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伊東のTUKUNE 05話 人妻圧縮遊戯

前回

その男はすっとぼけた背負い袋を持っただけの唐変木みたいに僕の目には見えた。唐変木だから当時の僕が本気で殴ればさっさと沈んでしまうだろう。僕はすれ違う相手をそのような自分が勝てるか否かの価値観でしか見ていなかった。

背負い袋をしょった男は格好悪いと当時の僕は思っていた。僕の人生とはランドセルに始まり変なものばかり背中に持たされていて、中高と自ら進んでそのようなしょうもない背負いで持ち物を移動させる連中に感情移入ができなかった。背負い袋とは言ってしまえば舐められのヴァロメータだった。

背負い袋を担いで歩いているやつは唐変木だろうが秀才だろうが、俺を馬鹿にして目下に見てくれと言っている符丁に過ぎなかった。少なくとも当時の僕はそう思っていたし、実際に背負い袋を持っていると面倒な目に遭うという経験則を自分の中に持つことができたから僕は背負い袋を持たないようになったのだった。

だからなのか知らないが、僕みたいにヤンキーで背負い袋を日常的に持ち歩く奴はいなかった。今にして思えばあまりにもくだらない……

社会に出た人間も背負い袋をせおう。やがて合理的だからと、あの誰もがぶら下げていた芸がない黒い手提げ一辺倒だった時代とは、人類(とりわけビジネスパーソンとされる層)は決別した。僕はそれ自体は良いことだと思う。なぜ礼服に身を包んだ会社員にとって、黒い手提げ以外持ち合わせてはいけない時代、そう生きることが強いられる時代があったんだろう?

色街に突然現れ、僕と自転車置き場の前ですれ違ったその男は到底社会の人間には見えなかった。見えなかったと言うよりかは、用途があって背負い袋を持っている者に見えた。

だが登山のためではない。登山のためだとしたら相当な命知らずな格好だった。破れたデニムを履き、およそ寒さもしのげなさそうな、あの釣り人しか使っていなさそうなたくさんのポケットが付いた薄暗い防弾衣のようなもの(おそらく銃を撃たれれば即死でしかないだろう)を着ていた。そして半袖を下に着ていた。季節感が感じられない。

その男は色街にあまた存在する、正しく善なる職を業しているかどうかも怪しい、黒服をおおよそ正義のためになど着てはいない連中と会話し始めた。

黒服たちからは親しげに話しかけられているように見えた。それどころかいくらかの敬意を込められた視線を向けられていたのではないだろうか。

その時点で僕はその男が色街を色街たらしめるこの女達をどこからかかき集めて圧縮したらできたような店店の所有者なのだろうな、と思いつくだけで終わりだった。でも僕はまたこの男と会うことになったし、互いに名前を教え合う羽目にすらなるのだった。

その男は黒服たちと別れると順天寺行きと書かれたバス停の前で足を止めて、その後道路の側を向いたまま微動だにしなくなったように僕には見えた。背は僕よりも高く、その辺の男たちよりも高いようだった。その背中を追っているとき、ふらふらと歩いているように見えて体の中心にひとつしっかりとした線が入っているかと思えるような、自己の均衡を自分なりの表現で保った歩き方をしているように僕には見えて、実際その想像は当たっていたらしい。

▼次回

▼謝辞
(ヘッダ画像をお借りしています。)

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