あなたがこの世で為すべきこと
自分がやりたいことがわからない理由、わかりますか?
それは、あなたの中のエゴが、あなたに幻を見せているからです。
私たちがこの世に生まれてきたことには意味があります。
もちろん、あなたもです。
人生には、「友情」「恋愛」「仕事」「家庭」「遊び」など大切なことがたくさんあります。
中でも特に、「仕事」は人生の中で非常に多くの時間と労力をかけて行うものです。
「今は恋愛より仕事を優先したい」といった感じで、仕事を最重要だと感じている方も多いですね。
多くの人が、自分が心から打ち込めるものや、好きなことを仕事にしたいと考えていますし、それに関連する沢山の自己啓発本や動画がつくられています。
あなたも、そういった情報に一度は触れたことがあるのではないでしょうか。
取り組んでいて、心から満足を覚える仕事。本気でそこに打ち込むことができて、楽しくて、どれだけ働いても疲れない仕事・・・。人類はそれを「天職」と呼んできました。たくさんの人が、「天職」を特別なものと捉えて憧れてきました。
ただ・・・
一生の中で「自分がやりたいこと」に出会うことは、ハンパじゃなく難しいです。
なぜなら、人は一生のうちに経験できることが限られているからです。
この世界にあるすべての職業をちょっとずつかじって
「これは自分にあってるかな?どうかな?」
と試している時間は、誰にも与えられていません。
生まれてから今までの間に「仕事にしてもいいと思えるくらい楽しいこと」を経験できなかったら、「将来やりたいこと」なんて見つけられそうもない。
そう思うことって、無理もないことだと思うのです。
もし、「仕事にしてもいいと思えるくらい楽しいこと」を経験できたとしても、それでお金を稼げるかどうかなんてわかりません。
というか、ほとんどの人は稼げません。
ここに苦しみが生じます。
「やりたいこと(好きなこと)」と「やらなければならないこと(生活のためにお金を稼がないといけない)」の間で、心が引き裂かれてしまうからです。
これは、職業を選択する自由がある国に生まれた私たちにとって、誰にとっても大きなテーマですね。
そういう意味では、このように悩めることにも感謝しなければならないのですが、そうはいっても、本当に難しい問題です。
「この人生において自分がやるべきことを成し遂げたい」という願望は、とてもステキな願いです。
だって、普通は「サボりたい」とか「できれば楽して暮らしたい」と思うものだからです。
自分の使命を全うしたいという願いは、「サボりたい」といった思いに比べたら相当「良いこと」です。
でも、「良いこと」を考えているのに、多くの人はそれが叶いません。
それってなんだか不公平のような、不条理のような気もします。ちょっと神さまに不平不満でも言いたくなるような、そんな気もしてしまうかもしれません。
しかし、神さまは私たちを理由もなく苦しめたりしません。
人生で苦しみを経験するということは、
「今やっていることの何かが間違っているよ」
という神さまからのサインなのです。
神さまはそれに気づかせようとして、私たちに「苦しみ」というサインを送っているのです。
では、何が間違っているのか。それは、
「”今ここにない”天職は何かと考え、それを探す」
という、思考と行動です。
「今ここにない」天職、それはエゴが見せる幻影なので、ほとんどの場合、見つかることはありません。
(この記事では「神さま」ということばを使っていますが、特に宗教とは関係ありません。すべてを創造している大いなるエネルギー、くらいに考えてください)
私たちはこうして勘違いする
今の日本社会では、大きな「夢」を持つことは「良いこと」だと考えられています。
夢を持つことで、人生にハリとうるおいが出て、イキイキと生きられる、と思われているからです。
でも、ほとんどの人にとって、少年少女のときに夢見た夢は、叶わないものですよね。
そもそも「夢を持て」と言われても、
「夢なんてない」
という人も多いです。夢は夜に見るもので、起きてる間に見る夢なんて特に思いつかない。そういう方も多いです。
テレビでも学校でも、夢を持って成功した人のすばらしさばかり語られるものですから、次第に
「夢がない自分はダメなんじゃないか」
と、自分にダメ出しをしちゃったりします。
夢を持つことは、幸せになるための必須事項ではないのにもかかわらず。
あるいは、子どものときには夢があって、当時は夢があったおかげで毎日が充実していた、という方もいると思います。
逆に言えば、子どものときに夢を持っていたからこそ、大人になった今、夢がないことで何か寂しい感じ、物足りない感じを味わうというパターンもあります(私もそうでした)。
一方で、充実した人生を歩むために、「夢を持つ」とは別の方法論もあります。
それは、
「自分の”得意なこと”や”好きなこと”を生かして、社会に貢献する」
というものです。
これは利他的な要素もありますし、できるならばぜひ実現したいところです。
しかし、これも難しい。
なぜなら、「得意」は相対的なものだからです。
「得意が相対的」とはどういうことでしょうか。
例えば、自分が「料理が得意」だと思っているとします。
得意なことをしていると自分もイキイキとしてきますし、周囲の人からも一目置かれるという満足感を得ることができます。
「将来は料理の腕を生かして料理研究家にでもなれるかもしれない」
と期待に胸をふくらませる人もいるかもしれません。
ですが、「料理が得意」な人は世の中にごまんといます。
「料理が得意」なのは、周りにいた「料理にそれほど興味がない人」と比べて得意というだけであって、「料理が得意な人」の集団に入ったら、自分はそれほどの腕前ではなかった、ということは十分あり得ることです。
中学では成績優秀だったのに、高校に入ったら周りとどっこいどっこいだった、という話もよく聞きますが、それと似たようなことが起こってしまうということです。
得意なことを生かして周りの人に貢献するのは非常にすばらしい行為ですし、幸せにつながることなのでぜひやっていただきたいです。
しかし、これを仕事にしようとすると、自分の「得意のレベル」では通用せず、生活に必要なお金さえ稼げない、ということも起きてしまいます。
「好きを仕事にしよう」というのにも似たことが起こります。
おそらく大半の人は「好き」と言ったって、「音楽」とか「映画」とか「スポーツ」とかです。
ちなみに、2002年に実施された、カナダの大学生539人を対象にしたアンケート調査によると、学生たちが「やりたい」と答えたトップ5は
1:ダンス、2:アイスホッケー、3:スキー、4:読書、5:水泳
だったそうです(『今いる場所で突き抜けろ!』カル・ニューポート)。
これらはあまり将来の仕事の選択には関係ありません。
ダンスが好きだから、ダンサーになりますか?
スキーが好きだから、プロスキーヤーになりますか?
みなさんもお分かりのとおり、これらの世界はプロ中のプロで埋まっています。もう自分が割って入る余地は、あるかもしれませんが、かなり厳しいです。
それに、「そこまで努力はできない・・・」と思う人がほとんどです。
あるいは「最近好きになったんです」というものがあったとします。例えばヨガとか英会話とか。
しかし、それを仕事にしたいからといって転職したり起業したとしても、それでうまくいる人もいるにはいますが、最近好きになったばかりでは、ほとんどの場合スキル不足です。
それに、スキル不足で事業をはじめたとしても、スキルのあるライバルにはなかなか勝てず、お金を稼ぐことも難しいでしょうから、それがもとで精神的にも不安定な状態になってしまう人もいます。
「夢」にしろ「得意」にしろ「好き」にしろ、私たちのような特別な才能がない人にとって、この競争社会で行う「比較ゲーム」に勝ち残っていけるかどうか――言ってしまえば「食っていけるかどうか」――というところがネックになり、あきらめざるを得ない状況になっているわけです。
そうなると、「自分がやるべきこと」はどうやって見つけたらいいんだ?ということになります。
「これは好きだけど、現実的に食っていけない」
「これは得意だけど、社会で通用するの?」
私自身も、この思考の無限ループにはまり込んで、気づいたら7年くらい経っていた、という経験があります。
その間、目の前にはたくさんの仕事や学ぶべきテーマ、そして仲間がいたにも関わらずです。
振り返ってみれば私は、
「自分がこの命を懸けて、この世で為すべきことは何か」
ということを深刻に捉えすぎていたのでした。
深刻に捉えたところで、状況をプラスに転じていくことはできないのに・・・。まぁ、渦中にいる本人は中々それに気づくことも難しい。
そうして「深刻」をやり続けて、却って何も見つけられないのでした。
でもやっぱり、せっかく生まれてきたからにゃあ、使命のためにこの命を燃やし尽くしたい!その想いは消えませんでした。
私と同じ想いの方も、きっと多いのではないでしょうか。
ではどうすればいいのか。それを知るために、まずは自分を動かしている「エゴ」の働きを理解していきましょう。
天職を求めるのは、エゴのクセである
最初にお伝えしておきますが、「エゴ」は私たちが日常生活を送るために必要なものです。
エゴというと自己中心的な人や振る舞いのイメージがあると思いますが、エゴは悪いものではありません。
ではエゴの何が問題かというと、エゴは「間違える」のです。
エゴで考えている限り、必ず間違えます。これが問題です。
ではなぜエゴは間違えるのか。ここにエゴの最大の問題点があります。
エゴの最大の問題点、それは、
エゴには「今この場所」が見えない
ということです。
私たちは大抵の場合、エゴによって頭の中を支配されています。実は、あなたの思考はあなたの思ったとおりにコントロールできていません。あなたの思考は「エゴ」という人間の脳に本来備わった働きによって、コントロールされているのです。
エゴには思考の「クセ」があります。
例えば、「今」ではない時間、つまり過去や未来のことばかり考えます。
あるいは、「この場所」にはない出来事、つまり今自分に必要でないことを考えるようになります。
例えば、今一番大切にするべきは、近くにいる人、目の前にいる人のはずです。
でもエゴには今のこの場所が見えませんから、スマホをいじったり、関係ない空想をしたりして、近くにいる人にはたまにしか関心を向けません。
あなたもそんな光景を、観たことがあるはずです。
「今この場所」が見えないというのは、「今この場所を否定する」ということでもあります。
「今自分がやっている仕事は私にふさわしくない。私が本来あるべき姿は別のものだ」
「こんなちっぽけなことは私がやるべきことではない。私には、私がやるべきもっと大きなことがあるに違いない」
といったように。
もちろん、現状に不満を持つこと自体が悪いわけではありません。そのような考えが浮かんでくるのは自然なことです。自然なことに抵抗してしまうとさらに苦しみが重なります。
ですが、現状に不満があるのであれば、転職の準備をするなり仕事のやり方を変えるなり、ただ黙って解決するための行動をすればいいのです。「今この場所」にしっかりと意識を向けている人はそうするはずです。
しかし、エゴは現状を否定して過去や未来ばかり見ているために、行動するためのエネルギーを得ることができません。
なぜなら、人は「今この場所」にしか存在しておらず、「今この場所」こそが、人が行動するためのエネルギーを得ることのできる唯一の時間であり、場所だからです。
反対に、過去や未来は空想の中にしかないため、そこに「パワー」はありません。
『スター・ウォーズ』という映画があります。
宇宙船に乗って広い広い宇宙を飛び回り、修行によって魔法の力を手に入れた主人公が悪の帝国と戦う・・・そんなSF冒険ストーリーです。
そのシリーズの2作目に、『帝国の逆襲』という作品があります。
この作品の中に、「今この場所が見えない」ことのよい例がありますので、ちょっと長くなりますが、お付き合いください。
・・・・・・
帝国と戦うレジスタンスの戦士であるルーク・スカイウォーカーは、敵との戦いに勝つためのさらなる修行を行うべく、「ヨーダ」というお師匠さんが住んでいる惑星に向かって出発しました。
ヨーダというのはルーク・スカイウォーカーのお師匠さんのお師匠さんみたいな人で、過去の大戦争で指揮をとった偉大な人物(?)なのです。
ただ、ヨーダの住んでいるところはわかったのですが、ヨーダがどんな姿なのか、何歳くらいなのか、その辺の手掛かりは一切ありませんでした。
ともかくも、ヨーダが住んでいる惑星に着いたルーク。飛行機から降りてしばらくすると、小さくて緑色でしわしわで、杖をつきながら歩く生物が現れ、その生物がやたらと話しかけてきます。
ルークは最初「めんどくさいなぁ」という態度をとっていたのですが、その生物はなんと「ヨーダを知っている」と言うのです。ルークはヨーダの居場所を知りたくて仕方ありません。ですがその生物は「まずご飯」といって自分の家に向かいます。ルークは仕方なくその生物についていくことにします。
しかしその生物は、なかなかヨーダがいる場所を教えてくれません。ルークはとうとう「いつになったらヨーダに合わせてくれるんだ!こんなのは時間の無駄だ!」と怒ります。すると・・・なんとその小さくてしわしわの緑の生物が「ヨーダ」だったのです。
ヨーダは、ルークが修行して鍛えるに値する人物かどうか、ずっと観察していたのです。
そんなヨーダが、ルークを見て言い放った言葉・・・
ルークは驚いて口もきけません。しかし、気を取り直して、ヨーダに弟子入りを懇願するのでした・・・
・・・・・・
まさにこのシーンこそ、エゴのクセをわかりやすく描いたシーンに他なりません。
未来に得たい結果(=ヨーダに出会うこと)ばかりに注意を向けていると、「今」が克服すべき障害に見えてきてしまいます。
もっとひどければ、「今」は敵になってしまいます。
そうしていると、目の前の人や物事をないがしろにして、結局人生を貧しくしてしますのです。
そのことを端的に表した名シーンです。
今を否定してばかりいると、永遠にやってこない「未来」に期待し続けることになります。
人は「未来」に存在することはできません。今「未来」だと思っている時間も、実際に体験する時には「今」になっています。
そんな「今」を否定し続けるならば、「いつか自分に合った天職に出会えるに違いない」と考える一方で、自分からは行動を起こさないでしょう。
「この場所」を否定し続けるならば「どこかにもっと自分に合った職場があるに違いない」と考え、転職を繰り返すでしょう。
仮に、「自分にあった仕事」を求めて転職を繰り返したとしても、その人に本質的な気づきがない限り、天職に出会うことは絶対にできません。
つまり、結局何も変えることができない、というわけです。
これが、「今この場所」が見えないエゴが、「いつか・・・」「どこかに・・・」と、人生に繰り返し幻をつくりあげるパターンです。
これでは、天職に出会うことなどできないですよね。
私も、「天職に出会いたい」と思いながら、自分の仕事ではないことに興味を持ち、それについてそこそこ時間と労力を掛けて勉強しました。
しかし、そうしたところで仕事の片手間程度ですからモノになるはずがなく、結局同じ不満を持ち続けていたのでした。
今思えば大変いい学びをすることができたので、結局、感謝です。
「私はこんな小さなことに労力を使っている場合ではない」「私にはもっとやるべき大きなことがある」といって今この場所を否定するのも、根っこは同じです。
「大きい(偉大)」とか「立派」というのは、ただの精神的な幻想にすぎません。
しかしエゴはこれらが大好きなのです。
なぜなら、これらを得ることができれば、他人と比べて優越した自分になることができるような気がするからです。
まとめると、現状に不満を持つことも、「今この場所」を否定することも、「大きい(偉大)」とか「立派」を求めることも、すべてはエゴのクセによるものです。
このクセが、あなたを意義ある人生から遠ざけてしまうのです。
だから、エゴに惑わされたまま「今ここにない天職」を探し求めても、見つかりません。
それを認めてしまいましょう。
逆に言えば、エゴのクセを見破ることができれば、あなたの中にいつもいる神さまが最高の力を与えてくれます。
逆説的ですが、そんな今を積み重ねることが、「使命」へとつながる唯一の道です。
「今この場所で行うこと」に集中する
では、エゴが私たちに見せてくる幻想から自由になり、本当の意味で充実した人生を送り、さらなる幸せへと進化するために、私たちは何をしたらいいのでしょうか?
答えは簡単です。ここまでに見てきたことの「逆」を行えばいいのです。
エゴは、「今この場所」を否定して、過去や未来ばかりを追い求めます。
エゴは、「何か大きいこと」を成し遂げ、他人より優れた自分をつくろうとします。
であれば、その逆に
・過去を気にせず未来に期待せず、「今」を受け入れ、「今」に集中する。
・大きいことのために小さいことを否定せず、「目の前のこと」や「今できること」の質を高める。
これらを行えばいいのです。
「え?これだけ?」
と思われた方もいらっしゃると思います。
はい、これだけです。
人生は本来シンプルなものですし、進化するために必要なこともシンプルだからです。
しかし、エゴは「立派」なことが好きなので、人生に小難しいことをぺたぺたぺたぺた付け加えてきます。
そのため、シンプルな現実が見えなくなってしまうのです。
そもそも、「大きいこと」は「小さいこと」の積み重ねで出来上がっているものです。
たくさんの人に夢の世界を体験させてくれるディズニーランドだって、地道な工事の積み重ねと、キャストさんたちの地道ながんばりによってできています。
暑い日だって着ぐるみを着てがんばる。そんな泥臭いことの積み重ねで、人の笑顔をつくっています。
「今日は暑いから、ミッキー首から下は衣装無しとさせていただきます」
とかはないのです。
スカイツリーを建てるような、私たちがあっと驚くようなことでも、小さなことの積み重ねです。
でも、あまりにもたくさん積みあがっているので、それぞれの「パーツ」に気がつかないのです。
逆に言えば、それだけ積み重ねられる人が、いわゆる「大きなこと」を成し遂げることができるのです。
実益的なことを言えば、「小さいこと」をコツコツ積み上げることができた人には「信用」が高まりますので、「良い就職(転職含む)」ができる可能性も高まります。
実は、よりよい職に就くことにつながる縁は、親しい間柄ではなく、それほど親しくない関係の人からもたらされることが多いのだそうです(『天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論』山口周)。
なぜなら、親しい間柄の人はだいたい似たような考え方を持っているため、「思いもよらない縁」を持ち込みにくいからです。
一方、それほど親しくない関係の人は、趣味や志向が違っている人も多いため、思いもよらない縁を引き寄せることができるのです。
しかし、親しくない関係の人とあなたとの間に「信用」が形成されていなければ、仕事に関して新しい縁を引き寄せることはできません。
ですから、普段の仕事に取り組む姿勢が重要になってくるわけです。そのためには、「今この場所」で行う仕事に集中することが必要です。
こういったことをやらずに
「天職の方から私を見つけてくれないかな♡」
と、王子様がやってくるのを待っているお姫様のような姿勢でいても、神さまは助けてくれません。
この地球は「行動の星」ですから、何もしなかったら何も起きないですよ、ということです。
これらに加えて、仕事に対して以下の姿勢を持つことができれば、あなたの幸福度は大きく向上します。
それは、
「仕事から何かを与えられること」を期待するのではなく、
「私が仕事を通して周囲に与えられること」に意識を向ける
ということです。
何かを得たいのならば、まず与えなければなりません。聖書にも
とあります。自分から与える人は、気前よく与えられるのです。
与えられるものなんかない。そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、「小さいこと」でいいのです。
仕事を頼まれたら、いやな顔をするのではなく、「はい!」と元気よく気前良く引き受ける、それだけでもいいのです。
そのような返事で仕事を受けていれば、「なんかあいつには仕事を頼みやすいんだよね」と、さまざまな仕事を任せられるようになります。
そうしてたくさんの仕事に集中して取り組み、経験を積めば、あなたはどんどん進化していきますし、信用が積みあがっていきます。
何より、自分の仕事で喜んでもらえた、という嬉しい経験もできるようになります。
笑顔、言葉、親切・・・あなたがすでに持っている「与えられるもの」について、考えてみてください。仕事を通して与えられること、あるいは、仕事をしている時間に与えられることを、考えてみてください。
たとえ小さくても、それを与え続けることで、あなたは天命に導かれていきます。
「小さな一歩」のための知恵とアイディア
最後に、毎日の仕事の「今この場所」を楽しむために必要なことをいくつかピックアップします。
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