おふくろ踊るナースコール鳴らすダンス・ダンス・ダンス
YouTubeをで月野木ちろるのMVを見て、再度なんといいますか健康なことが当たり前ではないことについて考えてしまった。ヘッダ画像をお借りしています。
彼女はとんでもない病気を負い、一時的に復帰した際にこの替え歌を制作した。内容は重く痛々しいほどリアルだった。ココロ病メルはココロオドルを基にしているが、その歌詞には彼女の病気と向き合う姿が描かれている。体重が減り続けること、瞼が開かないこと、心拍が上がり続けることなど、彼女の症状と心情がストレートに表現されていた。
このMVを見てぼくは深く深く考えさせられた。彼女のように病気に直面しながらも強く生きる姿にはちゃめちゃに思うところがあったから。
彼女は自分の経験をもとに「克服して強くなれたから、過去の投稿を探さなくても平気だ」と語っている。その彼女の姿を見て、ぼくはまた健康とか健康じゃないことについて考えざるを得なかった。
健康じゃないことについて考える
健康じゃないこととは何か。この問いは、古代から現代に至るまで、多くの哲学者や詩人、科学者が追い求めてきたテーマである。健康じゃないことはすべての人にとって避けられない現実であり、いずれ誰もが迎えるものだ。しかし、健康じゃないことに直面したことがないぼくにとって、健康じゃないことに近づいてしまった人と気持ちを分かち合うのは非常に難しい。
ある時、友人が重い病にかかり、健康じゃないことに直面する経験をした。彼は明らかに変わった。以前は何事にも積極的で前向きだった彼がどこか影を帯びたように見えた。
彼の気持ちを理解しようと努めたが実際には理解しきれなかった。なぜならぼくは健康じゃないことに近づいてはいないから。
その気持ちが解るなどと抜かしても、そんなものは偽善に過ぎない。自分が経験していないことを理解するふりをすることは相手に対して誠実ではないし、相手の苦しみを軽んじることにもなるかもしれない。
その友人がある日ぼくに迷惑をかけたことがあった。普段のぼくだったらそんな迷惑やってらんねえぜ、とか言ってしまうところだが、まあいいか……と思ったのだった。明日はそれについてお話しましょう。
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