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社内診療所について考えてみる 〜産業医と主治医の兼任問題〜

はじめに

企業によっては、社内診療所があり、産業医として産業医活動に加えて、社内診療所での診断や治療を行うケースについて考えてみようと思います。かなり限られたケースかもしれませんが、まだまだ社内診療所がある企業が多いことも事実ですし、産業医と主治医との棲み分けについて考えることにも繋がりますので、それなりに参考になるかと思われます。また、コロナの影響で、社内診療所を設置しよう、もしくは社内診療所拡大・維持しようと考える企業も出てきているようですので、そのようなプレッシャーを受けている産業保健職にも参考になるのではないかと思われます。

『良いところ・メリット』

信頼作り

圧倒的にこれです。役割がよく分からない産業医よりも、診療してくれる医師の方が圧倒的に信頼作りはしやすいでしょう。従業員としても、どのような時に(社内診療所を兼ねる)健康管理室に行けばよいか分かりやすく、頼りがいのある先生として信頼を勝ち得やすいでしょう。社内で職位が高い方ほど高齢ですので、持病を持つ方も多く、社内診療所での処方に対する期待も大きくなりがちで、社内ネットワークも広がりやすいでしょう。場合によっては経営層・役員層ともコミュニケーションを図る機会となりますし、産業医活動もやりやすくなります。ネゴりやすくなります。また、普段は接することのない若年層も、ちょっとした風邪や胃腸炎、花粉症などの診療を通じて対応することができますので、関係作りもしやすくなると言えます。

福利厚生感・安心感

社会診療所は最強の福利厚生の一つと言えるでしょう。従業員からすれば、大変頼もしい存在となりうえます。就業時間中に診療を受けられる、処方を受け取れるといった環境はとてもありがたい環境ですよね。企業としても、そこにコストをかける意義が理解されやすいとも言えるのかもしれません。良くも悪くも、産業医が居てくれるだけでありがたい、という状況になります(それが本来的に産業医なのか、と言われれば別の話ですが)。

初療可能

健診の事後措置において、血圧や血糖が高い場合に、受診勧奨をしてもなかなか受診に繋がらないケースは非常に多いです。血圧で180/120だったり、血糖でHbA1c 10超えの事例にもよく遭遇しますしね。もちろん受診するかしないかは本人の自由ではありますが、やはり早期に治療に繋げたいと思うのは、医師であれば当然の想いでしょう(経過観察して血管イベントが起きるのが非常に怖いとも言えます)。その場合に、社内診療所があることで降圧剤や血糖降下剤を処方することができるのは非常に強いです。保健指導の面談のまま処方することや、帰宅前に寄ってもらうことなども可能だったりします。
 また、従業員に軽度の不眠症状を認める場合に、頓服であっても眠剤を処方することで、不眠症状の改善に繋げることができるということも非常に大きなメリットでしょう。薬剤処方というのは医師として大きな武器となることをつくづく感じさせられます。
 従業員側としても(特に精神科領域は)受診のハードルが高いと感じていることも多いですし、さっと処方してくれる社内診療所は非常に心強い存在となります。薬剤処方を期待して、産業医面談を希望する従業員も出てくるでしょう(←この辺りが産業医と主治医の境界線がぼやけてくる領域でもあります)。

(企業側のメリットとしての労災過小申告)

企業内診療所は、赤チン災害などを処置することがあるため、医療機関で労災保険を使わずに済ませられるということがあります。もちろん、大きな怪我については、診療所で処置することが難しいと思いますが、ちょっとした怪我であれば、対応が可能です。また熱中症についても、点滴して対応することで済ませられることもあるかもしれません。それらを労災として挙げるかどうかは企業次第であり、企業によっては全てカウントしているところもあるかもしれませんし、そうじゃないところもあるかもしれません。そういう可能性があることだけは頭の片隅に入れておくと良いと思います。

『よくないところ、デメリット』

抱えてしまう、手離れの難しさ

診療を開始した従業員(患者)をどこで専門診療に繋ぐか、というのはプライマリケア(初療)に長けている医師にとっては特に難しくないでしょうが、そうでない場合にはそのタイミングを逸してしまうこともあるでしょう。恐らく多いのは、糖尿病であったり、精神疾患だと思います。診療がうまくいっていればいいのでしょうが、徐々に悪化し、2剤、3剤が必要になってきたケースにおいては、どこかで専門診療に繋ぐ必要があるでしょう。従業員(患者)としてもコントロール状況が悪化していてもアクセシビリティの良い社内診療所での治療継続を希望するかもしれません。一度主治医になったら変えにくいでしょうしね。この辺りの線引きを誤ると後々のトラブルになる可能性があると思います。
なお、この点は難しいので、メンタルヘルス関連は診療しないという戦略はありですよね。

一次救命処置が遅れる

応急処置対策の落とし穴」や「熱中症対策の落とし穴」でも言及した通り、現場で、大怪我をしたり、意識障害・心肺停止を起こした際には、適切な医療が受けられるように一刻も早く救急搬送しなければなりません。多くの社内診療所は救命に関する医薬品・器具は圧倒的に足りません。緊急事態に社内診療所が対応する仕組みは、搬送を遅らせることにつながることにも注意が必要でしょう。くれぐれも、社内診療所を一度経由することで搬送が遅れるということが起きないような仕組み作りをしましょう(これがとても難しいのですが)。

産業医と臨床医との棲み分け、役割誤解

企業側、従業員側から、産業医の役割について誤解される可能性があります。それは例えば、社内診療所の(臨床の)先生、という認識をされることです。産業医として、社内の安全衛生活動に参加できない(声がけされない、招待されない)こともあるかもしれません。気づいたらいつのまにか従業員が復職していたということもあるかもしれません。産業医が外部の人間として扱われてしまうかもしれません。
 産業医は、白衣を脱いで、作業着・ヘルメット・作業靴を身に付けて現場に行くことこそがアイデンティティであると考えています。そのような中で、白衣+聴診器の先生と認識されることは、現場との距離感を生んでしまう可能性があると思います。小さな距離感かもしれませんが、その積み重ねが、ボタンのかけ違いになる可能性を秘めているような気がします。
参考:「臨床マインドからの脱却」「産業保健マインドとは

治療開始域の難しさ

メリットには初療の開始しやすさを挙げましたが、一方でその基準は非常に悩ましいところです。もちろん臨床のガイドラインに沿って、ということでもよいのかもしれませんが、実際にその数値で対応してしまうことが本人のためになるかどうかは分かりません。特に脂質や尿酸といった項目は、その治療開始の難しい領域だと思います。医師としては、治療したくなるのが性(さが)だと思いますし、ガイドラインをもとに治療開始することを正当化する方も多いとは思いますが、本人の病識、理解、納得がないままに安易に治療開始することは望ましくないと私は考えます。
 なお、これは受診勧奨する基準の難しさともかぶる部分です。(参照:「受診勧奨の落とし穴」)
参考:
動脈硬化性疾患予防ガイドライン・エッセンス(日本心臓財団)
動脈硬化性疾患予防のための脂質異常症治療のエッセンス(日本医師会)

病気をつくる?

治療を開始するかどうかは本来は本人次第(本人の意思決定が強く尊重されるもの)です。しかし、臨床現場では多くの場合、主治医の判断に左右されることも多く、社内診療所についても医師の判断によって、治療するかどうかが左右されると言えるでしょう。病気かどうかは診断基準の数値として線引きすることもできますが、病気(治療対象)とみなすかどうかはかなり恣意的な要素が含まれます。寝付きが悪い、途中で起きてしまうといった症状を抱える従業員に対して、眠剤を出せば「不眠症」という病気がつくられてしまう、といった具合です。多くの健常者を相手にする職域の現場に、臨床医としてずかずかと出ていき、数値や医師の判断で線引きしたりすることで、多くの病気がつくられてしまいます。下図に健診の有所見を示していますが、それをどこまでを病気とするかどうかは実はかなり恣意的だったりしますよね。実際のところで言えば、薬剤処方することは病気と診断することとほぼ同じような行為となってしまいます。医師であれば、ついつい親切心で薬剤を出してしまうことも多いと思いますが、それが本当に正しいことかどうか、どこまでが適切なのか、ということは非常に難しいことなのではないでしょうか?(産業医だけしていれば迷わないということではありませんが、診療医(主治医)を兼ねることで、より迷い・悩みは増す可能性があるように思います)

定期健康診断結果から見た有所見率の推移
この有所見者を病人にするかどうはとても恣意的ですよね。

患者という従業員との癒着

前述のように、社内診療所の医師は、信頼関係が作りやすい立場です。その結果、特定の従業員と極端に距離が近くなってしまうこともありえます。それが職位の高い方の場合に産業医としも有利に働くこともあるでしょう。そこでしか手に入らない情報も入ってきますしね。ただ、これも良いことだけではないので注意が必要です。かつて、江戸時代には将軍家や大名に仕えた医師は御典医と呼ばれ、側近として頼られた者もいたそうです。しかし、この御典医が下手に権力を持ってしまった結果、それをよく思わぬ者もいた、ということは想像に難くないでしょう。社内診療所の医師についても同様に、社内の権力者に取り入ってしまうことは、社内に敵を作ってしまう懸念があるのです(手塚治虫先生の「陽だまりの樹」でも近いような描写があります)。社内政治にどこまで産業医が首を突っ込むか、という議論ですので、お上手な方は特に困らないとは思いますが・・・。

治療が難航したときのややこしさ

治療がうまくいっていれば問題にはならないのでしょうが、実際には稀に治療が難航することもあるでしょう。最悪の場合、血管イベントで亡くなる、自殺で亡くなる、見逃したがんで亡くなるといったことも発生するかもしれません。企業というのは小さいコミュニティですので、そのような情報もあっと言う間に広がってしまうこともあるでしょう(僻地の地方医療と近いところがありますよね)。人の健康は不確実性が高く、必ず治療がうまくいくというものではないのですが、不幸なイベントが起きたときには、突然味方だと思っていた人たちから"手のひら返し"をされるかもしれません。それまで培ってきた信頼が一気に失墜するかもしれません。これも社内診療を行うことのデメリットだと思います。
 精神疾患(メンタルヘルス不調)の場合には、治療の難航とは職場のトラブルが長引くことや、職場復帰が遅れることにつながるかもしれません。これはそのまま労務トラブルにもなりかねません。このような労務トラブルにおいては、社内診療であっても主治医として関わることになり、当然産業医としての立場は出しにくいでしょう。なので、社内診療所でも、メンタルヘルス不調は診ないと言う戦略はありですよね。。。

よろず相談の難しさ

社内診療所で相談を待ち構えていれば、あらゆることが相談される可能性があるでしょう。レントゲンや心電図の確認、セカンドオピニオン、腰痛、肩こり、頭痛、怪我・骨折などなど。。。もちろんできうる限りの対応をするのでしょうが、医師の知識にも限界があります。その中で、十分に対応できなかったり、初療に失敗して信頼を失う懸念もあります。また、よろず相談に対応するためには、社内診療所の機器・物品を整備したり、自身の知識をアップデートすることが必要になってくるかもしれません。社内診療所に、どんどんと自分の診療欲(エゴ)を満たすために機器・物品を整備することが本当に正しいのかどうか。そして、それは企業や従業員全体のためになるのかどうか、という話ですよね。

本業がおろそかになる

社内診療所の業務にエフォートを割いてしまえば、産業医の本来の業務がおろそかになりうるでしょう(産業保健機能が期待されない可能性もあります)。しかし、社内診療所はニーズが発生しやすいため、社内診療所の業務もおろそかにはできないでしょう。診療能力のアップデートも必要になってくるため、産業医能力のアップデートがおろそかになりえます。社内の産業保健リソースが大きい場合には、問題にならないかもしれませんが、リソースが限られている場合には、この辺りも注意が必要だと思います。

主治医だから得られた情報の取り扱い

主治医だからこそ得られる情報があり、そこで得た情報を産業医としてどう扱えばよいか困るケースも発生するようです。知ってしまうことで判断が変わってしまう懸念もあるかもしれません。また、従業員(患者)として情報を提供したのだからと、過剰な配慮を求めてくる可能性もあります。産業医であれば、聴取する必要もないことも、診療医であれば聴取することも増えてくるでしょうから、この辺りも注意が必要だと思います。

終わりに

メリットとデメリットを理解した上で、診療所機能をうまく使いこなせば、産業医としても大きな武器になると思います。とは言え、診療所機能を持っている企業もそんな多くないと思いますので、この記事がそのまま活用できる方はほとんどいないと思います。しかし、このような切り口で考察してみることも、産業医の役割とはなんなのか、ということを考えることの一助になるのではないでしょうか?ご参考になれば幸いです。

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