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100均で働いて知った「失礼」の素晴らしさ

2020年春と言えば、緊急事態宣言が発出されて食料品店やホームセンターといった一部の店舗を除いてあらゆる店が休業した。
当時自分はショッピングモールの中の雑貨屋さんで働いていたのだが、ショッピングモールにも休業要請が出たので当然テナントである自分のバイト先も当面の間休業となった。

しまったこれでは給料が入ってこないぞ・・・と思っていた矢先、営業している他の系列店で働いてもいい、と本部から連絡があったのでありがたく自宅近辺の系列店にヘルプとして派遣してもらうことにした。


結論から言うと、めちゃくちゃ忙しかった。


自分のバイト先が主婦向けの可愛い生活雑貨店だったのに対し、系列店はいわゆる100円ショップだった。大阪や神戸で働く人たちが住居を構えるベットタウンの郊外で、交通量の多い国道沿いの大型店舗だったため毎日客足は絶えず、緊急事態宣言中であることを忘れそうになるくらい店内は賑わっていたしレジの列は密だった。

ヘルプとして派遣されてからは、毎日ひたすらレジ打ちに専念していた。商品がどの辺りに陳列されているか大体のことはわかっていたが、大型店舗だったため完璧に把握することは難しく、品出しをしようとするとものすごく時間がかかった上にお客さんに「この商品ってどこですか」なんて聞かれても8割くらいの確率で答えることができなかったので、自分から店長に「レジ打ちだけさせてください」と自分から申し出てレジ打ちに専念することにした。
毎日大量の納品を品出ししなければならなかったためレジ打ちの負担から解放された、と店長や他のスタッフさんに喜んでもらえたので余計レジ打ちに専念しない理由がなかった。

レジ打ちという作業は実は面白い。

買っている商品でその人がどうやってステイホームを過ごそうとしているか予想が付くからだ。
たとえば、製菓材料を買い込んでいる親子はこの後きっと帰宅してケーキやクッキーを作るんだろうし、大量の毛糸玉を買うおばあちゃんは編み物でもするんだろう。大量の収納グッズや掃除道具を買い込む家族連れはステイホームを機に家の大掃除をするに違いないし、やたら家庭菜園用の土や支柱が売れるのは郊外の店舗ならではだろう。作業着を着たいかついおじさんがおもちゃを持ってレジに来ると、孫か子供と遊んでいるところを想像してマスクの下でにやけてしまう。

一方で、客層がよく見えるのもレジ打ちである。

郊外の店舗だったため、都市部の店舗に比べると高齢者のお客さんが多かった。おそらく散歩中の寄り道なのだろう、財布も持たずポケットの中からジャラジャラと小銭を出してライターやジュースを1本だけ買うおじいちゃんは割といた。
きちっと代金を出してくれる人もいれば、ポケットの中の小銭を鷲掴みしてトレイの上に無造作にすべて出し、無言のまま「こっから取れ」と言わんばかりに手を振って会計が終わるのを偉そうに待つだけの人もいる。これだけでも十分ムッとしてしまうのだが、トレイを無視してレジカウンターに小銭を放り投げる人もいるので、お金は取りにくいし弾みで小銭が転がろうものなら焦って拾うのはこっちである。

今では接触を少しでも減らすためにトレイの上におつりとレシートを置いて渡すのが当たり前になったが、当時はまだマニュアル化されていなかった。そのため、いつもの癖で手渡ししようとすると眉をひそめて無言でトレイを指さしてくる人もいた。まるで自分がコロナウイルスを持っているかのような扱いを受けてショックだった。それ以降、トレイで渡すように心がけていたものの、中にはトレイに置くと小銭を財布にしまいにくそうにするお客さんがいてレジが余計混んでしまい、「早くしろよ」という圧を次に並んでいるお客さんから感じることも多々あった。

普段、自分がバイトしていた雑貨屋さんは客層の8割が主婦で、レジをしていて嫌な気分になることはほとんどなかった。扱う商材や店舗の立地でこんなにも客層が変わるとは思ってもいなかったため、はじめのうちは慣れずなかなかしんどかった。


「店員も人間だぞ」「コロナのストレスを他人にぶつけるなんて」とモヤモヤしていたものの、お金は払っているわけだし、理不尽なクレームを言われたり罵詈雑言を言われたわけでもないので自分が我慢するしかないか・・・と思っていた。

ある日、休憩しにバックルームの事務所へ行くとパートの主婦さんが休憩していた。
お疲れ様、と声をかけられた後、
「どう?ずっとレジに入ってしんどくない?」
と聞かれたので素直に
「自分の店舗と客層が全然違うので色んな人がいて勉強になります」
と言うと、主婦さんは笑った。
「うちの店は客層悪いからね~、ヤンキー家族もじいちゃんばあちゃんも色んな人が来るよ。特にほかの店が休業中だからみんな買い物に来るしね」
自分はお金を投げられたりお釣りの手渡しを無言で断られたりした話を主婦さんにした。主婦さんは持参のお弁当をつつきながら
「いるいる、そういう人。きっと店員を見下してるんだろうね。私、自分の息子が店員さんにそういう態度取ったら絶対許さないよ。だって、失礼でしょ。お金投げたり、偉そうな態度取ったり、そんなこと相手が誰であれ失礼でしょ。こっちが売らなければ相手は欲しくても手に入れることができないのに」
と、語尾を強めながら言った。

主婦さんの言葉を聞きながら、「だって、失礼でしょ」という言葉にハッとさせられた。

嫌な気持ちになってモヤモヤしながらも、「お客さんだし」「自分の配慮が足りてなかったのかな」「代金はきちんと払ってもらってるし気にすることじゃないのかも」と思っていたが、やはり「失礼」な行為なのだ。

「失礼」という言葉は、いろんな場面で使える。立場が上の人間が下の相手に失礼な言動をとったとき、立場が上でも失礼な行為は咎められるし、第三者が「それは失礼だぞ」と指摘することに違和感はない。もちろん、対等な立場ならなおさらである。

「買う側」と「売る側」の関係について「お客様は神様」という言葉がある。この言葉の中で「買う側」と「売る側」の関係は完全に買う側優位だが、両者の関係に優劣があったとしても「失礼」という言葉は有効である。お金が絡むためにややこしくなるだけで、売買というやり取りもその本質は人間同士のコミュニケーションではないだろうか。コミュニケーションである以上、「失礼」な行為や言動は咎められるべきだし、「失礼」な言動をされた側は「失礼だぞ!!」と怒ってもいいと思う。

「何が失礼か」という問題は、ある。
冠婚葬祭やビジネスのようなフォーマルな場面では特殊なマナーが存在するため「失礼かどうか」という見極めが必要である。そういう特殊な場合では「失礼だ」「失礼じゃない」という議論が起こってしまうのは事実だが、日常の人間関係の中でどんな行為が「失礼」な行為か、という認識は極めて一般的で共通な感覚としてだれにでもあるはずである。
ビジネスの世界で「ご苦労様です」が「失礼」に当たるかどうか、という問題に関しては議論は起こりそうだが、少なくとも初対面の相手に偉そうな態度を取ったりお金を投げて渡すなんて行為はほとんどの人が「失礼だ」と認識して眉をひそめる、普遍的に「失礼」な行為である。
しかし、そういう認識が欠如しているのかあえて「失礼」だと認識しながらやっているのかは分からないが、平気でそういう言動をする人はいる。

そういう人たちに対して、我慢したり「お客様だから」と言い聞かせるのではなく「なんて失礼な人なんだ」と見限ってしまう方が気持ちは楽になる。「このご時世にお釣りを手渡ししようとした自分が間違っていたのかも」と思っても、だからといって偉そうに無言でトレイを指さすなんてやっぱり「失礼」で自分が落ち込む必要はないなと開き直った。接触が怖いのならそもそも通販やネットショッピングを利用すればいいし、トレイに置いてほしければひとこと言えばいい。「すみません」と付け加えればそれだけでこちらも「まぁそうだよな」と理解を示せるし少なくとも無言でトレイを指さされるより断然いい。
お金を払っているからとか、立場が上とか、そんなこと関係なしに相手に「失礼」な行動はとらない。これが基本じゃないだろうか。
「失礼」という言葉は、難しい理屈を考えずに人間関係やコミュニケーションを円滑に進め、傷つく人を減らすための素晴らしい価値観ではないだろうか。なんてシンプルで、かつ普遍的な価値観なんだろう。
相手の行動にモヤモヤして、相手の行動が正しいのか自分のモヤモヤが間違っているのかわからなくなった時、「失礼かどうか」でもう一度振り返ると、新しい見え方がするかもしれない。


「失礼」という言葉のすばらしさに気づいた100均レジバイトだった。






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