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この胸にないはずのノスタルジア

2004年製のテレビデオを中古で買ってから1年経った。オレの愛する※juvenileジュブナイルはいまだに美しい映像を表現してくれている。アニメのビデオテープもかなりの数集まってきて、ずっとオレが手に入れたかった楽園The Beachはゆっくりじっくりと拡がりを見せながらも、その純度を増してく。80'sや90'sの様々なアニメ達が確実にオレの血となり身体をかけ巡って心臓を動かす。その心臓がまたポンプとなり血液を加速させる。そうして生命いのちを燃やしているうちにある懐かしさを感じる様になった。それは記憶に無いだけで、実は幼い頃に観ていた作品だから?。オカルティックではあるが母親の腹の中で聴いていたから?。……んん〜そうじゃあないんだよな…絶対に知らないはずなのに、なんなら産まれる遥か前の作品なのに、なぜだか懐かしさや暖かさを感じる瞬間がある。そうした“この胸にないはずのノスタルジア”がオレを過去へ飛ばしてくれる。

※昔からなんにでも名前をつけるのが好きで、テレビデオのことはジュブナイルと呼んでいる。山下達郎の『juvenile』からとった。


心はいつも

仕事が変わって生活習慣がガラッと変わった。あんなにこだわってたロン毛もあっさり切った。それっていい事だったのかな…とか今になって思うけど変わってしまったモノはどうしようも無い。髪の長い自分にそれほど価値があったとも思えないが、珍しいという意味では今より価値があったかもしれない…知らんけど。ただ姿形が変わってしまっても、変わらなかった事もキチンとあって。サブカルに対する信仰ともとれる熱意は変わらずこの胸にあった。人生において本当に大事なことは“何に生命を燃やすか”であって、持続して燃やし続けるだけの燃料と、多少の雨風で消えない火力を持てるかだと僕は思っていて、どんなことを犠牲にしても絶対にそれを選ばなくてはいけない瞬間が必ずある。僕は幸運な事にそれに気付けたのが少しだけ早かったと思う。
或雨の日、大好きな上司に「ビデオを集めるようになった、そのルーツは何なの?」と聞かれ、咄嗟に出たのが幼少期に観た、92年のアニメ版『ムーミン谷の彗星』だった。産まれる1年前に公開された映画で、小さい頃から病弱だった僕は、風邪をひくとおばあちゃんがそのビデオをよく観せてくれていた。大人になってからも何度も観返しては良く出来たアニメだなぁと感心する。クレイアニメ版も僕は好きで音楽はあのビョークがやっている。ムーミンは万人受けするキャラクターとしての愛らしさと、意外にもその芯にある仄暗さが、アニメオタク達をも唸らせるほどセンセーショナルなコンテンツなのだ。話は戻るが「へ〜意外だね。あのスナフキンが子安の?」と上司は理解を示してくれて、(あぁやっぱりこの人すごく思慮深くてやさしいな)と思った。僕はにこにこして「高山みなみのムーミンが良いんですよね〜」なんて一般オタクっぽい返しをした。本当は上にも語った様に、だらだらと御託を並べて何故それが好きなのかを話したかったが、口に出さず喉元でとどめておいた。上司はその後も「なんだったか忘れたけど、幽☆遊☆白書のサントラの飛影の曲で〜ジグザグって曲が〜…」なんてコアな話をしてくれて、僕も幽☆遊☆白書のサントラの話をして笑った。彼をなんで思慮深くてやさしいなとおもったか、間違ってもそれは「知っているよ」という知識のひけらかしや年長者の大人の示しに対してではなく、1人の人間として人生において、どうだっていいはずの30年前のアニメの記憶を、わざわざ頭の引き出しに入れて残しておいていて、僕の言葉の端々の“90年代のアニメ”という大枠なとっかかりから、わざわざ引っ張り出してきてくれたからだ。それは僕が全ての人と接するのと同じようなプロセスをとっている様に感じた。一度知ったことが、たとえどんなにくだらないことでも、いつかどこかの誰かに噛み合う瞬間が必ずあると、望みとともに引き出しにしまう。「どうか思い出してくれよ、オレの脳みそ…!」と書き置きとともにしまう。それでも記憶は次第に薄れて行く。大事な思い出も少しずつノイズがかかっていつかはテープが切れて見えなくなってしまう。

クシャミをするヤマト(2022/4/19)

僕たち人間は細胞単位で1秒毎に組織が大きく変化している。そうして肉体が物質的に変化するのに、触れられないから、見えないからといって、心が変わらないわけがないのだ。この胸の奥にもあるように、あなたの“そこ”にもきっとあるだろう。そのあたたかさは決してヒトだけが持つものではない。ビデオテープは息をし、ただただほろびを待っている。生命いのち尽きることを知っていながらぐるぐるとテープを回し続ける。大切な映像を、思い出とともに記憶しようと健気に努力している。けれど彼らの寿命はそう長くはない。ビデオテープの寿命はおよそ20年とされている。にもかかわらずウチにあるビデオのほとんどが20年以上古いものばかりで、中でも古いものは40年近く前の作品もある。人が長生きになってゆく世の中で保存方法や環境が整ったというのは、先人のビデオコレクター達の知恵や技術や熱意の賜物たまものではあるが、それ以上にビデオという存在自体が何か大きな意思を持って“生き延びようとしている”と、僕は確かに感じる。感じずにはいられないほど、ビデオテープという文化そのものに肩入れし過ぎているのかもしれない。だけれどもこうして変わり続ける僕らが、ひとつのことを変わらずに想い続けるのはとても難しい…本当に難しいのだ。こうして強く想ったり願ったり祈ったりしなくちゃあ、自らの意思に反して簡単に簡単に簡単V e r y E a s yに大きく変わってしまう。それも絶対に必ず。この世に“絶対はない”はウソだ。絶対はあります。時間の流れと生命の死は絶対だ。絶対に抗えない。なんにでも亡びは必ずある。そうして現世から消えていった尊きもの達が残した遺産memoryをどう扱うかは、託された僕ら次第だろう。オレはキミと添い遂げたいよ…juvenile…。


電影少年

オレがどうやっても、テレビデオやテープのほうが先に逝っちまうんだよなぁ〜…とか思ってたら長生きするのがバカらしくなった。長生きして良いことなんて、そりゃあ有るには有るだろうが、その分ヤな事だって増えるんだよな。かといって今すぐ身を投げ出して、おっぬのはどうも気が乗らない。他人に自由や健康を祈る以上、建前的には自分も健気に自由に生きたいってのは貫きたい。ただその矛盾はどうしてもあって、どうしたら少しでも緩やかに消えてもらえるか考えてみても、正直なところわからなかった。ガァキが酒飲んだりタバコ吸ったりそんなのじゃあ別に何にも変わんなくて、本当に大人になるッつーのは手前テメェのスタイルを手に入れるってことなんだよな。それ一つ手に入れて仕舞えば、地球が爆発したって産まれてきた意味があったと思えるよ。オレは。そう思える様に至ったのはやはりテレビデオやビデオテープのおかげで、そうした文化の儚さや尊さがオレを導いてくれた気がする。改めて息をするモノに対しての敬意や、持つべき優しさは、やはり亡びてゆくコレらと、人生を共にするという決意の下にこそあって、この生命いのち煌々こうこうと輝く瞬間はコレらと添い遂げる時までどうしたってとっておきたい。『サブカルと心中する覚悟はあるか?』の中で書ききれなかった緩やかな思いは、転がる石の様に速度を増していってその先にあるものが、たとえ他人からしたら、大変くだらないことかもしれないが、コレを読む聡明な同志達よ、どうか頭の引き出しに入れておいて欲しい。コンテンツが永遠に有り続けると胡座をかいていないだろうか?。あなたが愛するものも必ずいつか亡びてしまう。ならやるべき事は一つであろう。無限に変わり続ける僕らが、永遠に変わらずに想い続けることなど不可能なのだから。だからこそ想い続けようと努力しなくてはならない。出来ないとわかっているからこそ、それにあらがわなければならない。愚かだと石を投げられても耐えねばならないのだ。

さいごに

何かを愛するというのは呪いと変わらない、他人の心をを縛るのが呪いならば、己の心を縛るのが愛だ。その鎖は重く巻き付き、両の手を縛り、こうべを下げさせるがそれも立派な祈りだと僕は思う。ブラウン管の向こうで笑うあのコの事を、たとえ世界が忘れてしまっても僕だけは覚えているよ。だからどうか消えないで…

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