医療費削減効果も十分に評価できません。特にこれは従業員規模が小さいほど評価は困難でしょう。また、安心や福利厚生は評価することはできず、結果的には企業で行うがん検診の目的や評価は曖昧になりがちです。もちろん法的根拠もありませんので、やらなければいけないというものではありません。そのため、早期発見の2次予防のがん検診以外にも、1次予防(生活習慣改善)や3次予防(両立支援)などと合わせながら総合的にがん対策を行うことで、従業員が安心して働く環境を整備することや、福利厚生的な要素、CSR(企業の社会的責任)としての要素も含まれるということになります。目的を誤解することは評価の設定を間違えたり、施策が誤った方向に進んでしまうことにもなりますので注意してください。

がん検診の受診目的不明の落とし穴

がん検診の目的を十分に理解した上で受診している労働者はどれくらいいるのでしょうか?本来であれば、自分自身の当該がんのリスク(生活習慣や家族歴)や、リスク低減の方法、検査のメリット・デメリット、受診推奨年齢、ガイドライン、陽性時の対応などなど知るべきことは非常に多いでしょう。しかし、実際には多くの方がこうしたことを知らずに、盲目的に受診していると思われます。こうした盲目的受診は、その後の精査率や、合併症が起きた際などにおいてマイナスに作用しますし、本来重要である1次予防(下図参照)につながっていきません。職域のがん検診では、デフォルトのように半自動的に労働者を受診させてしまう場合も多くありますが、一度立ち止まらせてがん検診の目的を理解してもらうプロセスをとることが非常に重要です。

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安全配慮義務の落とし穴

がん検診の結果で、がんが疑われる所見が得られた場合、安全配慮義務は発生するのでしょうか?一つの考え方としては、安全配慮義務上はがん検診については安全配慮義務の範疇ではありません。つまり、がん検診受診も、その後の精密検査も労働者自身の問題であり自己保健義務の範疇です。しかし、とは言っても、産業保健職としては「がん検診について各自に任せて放置します」というわけにもいきません。ときにはがん検診のKPIとして精密検査率を求めることもありますし、がん検診でがんが疑われる所見が得られた以上は、医療職として精密検査を勧めることが求められるでしょう。がん検診の難しさの一つは、産業保健職マインドと、医療職マインド(または臨床マインド)とのジレンマに陥ることとも言えるのかもしれません。
参考)東京海上事件安全配慮義務の落とし穴

法定外項目の落とし穴

がん検診は法定外項目であり、あくまで企業が自主的に実施している項目です(胸部レントゲン検査もあくまで本来的には結核がターゲットであり肺がん検診ではありません)。これは「健康情報の落とし穴」でも言及している通り、法定外項目に関する情報の取得には様々なデメリットも発生します。法定外項目にこそ潜む落とし穴にご注意ください。

エビデンスの落とし穴

対策型検診で採用されるような有効性が確立されたがん検診だからといって、全ての労働者が受けるべきというものではありません。大規模な集団によって死亡率の減少が統計的に確認されたという事実は、それが必ずしも特定の個人に適応できるというわけないでしょう。がん検診には利益/不利益もありますし、個人ごとにがんのリスクは異なります。個人それぞれが自身のリスクに応じて対処するべきものであるものを、組織として法律や安全配慮義務といった大義名分もなく押し付けることは望ましくないでしょう。がん検診の有効性の指標としては、NNI(Number Needs to Invite:一人の死亡を避けるために必要な検診対象者数)があります。例えば乳がんについて言えば、雑賀氏らの研究によれば、調査や年齢・フォロー期間により幅がありますが、40-60歳では1000-2000程度ということになります(前述のcochraneの趣旨と同じ)。この数値をどう捉えるかも個人次第ではありますが、確立された有効性がどういったものか、ということも産業保健職として理解する必要があります。

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福利厚生の落とし穴

がん検診は、企業によっては福利厚生のような取り扱いをされており、他の検査項目(脳ドック、超音波検査など)と同様に、項目が多い方がよりよい健診・検診であるかのような位置付けになってしまっている場合もあります。場合によっては、PET検査や腫瘍マーカー検査をがん検診として位置付けていることもあります。しかし、こうした検査は十分な医学的根拠が確立していませんので、むしろ有害にもなりえます。産業保健専門職としては、十分に医学的根拠が確立されたものを基本的に実施するように助言することが求められます。厚生労働省からは「職域におけるがん検診のマニュアル」が出されており、この内容に準じることが望ましいでしょう。

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不幸なイベントの落とし穴

企業で施策を行う際に、がんによって従業員が亡くなるといった不幸なイベントを契機に物事が進むことはしばしばあります。それが愛煙家が肺がんで亡くなったことによって、喫煙対策が進むといったことであれば良い方向性だと言えます。しかし、ときにそうしたイベントは間違った方向に話が進むことがあり、例えば大腸がんで若い社員が亡くなったから全社員に便潜血検査を実施する、乳がんで女性社員が亡くなったから乳がん検診でひっかかった方全員に精密検査を半強制で受診させるといったことです。このようながん検診のやり方は従業員の負担(時間的・経済的)も増えますし、過剰診療に繋がるなど大きな不利益を引き起こす懸念があります。集団全体に施策を行うのであれば、医学的根拠に基づいて実施するべきですし、それに大きく反したがん検診が実施されようとしているのであれば産業保健職も反対するべきです。がん検診の功罪をしっかりと理解をした上で適切な助言を行う必要がありますのでご注意ください。

なお、森口氏も以下のように述べており、不幸なイベントが出たからといって誤ったがん対策を進めることに警鐘を鳴らしています。

時折、担当企業の健康保険組合から「すい臓癌で在職死亡が出た。何か適切な健診はないか?」などの問い合わせを受けることがあるが、検診実施機関はこのような要望に対してエビデンスの乏しい検査を安易に推奨することは避け、エビデンスを参考に適切なアドバイスをすることが望ましい。
森口次郎. 労働衛生機関の立場から.より

ポピュラリティパラドクスの落とし穴

過剰診断が多ければ多いほど、検診のおかげで命が助かったと思う人が多くなり、検診に「人気」が出るというものです。詳細は、NATROM先生のブログに譲り、一部分だけを抜粋します。職域のがん検診は不利益が多くなりやすい世代を含むからこそ、この概念は絶対に押さえておく必要があると思います。

ポピュラリティパラドクスは、がん死を減らすといった利益のない検診でも起こる。というか、むしろ、検診から利益を得にくい予後のよいがん腫で起こりやすい。利益より害が大きい医療介入が広く行われるのは薬害と同じ構図であるが、検診から害を受けた人が検診から恩恵を被ったと誤認するので被害が認識されにくい。ワクチンや治療薬の副作用への懸念の100分の1でもよいから、検診の害についても関心を持っていただければ幸いである。(NATROMブログ:過剰診断が多いほど検診から恩恵を受けたと感じる人が多くなる「ポピュラリティパラドクス」より)

最後に

がん検診の落とし穴についてご説明してきましたが、個人としてがん検診に反対という訳では決してありません。あくまで安易ながん検診、盲目的ながん検診、十分な有効性が確立されていないがん検診はするべきではないという立場です。私としては、がん検診による2次予防だけでなく1次予防も大切だと思いますし(1次予防の方が難しいし効果が見えにくいのですが)、がんのリスクは個人ごとに違うことがわかっている中で、リスクを層別化して行うことの方がより適切だと考えています。
また、がん検診の項目や対象年齢としては、「職域におけるがん検診のマニュアル」に沿って行うことが現状としては望ましいと思います。加えて実施するとすれば、ABC検診の実施が検討されると思われます。

おまけ

なお、最後に私案ですが、職域におけるがん検診のリスクコミュニケーションの原則は以下のようなものが必要だと考えます。
1.コミュニケーション方法を慎重に計画をたてること
2.プロセスやアウトカムを定期的に評価すること
3.信頼できる機関の最新の情報を収集すること
4.対象者の声に耳を傾けること
5.対象者に分かりやすい言葉で明瞭に説明すること
6.対象者が自由に選択できる環境を整えること

参考

産業保健職からの視点で「職域におけるがん検診マニュアル」
の効果的な運用を検討するワーキンググループ報告書 2019 年 9 月 12 日
←オススメです!ぜひご精読ください!
祖父江友孝氏. がん検診の考え方
・エビデンスに基づく医療(EBM)探訪 第4回「がん検診は効果があるか?」
〈解説:立道昌幸先生〉企業におけるがん対策、実現のための要点とは



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