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36.主治医連携の落とし穴

はじめに

産業保健活動において、従業員の主治医と連携・やり取りをする機会が多くあります。多くの場合、その際には書類でやり取りをすることになります(電話やメールの場合もありますが、あまり多くはないでしょう)。例えば、「就労(勤務)情報提供書」、「主治医意見書提供依頼書」、「診断書発行依頼書」、「診療情報提供書」、「紹介状」などの書類です。これらに特に決まった名称はなく、目的や内容によって変わりますが、本記事では総称として「お手紙」とします。

産業医による職域でのメンタルヘルス不調者への対応のニーズは年々高まっていますし、産業医が職場復帰や就業支援の判断を適切に行うためには,病態や治療状況、就労に対する主治医の意見などの情報の入手が重要です.メンタルヘルス不調者の増加および病態の多様化から、産業医が精神科の主治医と連携を行うことの重要性が指摘されています。また最近では、がん患者等の仕事と治療の両立の推進の中で、診療報酬として「療養・就労両立支援指導料」が新設され、がんの他に、急性発症した脳血管疾患、慢性肝疾患、指定難病についても、主治医との連携はさらに重要なものになってきています。そこで本記事では、主治医と連携について「お手紙」を軸に、そこに潜む落とし穴について説明いたします。

産業保健マター丸投げの落とし穴

主治医に従業員に関する情報提供を求める機会は多いと思います。例えば、今後の就業継続の可否、業務の内容について職場で配慮したほうがよいことなどの事項です。厚生労働省の「治療の状況や就業継続の可否等について主治医の意⾒を求める際の様式例」では、以下のような様式で、それらの事項が示されています。

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しかし、本質的には、従業員を働かせていいかという就業の可否や、就業上の措置を考えるのは、産業保健職の役割です。出張制限や夜勤制限などの制限について主治医の意見を問い合わせたとしても、あくまで参考意見としてであり、本質的には産業保健職として就業上の措置を検討する必要があります。
厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」には以下のように説明されています。主治医の意見は、日常生活レベルの判断であり、必ずしも就業レベルの判断ではないと言えます。

主治医による診断は、日所生活における病状の回復程度によって職場復帰の可能性を判断していることが多く、必ずしも職場で求められる業務遂行能力まで回復しているとの判断とは限りません。このため、主治医の判断と職場で必要とされる業務遂行能力の内容等について、産業医等が精査した上で採るべき対応を判断し、意見を述べることが重要です。

なお、私は特に産業保健マターに関わる事項を主治医に情報提供を求める場合は、「主治医の意見も参考にさせていただきますが、最終的には産業医としての責任で判断いたします」といった趣旨の文言を入れるようにしています。

目的不明のお手紙の落とし穴

産業医が主治医へ情報提供を求める事項が不明確だと、主治医側も返答に窮しますし、結果的にも返書は曖昧なものなる可能性が高まります。産業保健職として、主治医に問い合わせる場合は、従業員(患者)のどの点について主治医の意見が聞きたいのか、どういった診療を期待するのか、なんのために受診勧奨(紹介)しているのか、といった産業医や企業が求める情報について明確に記載することが望ましいでしょう。

なお、大河原らの調査では、精神科医主治医との連携においてお手紙に記載が必要な項目としては以下の5つが示されています。

(1)職場における状況(職場内での本人の様子や職場の制度等)
(2)産業医の見立て
(3)確認事項の明確化
(4)産業医の立ち位置の表明
(5)主治医が提供した情報の取り扱い

情報不足の落とし穴

厚生労働省の「勤務情報を主治医に提供する際の様式例」にもある通り、主治医から適当な主治医意見書を得るには、勤務情報を提供する必要があります。主治医は基本的には患者(従業員)からしか情報が得られず、ときに非常に偏った情報を基に判断せざるを得ないことがあります。勤務情報を提供することによってより適切な診断・治療に結び付くこともありますし、妥当性・信頼性の高い主治医意見書が得られることが期待できます。また、早い段階で産業保健職の存在を主治医に知らせることで、連携しやすくなったり、主治医が親切・丁寧に書類を作成してもらえる可能性もあります。

主治医はセーフティになりがちの落とし穴

主治医の判断特性として知っておくべきこととして、セーフティな判断になりがちである、ということです。特に情報が不足している場合にはさらにセーフティになりがちです。セーフティな判断は、ときに労働者の働き方を制限したり、逆に労働者の疾病利得に繋がる可能性もあります。例えば、DI(薬剤情報)通りに全て判断されると運転業務が一切行えなくなるといったことも起こります。産業保健職は、主治医に問いあわせるか悩む場面は多いですが、主治医のセーフティな回答が一度得られてしまうと、どうしてもそちらに引っ張られてしまいますので、この特性を前提として問いあわせる必要がありますのでご注意ください。
(参照:「就業制限による疾病利得の落とし穴」)

主治医は患者寄りの落とし穴

主治医の判断特性としてもう一つ知っておくべきこととして、患者寄りの判断になる、ということです。主治医ー患者関係は、診療契約であり、患者(労働者)の利益になるように主治医は対応することになります。また、場合によっては、患者(労働者)の希望通りに診断書が発行されることも往々にしてあります。企業と労働者は利害が対立することがありますし、企業は労働者の希望通り(主治医の診断書通り)にはすべて対応できません。主治医の患者(労働者)寄りの判断が、その状況をややこしくさせることがあります。産業保健職は、従業員の情報を多方面から収集し、適切な事実に基づくことで、より妥当性・信頼性のある判断を行う必要があります。主治医と産業医の意見はときに真っ向から対立することもありますので、この判断特性にはご注意ください。
なお、私は産業医として、主治医との意見が食い違った場合は、なぜ異なった判断をしたのか、根拠や企業の事情などを説明して返書するようにしています。

出たとこ勝負の落とし穴

主治医に意見を問い合わせる際には、どんな返答が得られるか全く分からないような問い合わせは、ときに現場の混乱を招きかねないことを知っておく必要があります。前述のような主治医の判断特性がありますが、主治医の意見は大きな効力を発揮します。また、裁判所でも重要な判断材料として扱われます。産業保健職として想定する支援の道筋と大きく異なる意見書が出された場合、関係者(事業者・人事・上司)は混乱しますので、場合によっては問い合わせをせず、産業保健職自身が判断し意見を提出するということも選択肢になります。主治医からの書類が企業内の手続的に必要であったり、書類があった方が状況を進めやすい、医学的裏付け(担保)が欲しい、リスクヘッジしたい、といった目的やメリットをあらかじめ整理しておいた方が望ましいでしょう。またその方が、どの情報を企業・産業医側から提供するべきかも整理されると思います。

主治医通りの落とし穴

主治医と産業医の意見が真っ向から対立した場合、どちらの意見が採用されるのでしょうか?三柴氏によれば、以下のように説明されています。

主治医は、診察室内での患者を疾病性(どのような病にどのレベルで罹患しているか)の観点で捉える傾向があり、産業医は、事例性(労働能力の低下、職場秩序への悪影響など、疾病が職場にもたらす現象)、すなわち企業・職場と労働者の健康の関係性を捉えることを期待されている。裁判所は、疾病性も踏まえるが、最終的には事例性を重視した判断を行う
三柴丈典. 産業保健と法~産業保健を支援する法律論~より

ただし、神奈川 SR 経営労務センター事件のように、産業医の意見に信頼性・妥当性が乏しい場合には、主治医の見解が採用されます。産業医としては、主治医の判断を鵜吞みにすることなく、その他の様々な情報を収集し、適切な判断する必要があり、ときに主治医と見解に相違が生じても、堂々と専門家としての判断を下すことが求められます。

なお、森本氏は著書の中で産業医判断の適格性について、面談の事実や判断根拠となる具体的な事実があるかどうかが重要だと述べています。

想定診療通りにはいかない落とし穴

これは「受診勧奨の落とし穴」でも言及しましたが、例えば、健康診断の結果から紹介状を作成し医療機関を受診してもらう場合において、産業保健職が想定していた診療が行われない可能性があることを知っておく必要があります。もちろん、診療方針は主治医が決めるものですが、産業医と主治医の見解があまりに異なると、労働者が混乱することになります。受診勧奨の際には、薬剤が処方されない可能性も念頭に置き説明したり、薬剤が必要であるという判断材料も提供することが工夫として求められます。

「診療情報提供書」の落とし穴

「診療情報提供書」は診療報酬上に定められた特定の条件のもと保険医療機関に発行した場合のみ算定できるもので、「産業医が主治医に依頼する職場復帰等に関する意見書」については療養の給付を認めないとの通知があります。

平成20年9月30日保医発第0930007号
2 療養の給付と直接関係ないサービス等
療養の給付と直接関係ないサービス等の具体例としては、次に掲げるものが挙げられること。
(2) 公的保険給付とは関係のない文書の発行に係る費用
ア 証明書代(例)産業医が主治医に依頼する職場復帰等に関する意見書、生命保険等に必要な診断

従業員経由で、主治医から診療情報提供書の発行を依頼した場合、医療機関にもよりますが、その他の文書として3,000~5,000円の費用は発生してしまうこともありますのでご注意ください。松田氏の提案の通り、従来から「診療情報提供書」としていたものを「診断書」として位置付けて発行してもらうことが望ましいと思われます。厚生労働省の「治療の状況や就業継続の可否等について主治医の意⾒を求める際の様式例」でも【診断書と兼用】という文言が付せられています。

おまけ

主治医へのお手紙の書き方シリーズ1 〜産業医としての判断を主治医に丸投げしない
主治医へのお手紙の書き方シリーズ2 〜主治医が知らない情報を提供しよう〜
主治医へのお手紙の書き方シリーズ3 〜お手紙戦略〜

おまけ2

古屋らの調査によれば、治療医と会社(産業医)との連携には以下の4つの論点があると報告されています。これらの点は、良好な連携にもなりますし、連携の妨げにもなっていることに注意が必要です。

①医療関連情報の共有(「治療経過および今後の治療計画の提供」および「健康情報の提供」)
②復職・就業配慮の妥当性
③文書発行(「提供情報の一貫性」、「文書の発行」)
④産業医の存在を意識したコミュニケーション

参考・関連資料

診療情報提供依頼書マニュアル(wordでダウンロード可)
こちらのサイトから

産業医のための職域メンタルヘルス不調の予防と早期介入・支援ワークブック 精神科専門医との円滑な連携のための紹介状の書き方

治療と職業生活の両立支援についての取り組み(厚生労働省)

大河原 眞, 梶木 繫之, 楠本 朗, 藤野 善久, 新開 隆弘, 森本 英樹, 日野 義之, 山下 哲史, 服部 理裕, 森 晃爾. 精神科主治医からの情報提供を充実させるために
産業医が依頼文書に記載すべき要素の検討. 産衛誌 2018; 60(1): 1-14

松田晋哉. 産業医が依頼する「診療情報提供書」について、病院対応に関する実態調査(産業医科大学病院・本野調査より)

森本英樹, 向井 蘭. ケースでわかる 実践型 職場のメンタルヘルス対応マニュアル

治療と仕事の両立について(厚生労働省)様式がダウンロード可能です

古屋 佑子, 高橋 都, 立石 清一郎, 富田 眞紀子, 平岡 晃, 柴田 喜幸, 森 晃爾. 働くがん患者の就業配慮における産業医から見た治療医との連携に関する調査.産業衛生学雑誌2016 年 58 巻 2 号 p. 54-62

主治医から産業医への情報提供の必要性について~連携の重要性を視点に~
20015 年 1 月 31 日 日本産業衛生学会 産業医部会 幹事会


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