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1.診断と治療の落とし穴

はじめに

産業保健活動は医療活動ではありません。企業の中で行う安全衛生活動です。臨床現場で行うような「診断と治療」は原則として行いません。

なお、少し前には多くの大企業で企業内診療所があり、産業医が診察・治療・処方などの医療行為をしていたことがありますし、いまだに企業内診療所を設置している企業があるのも事実ですが、大多数ではそうではありません。お読みになっている方が、企業内診療所において診断と治療もする産業医であれば、この記事で説明する落とし穴について特に注意する必要があると思います。(参照:「社内診療所について考えてみる」(有料記事))

主治医との齟齬の落とし穴

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高血圧症や糖尿病などの身体疾患や、うつ病や適応障害などの精神疾患といった病気に対して、医師であれば従業員の症状や経過、健診結果などから、診断基準とも照らし合わせて病名を無意識的に診断してしまうことは多くありますし、数値だけで病名がついてしまうこともあります。しかし、「産業医が考える診断や治療方針」と、「主治医の診断と治療方針」に相違があった場合、従業員はどちらを信じればいいか困ってしまいます。そのため、主治医の診断や治療方針に対して、産業医が安易に別の意見を言うことは望ましくありません。これは、いわゆるダブルスタンダードを生んでしまい、場合によっては主治医不信や産業医不信に陥る可能性もあります。そして、結果的に会社・従業員本人・産業医・主治医のすべてに不利益が発生することがあります。
 また、この理由として、主治医は患者の意思で変更可能ですが、産業医は従業員の意思で容易には変更できないという事情もあります。変更できない産業医との関係性がこじれてしまうと、従業員としても相談もできず困ってしまいます。

治療に口出しの落とし穴

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例えば、糖尿病を主に専門とする産業医が、担当する従業員が受けている糖尿病治療があまりにイケてないと感じた場合に、ついつい口を出したくなることはあるでしょう。自分の考える最善の医療(例:処方内容)と異なっていれば、その従業員に対してもよりよい医療を受けてもらいたいと思うのは当然です。しかし、原則として、それはしない方がいいと言えます。産業医の役割とは、労働者の適正配置を考える立場であり、あくまでその従業員が就労できるかを判断するという立場です。担当する従業員さんの診断と治療を行うのは主治医の役割と分けて考えましょう。産業医である以上は、そのような臨床マインドを頭から離して考える必要があります。(参照:「臨床医マインドの落とし穴」・「疾病性の落とし穴」)

主治医連携の落とし穴

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HbA1cが8.0といった高い場合には、数値上は糖尿病と診断されて治療が必要とされうる数値ではありますし、産業医が「糖尿病である」と従業員に伝えることもあると思いますが、臨床現場のような意味での診断とは異なります(従業員側は診断されていると思うかもしれませんが)。産業医が従業員に介入・関与する目的はあくまで、健康上の問題がある従業員を病院につなげることによって、健康状態の改善を図り、そのことによって「事業者の安全配慮義務の履行のため」であったり、「その従業員が就労に支障をきたさないようにするため」であることに注意が必要です。逆に言えば、就労の支障をきたしていない場合・きたさないであろう場合には、過度な介入・関与は産業医のエゴやおせっかいとも言えるのかもしれません(参照:「産業保健活動の侵襲性を考える」(有料記事)。

例えば、私のやり方としては、病院へのお手紙(紹介状・情報提供書)には

 疑い病名として #耐糖能異常疑い  
 異常所見として #血糖高値     
 数値として   #HbA1c8 .0    という表現を意識しています。

お手紙に#糖尿病って書くことがダメというわけではもちろんありません。この辺りは産業医としてのスタンスの問題ともいえるかもしれません。

また、お手紙の中で、「糖尿病で投薬治療が必要です」、という表現は避けています。診断と治療は主治医の役割だからです。蓋を開けてみたら、実は単なる糖尿病(1型?二次性?)ではないかもしれませんし、投薬治療は不要と主治医が判断するかもしれません。主治医によっては、診断するのはこちらの役目、産業医は専門でもないのに勝手に決めるな、検査機器もないのに診断はできない、ということで不快に思われる方もいるかもしれません。産業医は、主治医としての役割を明確に分けることが非常に重要です。そして、産業医が診断をして、主治医が治療をするというものでもありませんのでご注意ください。(参照:「受診勧奨の落とし穴」(無料記事)、「主治医連携の落とし穴」(有料記事))

なお、例外としては、例えば次のような場合には、治療状況に介入することもありますが、実際にはあまり多くはありません。(本当はない方がいいのです・・)
 ー主治医の治療内容が著しく不適切な場合
 ーコントロールが悪い状態が長期的に続いている場合
  (それが就労にも影響が出ている場合)
 −主治医と患者の関係が著しく悪化している場合

緊急時の対応・処置の落とし穴

この項は、診断と治療とは少し話が異なりますが、緊急時の治療についても注意が必要ですので、補足として説明します。緊急時には、産業医は医師として現場で可能な限りの処置(治療)を行うことが倫理上求められますが、そもそも器材も点滴も薬剤もない状態ではできることはほとんどなく、逆に病院への搬送が遅れることの方が不適切であることもあります。産業医が常駐していない企業が多い中で、緊急事対応の仕組みには産業医ありきでは組み込まない方が望ましいと言えます。

例1.
現場で熱中症が発生したときには、現場で緊急性の判断をして、一刻も早く病院へ搬送する仕組みを構築した方が望ましいと言えるでしょう。(参照:「熱中症対策の落とし穴」(無料記事))

例2.
心肺停止が発生した際、現場でAEDを用いた心肺蘇生処置ができるための仕組み(教育やAED設置、緊急連絡網など)および、救急搬送を行える仕組みを構築する必要があります。(参照:「応急処置対策の落とし穴」(無料記事))

最後に

産業医活動の原則は「診断と治療はしない」です。臨床現場のように「診断と治療」をしてしまうという落とし穴には注意してください。

この落とし穴は、特に産業医が主治医を兼任した際にも注意が必要ですのでで、「主治医連携の落とし穴(有料記事)」、「社内診療所について考えてみる」(有料記事)もご参照ください。


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