「好き」を秘匿することが許されない世界に生きて
端的に言いますと、SNSとかで「素晴らしい!」「いやらしい!」と思った2次元な女の人の絵とかにハートマークをつける作業こそ称賛―――――称賛というと語弊がありますが少なからず機能として利用されることが推奨される雰囲気―――――される傾向にあると思います。
素晴らしいな、と思って毎日祭壇に身を捧げるように眺めて居たところで、その行為は無為とされかねない。
この傾向は、「好きである対象」を好きであると表明するために、推薦の「推」という字を用いて表現するアイドル市場における例が徐々にインターネット上に浸透してしまったこととも共通する感じがあると思っています。
好きであるからといって、推薦までしなければならない、周りに布教しなければならない、というわけではないとするのがこれまでの常識であったように思います。
殊SNSというものが、自分のアクティビティである「自分がこういうことをした、こういうことを思った、ひいては自分がこういうことが好きな人物である、ということを周りは知っていなければならない(人間関係というものを0から構成していくと想定する場合、思想としては非常に危険であるように思います)、そのために常に自分はこういう物が好きである」、ということについてPRし続けるためのツールとして共有化されてしまっているのであれば利用者としてはいつかそれを受け入れなければ、諦めなければならないのでしょうか。
本来は人間である自分が、本来は四肢を使い五感をフルに応答させて生きていることを平面であるインターネット上に投影しなければならない(しつこいですが、ならないなんてことはありません)。
そのためには目に見える「五感をフルに応答させた状況証拠」を全て自分のインターネット上の姿であるSNSアカウント上にアップロードしなければならないということなのでしょうか。
SNSにおける「♡」について
♡のようなツールですが、以前はいわゆるブックマークというかお気に入りというような名称で統一化されていた記憶があります。
しかしいつしかFacebookがいいねという概念を取り入れたことにTwitterあたりが追従してしまった。
世間体や形式を重んじがちな日本人にとっても、そこに追従しないわけにはいかなかったのかも知れません。ぼくの周りにはあまりそういう人はいませんので想像でしか無いのですが……
ブックマークやお気に入りというツールの最大のメリットは、いわばタグ化して保管できることです。
ただしその種類を分別することはできないため、一元化されたタグでしかその保管状況は管理できません。つまり、付き合いや既読を示すためにそういったツールを使ってしまうのであれば、管理機能というメリットを完全に殺すことになる。
このあたりは、漫画を書く方々の中に極たまに登場する、「ハートマークはSNSごとの勝手なおせっかいでいずれ周りにばれるんだから、その漫画を書いた人間を宣伝するためにリブログしろ」という主張を残す層を分析するための資料足り得るとも思いますが、話がややこしくなるため今回は以下に留めてやめておきます。
少なくとも個人のアカウントは第三者の宣伝をするためだけに存在しているわけではありませんよね。
「無料で絵を書いて他者を楽しませた代価として、ご自分の収入につながる行為を他者に強要する」これは文化といえるのでしょうか。
スクリーンショット文化
また、著名人やインフルエンサーが自分に対して何かしらおこなったことがわかるアクティビティをスクリーンショットとして残し、「こんなことしてもらった(泣いてる顔文字)」という感じで投稿する行為を初めて見た時、思わず「そういうことを貼り付けて投稿して良いのかご本人に確かめたのですか」と訪ねたくなり、聞いたことがあるんですが……そういうことをおおっぴらに示すことが感謝の意となるとかなんとかで寧ろご自分は良いことをしていらっしゃる気になっているそうでそれ以上深入り出来なかった記憶があります。
SNS投稿者というものはお互いに、前段落で述べたように五感をフルに携帯機器やPCに没入させなければならない(ぼくはそんなことは思っておりません)という謎に包まれた使命感を常識として共有しつつ、そういったことにおいても本来は内部機能的に表に出されることはなかったアクティビティを「画像」という形で半ば強制的に表沙汰とし、お互いの存在を内外に対してPRし続けなければならないのでしょうか。逆にそのようなことをしてまでお互いの存在をPRをし続けることが必須の世界とは……ぼくらに知覚可能な生き物が存在する世界なのでしょうか。
このあたりは以前も触れた落合さんも言及していた記憶がありますので、また思いつき次第触れたいと思います。
上記アーカイブですが続きを見ようとするうちに非公開となってしまったため、どうしようか悩んでいます。
後記
noteに投稿し始めてから気をつけている、こう「思想の押しつけ」となる文は書かないようにするという考えに思い切り抵触してしまっている感じの文となってしまいました。ひとえに何を書けばいいのかがわからないことが問題です。
ぼくはnoteに書くべき内容について僭越ながら募集しております。匿名で遅れますし、あなたが特定できる状態にして「この人に言われたからこんなことを書きました」みたいなことは一切しませんので、どうかご遠慮無く以下のフォームから話題をご提供頂ければ嬉しいです。
お読みくださり有難うございました。
この記事が参加している募集
このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。