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歌詞における罪人(つみびと)の罪とは

ぼくは歌の歌詞ほどどうでもいいものはないと思っていて、へたに無駄に恋愛さえ歌っていなければ過剰なほど評価できる自信がある。ヘッダ画像をお借りしています。

歌詞はとんでもない多角的に理解されたほうが売上にもつながる。受け止めた側がそれぞれ「作者よりも自己にとって都合のいい理解をしてくれて、自分ごとしてくれたほうが『思い入れ値』を稼げる」からです。

思い入れ値は金で買えなく、現代的にいえばUGCとかにもつながります。余談だがUGCが金で買えないことは企業側に恐ろしく都合よく理解されていて、金で買えないからタダでユーザにさせるものだと思っているところがある。

タダだからUGC施策に金をかけたくない。お前らこいつが好きならこの商品欲しいよな!?だったらRTしろ、みたいなキャンペーンを持ちかける。それに同意してしまうユーザは盲目的であり、羊であり、飼いならされてしまっているように見えてしまう。

ロイヤリティとは忠誠心とか翻訳され、企業側は顧客がマジでその商品をリリースするだけの機械でしかない企業に、なんか商品を買っただけで忠誠心があるとか都合よく理解してくる。そういう手合はおそらくは信じられないぐらいマーケティングが下手な人たちなのでしょう。

歌とはそれ系の乗りと相性がいい、と理解されてしまっていそうに思えて甚だ残念である。つまり産業ロックだ。

罪人というダガーを着飾っていそうな歌詞がたまに出てきます。

罪人はジマングの瞳に救いを見出すという……みたいな感じでしょうか。ちょっと違っていたかも知れない。

ここで罪人といえば過去に悪いことをしたんだろうなと想起される。ある歌が暗い雰囲気なんだったら、その雰囲気を造ったのがそいつなのか。あるいはそいつの独白を聴いているのか。視聴者にはわからないがひとまず罪人を想わなければならない。

ここで重要なのが罪人の待遇なのだろうなと思う。罪人といえばぼくはばか正直に牢獄の中にいるんだろうな~~と思う。むしろ牢獄にいることがデフォとされるような節がある。多分ぼくは暴力的なまでに平和主義であり、そのような頭からは「つみびととは収監されて然るべし」という図式が成り立ってしまっているのだ。

しかしながら歌詞を書いたやつからしたら、どこかでのうのうと羽を休め他状態で、安宿の一室とかで寒暖にすら悩まされない状態で独白している罪人なのかも知れないことを思う。待遇がまるで違い、後者のそれはまるでまんまと上から目線で世界を見下してすらいるかのようだ。

なんかわりーことをしたから収監しているのであればそれを後悔した内容になるだろうが、安宿から調子に乗っているのであれば罪を隠した罪人でありこっちのほうがえぐい気もする。

このように作者の考えによって言葉の意味が大きく変わってしまう。ぼくみたいに想像力が足りないとこのような優遇罪人と冷遇罪人がうまれてしまう。でも作者から言葉の意味なんて聞きたくない、というのが一般的な通例みたいになっている。

ぼくはマジで歌詞の意味とかどうでもよく、どこでGuitar1が入ってくるのか、Chorus1と3でベースの動かし方がどう違うのかとかしか聴いてないからどうでもいいんだけど。


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