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美しい鰭を持つ女

それはこの前情熱大陸に出ていた写真屋さんのことであり、海の中の写真を撮っているためです。ヘッダ画像をお借りしています。

この方は実に本能のままに生きていると思える。つまり自然を撮っているんだけど、自然を撮るのがうまいからそういうグランプリとかに応募してもうけてやろう、みたいな感じがかけらもない。

まるでどんな写真を撮れば評価に値するのか(人のアウトプットに対し「評価」などあほみたいな日本語だ)がわかっているのか、彼女が撮る写真に対して賞の方が「チューニングを合わせに来ているのか」と思わせるような写真を撮っている。といいますか、賞なんて本来権威性があってはならず、出品者に合わせるべきだろう。

ダイブが趣味なこともあり、ガンガン海洋に泳ぎに行く。だけどカメラなんて携帯しない時があり、その幕間において情熱大陸の制作側が自嘲気味に言っているがあほな質問をした。それは「毎回泳ぐ時にカメラ持ってって撮りまくった中からいいのを選べばいいじゃん」というものだった。彼女が晩酌をしていていい気分なのに気分を害してしまったかも、と番組内で制作側がいちいち自戒していて、ぼくもそのとおりだと思った。

すると撮らねばならない時がわかるという。なぜかは知らないが泣きそうになるような景色が見える時があり、その時にカメラを構えたいとしている。くじらを撮るのであれば、くじらの生活に完全に合わせにいく。彼女ら/彼らの邪魔をしないということだ。おそらく船のバカみたいな轟音でくじらを脅かすようなこともしないし、ダイバーとしてくじらと泳ぐのが楽しいから、それをやっているだけっぽかった。そして彼女の写真は美しい鰭になるのだろう。

そして前職が(言葉少なな表現ではあったが)激務だったっぽい。死んだ人もいたらしい。そして彼女は「果たして自分にしかできないことなのか」と考えやめたらしい。ぼくは何か突きつけられているような気がした。つまりいま現在そのへんにいる人々は、同じように自分しかできないことで職の業についているのかと。

ぼくはマジでなんともいえねえとしか思えなかった。ぼくは自分を顧みた時に、ぼくだけができるかどうかはわからんすぎるけど、「そうだったらええなあ」と思うのみだった。

メリケンとかと違って日本の職の業とかは代わりがきくかどうかで速攻で終わる話じゃなさすぎる気がする。それは縁故とかが未だにあり、縁故じゃなく所属集団にはいることができても「そん中で新たに得た/形成されてしまった縁故」により異動なり昇進なりがあったりするシステムを多分余裕で採用しているため。

これ以上楽しい楽しいコネクション経済を続けるつもりなのであればどうなっていくのだろう?ぼくらは本当に自分しかできないことをしているのだろうか?そしてそれは自分が好きなことなのだろうか?

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