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不快私数

思ったりより早く梅雨が明けて、ジトりとした肌が触れ合う満員電車も少なくなると思うと実に爽やかな気分である。ただそのぶん烈火の夏が例年より長くなるのかなぁ〜なんて、ぼんやり考えただけでもゾッとする。乗り間違えた電車を降り、ただ今は夏の入り口に立って、ビルの合間に落ちる夕陽にあなたを思っている…。



仲間意識Be Somewhere

私はあるオンラインゲームの小さなコミュニティのリーダーをやらせてもらえている。心地良いコミュニティを作れたことが私はとても嬉しかったんだけれど、もしかするとそう思っているのは自分だけではないのだろうか…?と疑心暗鬼Nervousになってしまうのが正直な気持ちである。これまで熱心にやってきたオンラインゲームをここ数ヶ月はほとんど出来ていない。それは日常のせわしなさや、“ひとりの過ごし方改革reconquista”によって起こったちっぽけな革命などが表面上の要因だとは思うが、1番はもっと心の根底にある私の薄情ドライな一面が問題だとうすうす感じている。そもそも何に対しても楽しいからやる、楽しくないからやめるてのは、最初に持って然るべき遊び心だとは思うが、同時に大変キケンでナンセンスな思考だと私は思っている。その“楽しい”の先に感じるものにこそ価値があると誰しもがっているとは思うが、っている人は非常に少ない。その上で継続できる人は、大げさかもしれないが私が思うに人を超えた存在である様にも思える。それほどまでに何かを継続するのはとても難しい事なのだ。だからその手前の『楽しい/楽しくない』を、『やる/やらない』の基準にするのは非常に勿体無いことなのだ。日々細胞単位で変わりゆく我々が、唯一抗うことの出来る1番手近な不変の進化方法なのにそれを容易く手放してしまうのは、シリアルをひっくり返す赤子と同じである。



漂流者達Drifters

自分達で作った安全地帯biotopが所詮は私だけの為のものであって、そこにいる人達の全てがもれなくそう思ってくれているとは限らないのだとなんとなく知った時、「まぁそんなもんか〜」と内心どこかでスッと肩の荷が降りた気がした。コミュニティから抜けていった彼が、最後まで胸の内を曝け出してくれている様に感じられなかったのは、私自身が「良い人であらねば」とか「コミュニティの中心にいなければ」とかそうしたつまらない義務感や使命感になんとなく駆られながらも、ゲームそのもののマンネリ感や半強制的な最新までの進行の苦しさと向き合わなければならないというあからさまなストレスを抱えて、人付き合いを軽視した結果なのかもしれないな〜と思わざるを得なかった。本当は少し彼のことを良く思っていなかったのかもしれない…いや、それすら曖昧なほどよく知らないのだが、仕事かの様なプレイングや、決まった役割しかやらない、と言った自身が作り出した不自由さを他人のせいにしている気がしてずっとモヤモヤしていたんだと、私自身が最後の会話ではじめてきちんと認識した。そうは言わなかったが彼は「僕はこんなにやっているのに」というアチアチ熱量の高いだけのヤル気を、今にも破れそうなうっすいオブラートに包んで私にむりくり飲み込ませている様な気もした。もちろん我々大人はそれでも飲み込むんだが……でもそれで良いんだとも思う。オンラインでの関わり合いってどこまで行っても電子情報の繋がりでしかないのだから、そこで受信できる電子情報が存在の全てだ。キーボードで打ち込んだ文字列が、マイクがひろった音声が、ただ“ひと”であることを感じさせているだけで、本当にそこに存在していることのなんの証明にもならないのだから。私は彼に「他人に心を傾けすぎない方が良い」と話した。それは私自身が心を傾けすぎたくないという鏡の言葉であり、それが彼にではなく私自身に言って聞かせているのだと自覚したままに指を動かした。その1000字ほどの電子の文字列がきっと彼の胸には10文字さえも響かないことも最初ハナから理解わかっていながらそうするしかなかった。まぉそれは彼にとっての私もきっと“よくわからない人”だっただろうからお互い様なんだよね。とどのつまり私が薄情者であることを彼を通して知れた。それで良いのだ。それで充分なのだ。だからこそオンラインゲームは面白いし、読み取れる限りの画面の向こうの“ひと”を大切に想いたいのだ。

マージでイイ天気だよな〜…


何もいらないThinkin' bout you


これを書いた夜、本当にたまたまコミュニティ全員が集まりゲームの進捗や日常の近況報告をして、もやもやした気持ちはあっさり消え去ってしまった。抜けていった彼のことなどよりも、残った彼ら彼女らが楽しそうに他愛もなく話す穏やかな音をただ耳で聞いているだけで、自分を驕っていたわけでも、本当にネガティブな意味じゃあなく「あぁ…私が居なくてもまわっていたんだ…よかった…」と心底ホッとした。私だけでなくこのコミュニティがそれぞれにとっても、きちんと機能していることが本当に嬉しかった。“機能している”というのは現実の人間関係では利己的でちょっと冷たい言い方に聞こえるかも知れないけれど、オンラインゲームでの関係においてとても大事なことである。それぞれがそれぞれに関わるひとを自分で選択して、ただ一緒に遊ぶことが楽しいだけでなく、“自然と”相手の役に立っていることが重要で、知識や経験がいつのまにか誰かを助けている。そういうゲーム的な意味での“機能している”は言ってみれば当然のことではあるんだが、それよりもそれぞれがそれぞれを尊重しながらも私たちはただこの瞬間にたまたま同じ世界に存在しているだけで、たとえいてもいなくても良いんだと理解している点にある。別に一緒の空間にいなくても、一緒のコンテンツをプレイしなくても、ただログインしているだけで「おっいるじゃん」という安心感がコミュニティの血管にやさしさの血液を循環させている。それが一番コミュニティのあるべき姿だと私は思っているし、それ以上は必要いらないのだ。寂しさを埋め合うだけの関係など、本当のともだちpartyとは呼べないんだよね…ね。

ただこうして書いていて、私自身が大きく矛盾しているな〜と思うのは、結局のところ私はオンラインだろうがなんだろうが、やっぱりコミュニティのそれぞれにちゃんと心を傾けたいし、彼ら彼女らの安寧を祈って眠る夜が私にとっても大切な心だと気取られぬよう胸に秘めている。そうした矛盾や小難しい思考は本ッッ当〜……ッに!、ストレスで仕方ない…梅雨だとかなんだとか季節関係なく、私が私である以上、不快指数はずっと高い。けれどもそんな自分でもいるだけで、いやいなくても必要とされる場所があるなんて有難いんよ…どんなに薄情者だとしてもそれは失くしちゃあいけない…失くしては……。

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