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6. 絶対時間と相対時間|「時間」はヒトが作った概念

■「時」、「時刻」、「時間」の意味の違い


・時 
太陽・地球・月の回転によって続く変化。
「過去、現在、未来」と名付ける変化の流れ。

・時刻
「時」を刻んで定め、時計に表す数字。

・時間
「時刻」と「時刻」の間の長さ。
(「時」と「時刻」の意味でも使われる。)


「時」と「相対時間」

は、子供の頃と大人になってからを
相対的にみて、人それぞれの感覚によって
早く感じたり、長く感じたりするもの。

「時刻」と「絶対時間」

は、絶対的な基準として
国際的に定められているもの。


■ヒトが「時間」を作った歴史

⑴ 太陽、月、地球の回転

太陽が昇り、太陽が沈む。
明るくなって、真っ暗になる。
古代のヒトはその繰返しを
「1日」として区切った。

月は、新月、三日月、満月になってから、
また新月になるまで約30日の周期がある。
先人はその繰返しを「1ヵ月」とした。


⑵ 暦

世界にはかつて「エジプト暦」「ユリウス暦」「グレゴリオ暦」など、様々な「暦」があった。

日本では「日の出日の入り」や「月の満ち欠け」を基に作った「太陰太陽暦」が使われていた。

地方それぞれに居た「暦師」と呼ばれる人が
日付や月の満ち欠けを表した「暦」を作り販売。

「暦」は豊作を得るための種蒔き日和を知るためや、領土をめぐる戦さのために使われていたと言われている。

日本の「太陰太陽暦」では1か月は、
29日か30日。

日付のズレを調整するために数年に一度、
1年を13ヶ月にしていた。


⑶ 改暦

「暦」どおりに満月にならなければ「暦」が外れたということになり、日付のズレを調整しなければならず、何度も「暦」が改められた。

明治時代になり、世界と日付が異なっている不具合をなくすため、政府は「改暦」を行なった。

『西暦1873年より、日本でも西暦を導入するとともにグレゴリオ暦を新暦として採用する』

西洋で、西暦1873年1月1日。
日本で、明治5年12月3日だったはずの日を
西洋に合わせて1月1日に変更した。

明治5年12月3日という日付がなくなり
明治6年1月1日になった。

当時の日本では「数え年」により、生まれた日が1歳、元日に国民が一斉に年を取るであるため、明治5年12月2日に生まれた子供は翌日には2歳を迎えることになる。

その「改暦」は明治になって間もなくの頃。年齢だけではなく家賃や給料の支払い親の命日がわからなくなるなど、世の中が大混乱した。


○ ○ ○


世界の場所によって、以前は
「時」の刻み方が異なり、
日本人は1ヶ月や1年の長さを変え
”意図的に”、世界の日付けに合わせました。

よって、ヒトの“意図”がなければ
「時を刻む」というルールはなく、
「時刻」は定められず、
「時間」の長さが定まりませんが、

ヒトの"意図"がある社会において
「絶対時間」の長さが伸縮することは
ありません。



Wir sehen also, dass wir dem Begriff der Gleichzeitigkeit keine absolute Bedeutung beimessen dürfen

同時刻という概念に、絶対的な意味を与えてはならない

相対性理論/アインシュタイン


という論理は、当然のことながら

絶対的な「時刻」によって
事件や事故を立証し、人権が守られる、

一般社会では、成り立ちません。



7. 絶対速度と相対速度|科学の恩恵と矛盾







= 注釈 =

磁気は時計の大敵であり、
時計が正確に作動しなくなる。

地球は磁石であり、
高度や緯度による地磁気の強さは異なっている。

地磁気が永久磁石と比較し弱いとしても、
磁気のエネルギーはゼロではない。

"原子時計の遅れを時間の伸び縮みとする理論"において、ゼロではない地磁気のエネルギー量が考慮されていない。




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