49.応急処置対策の落とし穴
労働者が働く現場では、ときに大怪我・大出血・窒息といった事故から、心肺停止といった緊急事態が発生します。前者であれば、四肢の固定や止血、気道異物除去といった知識・技術が役立ちますし、後者であれば、一次救命処置(BLS:basic life support)・心肺蘇生法(CPR:CardioPulmonary Resuscitation)の知識・技術が非常に重要です。現場での処置を行えるかどうかで、救命できるかどうか、または社会復帰できるか(後遺症が減らせるか)ということが変わってきます。職域の現場における緊急事態への対策については、特に、応急処置に関することは、医療職である産業保健職に対する期待が大きくなるでしょう。この記事では、その応急処置(主に一次救命処置)に関する落とし穴についてご説明いたします。
産業保健職ありきのフローという落とし穴
「熱中症対策の落とし穴」でも言及した通り、応急処置対策についても産業保健職ありきの対応フローには限界がありますので注意してください。現場で、大怪我をしたり、意識障害・心肺停止を起こした際には、適切な医療が受けられるように一刻も早く救急搬送しなければなりません。仮に診療所機能を有していても、救命に関する医薬品・器具は圧倒的に足りません。緊急事態に産業保健職が対応する仕組みは搬送を遅らせることにつながるということをおさえておきましょう。事業所の常勤・常駐の産業保健職だとしても、夜間や土日も稼働しているような現場においては、いない時間帯の方が圧倒的に多いと言えます(およそ稼働している時間の1/3~1/4しか事業所にいません)。安全衛生活動において仕組みづくりはとても重要であるからこそ、産業保健職ありきの仕組みにしないことが、特に応急処置・一次救命処置対応においてはとても重要ですので注意してください。「自殺対策の落とし穴」でも言及した通り、緊急時の対応は「現場での早期認識」と「通報」の判断ができるような衛生教育(応急処置教育・一次救命処置教育)を行うことがとても重要です。以下のような外部講習・資格を活用するのもお勧めです。
参考:
・一般市民向け 応急手当WEB講習(総務省消防庁)
・応急手当指導員
・救命技能講習一覧
なお、一次救命処置ができる人材を増やすことは社会のためにも重要です。心肺機能停止症例のうち、一般市民により目撃があった症例は1-2割程度です。一次救命処置においては、救急隊到着までの数分間にバイスタンダー(けが人や急病人が発生した場合、その付近に居合わせた人)が行う救急処置が、患者の予後や生存率を左右します。
AEDの落とし穴
1.AED設置の落とし穴
日本ではAED設置の法的な義務付けはなく設置者の任意です。にもかかわらず、広く普及し、市民が利用可能なAEDの販売台数(累計)は、2016年で68.8万台となっています(参考)。しかし、一方でAED の普及台数に対して救命された人数が不十分との有識者の指摘があり、また、AED の普及について、「設置数を増やすことに重点が置かれてきたが、今後はより効果的かつ戦略的な AED 配備と管理を進めていく必要がある」(一般財団法人日本救急医療財団「AEDの適正配置に関するガイドライン」(以下、ガイドライン))とされています。
職場においては、どのような企業や場所にAEDの設置・配置が勧められるのでしょうか?ガイドラインでは以下のようなことが示されています。
このようなガイドラインに沿って、各事業所の規模や業種、建物構造、敷地などを考慮した上で、AEDをどう設置するか、どのように配置するかを検討する必要があるでしょう(個人的な経験では、心停止から 5分以内にAEDが使用可能かどうか、ストップウォッチ片手に工場内を走り回ったことがあります)。また、さらに職域においては、作業環境や作業内容として、電撃・雷撃の恐れが高い場所、窒息、熱中症、激しい運動、といった点も考慮する必要があります。見回り・巡回・パトロールなどで一人作業(特に夜間)を行う場合には、転倒した際などに他の誰かが気がつけるようにアラートが鳴る仕組みも検討する必要があります(例:1,2,3)。
また、AEDを設置していない事業所は、AEDマップのアプリがいくつか出ているので、それをもとに近隣のAED設置場所・使用可能時間を確認し、公共のAEDや他事業所のAEDを活用するという選択もありえるでしょう(例:1、2)
参考:
・一般財団法人日本救急医療財団「AEDの適正配置に関するガイドライン」
・【2019年】AEDの適正配置に関するガイドライン公表。5年ぶりに何が変わった?
・日本小児循環器学会学校管理下 AED の管理運用に関するガイドライン
(2019 年度)
・国際安全衛生センター 職場における突然の心停止を救済する
2.AED周知の落とし穴
AEDは設置してあっても、周知されていなければ意味がありません。緊急時に心停止から 5 分以内に電気ショックを行うためには、まっしぐらにそのAEDを取りに行く必要があり、基本的には企業にいるほぼ全員が、自分たちの職場の最も近いAEDがどこにあるかを知らなければなりません。さらには、業種によっては顧客・利用客などの外部の方にも周知する必要もあります。そのために、前述(施設内での AED の配置に当たって考慮すべきこと)の通り、AEDは分かりやすい「場所」(入口付近、普段から目に入る場所、多くの人が通る場所、目立つ看板)に設置することに加え、AED 配置場所との「周知」(施設案内図への AED 配置図の表示、エレベーター内パネルに AED 配置フロアの明示等)や、「啓発」(衛生委員会、イントラネット)、「教育」が必要です。2014年には、せっかくAEDがあったのに、夜間は施錠されていて使えなかったという事例が発生しました(リンク)。そのため、設置されたAEDの効果的活用のためには、使用可能時間も併せて周知することも非常に重要です。前述のガイドラインの通り、誰もがアクセスできる(カギをかけない、あるいはガードマン等、常に使用できる人がいる)場所への設置が望ましいでしょう。また、前述のアプリには、一部のAEDは使用可能時間も表示されます。AEDは、必ずしも自企業の従業員のためだけではなく、顧客や周辺の地域住民のためにもなるものですので、事業所にAEDがある場合には、ぜひAEDマップにご登録ください(コチラ)。
また、施設案内図(マップ)についてもAEDは明確に示されていなければ、いざという時に使用することができません。どこにあるか分かりにくいマップの例(筆者2014年撮影)が以下です。AEDがどこにあるかわからない、もしくは示されていないことがわかると思います。
わかりやすいマップが以下です。みなさんの担当する事業所でもAEDマップや、緊急備品マップを作成して掲示してはいかがでしょうか?
参考)
・AED アンケート調査結果について - 京都大学保健管理センター
・兼松 有加ら.大学生の一次救命処置に対する意識の現状と今後の課題—医学部保健学科看護学専攻生と他学部生における比較検討. 日本看護医療学会雑誌 2008;10(2):pp.44-52
・酒井 順哉ら.公共施設におけるAED設置場所の表示案内のあり方の研究.医療機器学 2010;80(5):524-525
こんな設置のされ方もあるようです。これでは、いざという時にすぐ使えない可能性もありますよね。平時から発見されやすい工夫が必要ですよね。
3.AED使用の落とし穴
AEDは一般市民でも使えますし、初めての人でも機器からのガイダンス音声に従えば使えるように設計されています。しかし、AED使用も含めて一次救命処置を行うことには多くの方が不安を持っています。この不安とは、自分の処置が適切であるか、正しい方法であるか自信がない、周囲の協力が得られるか心配、状況判断が難しい、感染が心配、あいまいな知識で実施して状況を悪化させてしまうのが怖い、状況が悪化して責任を問われるかもしれない、自分の行動が人の生死を左右すること、といったことなどです。そのため、一次救命処置が行えるかどうかというのは、単に知識や技術だけではないと言えます。しかし、緊急時においては、一次救命処置に対する少しのためらいが救命率を分けます。企業で、応急処置教育(AED講習)を実施する際には、このような救命処置への抵抗感にも留意する必要があります。また後述のように、救命処置の実施者のアフターフォローについても大切です。
教育については、「一般市民向け 応急手当WEB講習(総務省消防庁)消防庁」が利用できますので、活用するとよいでしょう。ガイドラインも5年ごとに更新されますので、定期的・繰り返し行っていきましょう。
また、一時期SNS上で、女性に対してAEDを使用するかどうか、という議論がありました。しかし、当たり前ではありますが、命に関わることは最優先事項です。救命時に余裕があれば、可能な限りの配慮はした方がよいとは思いますが、そちらに注力してしまうことで救命が遅れては元も子もありません。救命が最優先されることをここで強調したいと思います。多摩府中保健所からリーフレットも出ていますのでご活用ください。
参考:
・兼松 有加ら.大学生の一次救命処置に対する意識の現状と今後の課題—医学部保健学科看護学専攻生と他学部生における比較検討. 日本看護医療学会雑誌 2008;10(2):pp.44-52
・女性に配慮したAEDの使用方法について(東京都福祉保健局)
・女性にAED ためらわないで 寄せられた声から(未来スイッチ)
4.AED点検の落とし穴
AEDの電極パッドやバッテリは経時的に劣化するため、日頃からの機器の確認と適切に消耗品を交換する必要があります。厚生労働省は、各都道府県に対して通知を発出し、AEDの適切な管理等の徹底を繰り返し依頼しています。また、AED設置者に点検担当者の配置を求め、点検担当者にはAED本体のインジケータの日常的な確認と記録およびAED本体あるいは収納ケース等への表示ラベルの取り付け、この記載を基にした適切な電極パッドやバッテリ交換の実施を求めています。しかしながら、国によるAED設置施設に対する調査では、維持管理が不適切となっているものが見受けられ、適切な維持・管理体制が必要になります。インジケーターが見えやすくすることや、日常点検がしやすい場所、温度や風雨による影響などを考慮し、壊れにくい場所に設置することも重要です。
点検方法や、点検表の例はこちら
AEDの日常点検の実施と消耗品管理について 電子情報技術産業協会(JEITA)医用電子システム事業委員会 体外式除細動器ワーキンググループ日本光電:Mobile AED 『AED-M100シリーズ』の日常点検について
なお、AEDによっては、遠隔監視システムが搭載されているものもあります。まずは皆さんの事業所がお使いのAEDのシステムを確認してみること、また新しく設置する際には遠隔監視システムも含めた管理体制の検討をしておくことをおすすめいたします(リースか購入かも大事なポイントです)。
日本光電:AEDリモート監視システムフクダ電子:AED遠隔監視システム"AEDガーディアン"セコム:「AEDオンライン管理サービス」 など
参考
・AED設置施設における適切な『保守・管理・使用』講習会~日頃の点検と少しの勇気が命を救う~H23/3/17 大阪府医療機器安全性確保対策検討委員会
若年者の心停止の落とし穴
心肺停止は、一般的には動脈硬化性疾患によって発生するイメージを持っている方が多い、つまり比較的高齢な方に起きやすいのではないかと思っている方も多いようです。しかし、それ以外にも不整脈(WPW症候群やブルガダ症候群)、肥大型心筋症、冠動脈異常などの心疾患や、胸部への強い衝撃時・心臓震盪・運動時、熱中症、窒息、アナフィラキシー、自殺などによっても発生します。また、前述の通り、感電や落雷によっても心肺停止が発生することがあります。そのため、若年者が多いから大丈夫というものでは決してありません。明日、誰が倒れるか分からないからこそ、お互いを助け合えるように、救命処置ができるように従業員たち自身に知識・技術を身につけてもらう必要があると言えます。
心電図検査の落とし穴
心電図検査は、心停止のスクリーニングとして確立されたエビデンスはありません(虚血性心疾患や心房細動としても確立していませんし、そもそも、労働安全衛生法に基づく健康診断の心電図検査は虚血性心疾患や不整脈を早期発見するための目的で実施しているものではありません)。そのため、健康診断による心電図検査で心肺停止数を減らすということは難しいでしょう。事業所で心停止の事例が発生した場合に、「心電図検査を毎年全員に行なっているのに心停止がなぜ起きたんだ」と言う方が出てくるかもしれませんので、その際には心電図検査の限界をきちんと説明しましょう。また、JRC蘇生ガイドライン2015では、以下のように示されており、心電図検査の結果と併せて、心臓突然死の家族歴などがあれば、専門家による精査が勧められるでしょう。
実施者フォローの落とし穴
心肺停止事例が職場で発生した場合、運良く処置が行えて救命できるかもしれませんが、残念ながら救命できなかった、もしくは重い後遺症が残ってしまうこともあります。職場で自殺を図った方に救命処置を懸命に行ったけれど、不幸な顛末を辿ったという話もあります。そのような場合には、外傷性ストレス様の反応や、自分の一次救命処置の良否に思い悩む、自責の念を抱き続ける、強い衝撃と様々な精神的影響をもたらすことがあります。これは特に救命できなかった、結果が不明な場合に起こりやすいようです。表彰制度を設け、一次救命処置の妥当性や価値の再認識することや、体験の共有すること、そして必要に応じて、産業保健職が支援を行い、症状が深刻な場合には、専門家につなぐといった対応も求められます。
参考:
・「JRC蘇生ガイドライン2015」オンライン版
・漢那朝雄, 小林正直. 救助者の心的ケア.心臓 2014;46(6):677-681.
・大塚祐司.航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例. 宇宙航空環境医学 2007;44(3):71-82
・田島典夫ら.バイスタンダーが一次救命処置を実施した際のストレスに関する検討.日臨救医誌 2013; 16:656-65
おまけ
実は(?)、AEDのマークはメーカーごとに若干それぞれ違います。一覧を作ってみましたので、ご参照くださいませ。International Liaison Committee on Resuscitation (ILCOR, 国際蘇生法連絡委員会) が 2008年9月に、AED の設置場所が世界中の誰でもわかるようにすることを目的に決めたユニバーサル AED サインは緑色だそうです。日本では見かけたことありませんけどね・・・汗
おまけ2
救命・応急手当のキホン オンライン講座へようこそ(日本産業衛生学会 職域救急研究会)
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