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ナワリヌイさんは偉大だ

ナワリヌイさんは、決してうちの国はバカではないんだよと最後まで弁護して散っていったのだろうか。

ナワリヌイさんはジャーナリストでもないのに殺されてしまった。弁護士とは、簡単な職業ではないと思えます。

ぼくは職業差別を唾棄すべき目で見ますが、弁護士はさすがに簡単になれるものではないことを知っている。いわば国が定めた資格に対し一定のコンセンサスを表明し、自分の(便益価値としての)ジョブとして出力してくれ、国を平和に導いてくれる人だ。それを国自体がぶっ殺した。そのような無駄行為が他にあるだろうか?

この国は今だけ!今だけは一時的にいかれてっけど!それは確かに認めざるを得ないよ!でも!俺を見てくれ!このように正確に物事を出力できる奴だっているんだよ!と。自分がぶっ殺されることを見越して行動していたのかまではわからないが、なぜここまで(今の体制の国家ではなく、本来あるべき正しい形の)国家に尽くせるのか……

ナワリヌイさんは自分をドキュメント化した映画の中で「殺されても諦めるな」と言いました。

こんなに重い言葉が他にあるだろうか。重いながら、この言葉は恐ろしく前向きなのである。これは「正しいことを言い続けて殺されてしまったら、あるいは殺されてしまうことについてどう考えればいいのか」というような、まさにナワリヌイさんが置かれた覆しようのない状況でする質問としてあまりにも残酷だと思うのだが、それに対するナワリヌイさんの答えだった。

ナワリヌイさんの殺されに関する文献を見ると、この言葉の第一義的な意味は「殺されるほどの正しいことを言っているから殺されたのであり、あなた(今から権力を間違った使い方をしている者共に殺される人)は何も間違っていない、正しい。だからあなたの残した言葉は正義のものとして残り続けるから、諦めるな」ということらしかった。

自分の死を─────死といいますか殺されを意識したような、「それ以上の理不尽など思いつきもできないような状況下」でこのような前向きな言葉を思いつくような正義を胸のうちに帯びた存在に人間がなれるなんて、それだけで神格化してしまいそうになる。

だって自分が悪の枢軸と化した国家に言論封殺され、その結果殺されようとしているんですよ。牢獄に入れられ、毎日毒入りの飯を食わされ、拷問され、自然死症候群という赤子しかかからない病気で死んだと公式に発表されるような偽装が彼を待っていたのに、こんな正しく前向きな言葉が残せたなんて、ぼくはなにかの間違いで今でもナワリヌイさんが生きていてくれることしか望んでいないのだが、それを信じたくないがゆえに死に直面して正義感を保ち続けられる「人を超越した人」について想わずにいられない。

まるで自分たちを神聖ローマ帝国だとでも思い込むレベルの千年単位の知恵的な「劣り」を抱えた、かつEUを完全支配しようとする、しかも明らかにそのような能力はないのにリーダー的能力があると思い込んだ過去に例を見ない情けない人非人の国だ。

この言葉はさらに下記のように分解できる。

  1. 不屈の精神
    逆境に負けない強い意志
    努力を持続し続ける

  2. 自由と正義の追求
    それでも自分の国を愛してあげている。正しくなれるのだと
    このままではすべての人が言論封殺され、逆らうと皆殺しにされてしまうと、同じ民族が同じ民族をぶっ殺す極めて愚かしい国家になると

  3. 個人の影響力
    死ぬのは一人の人間だが、本来たった一人の死だろうと軽んじられるべきでは決してないが、自分の死は「イベント」であるとでも残された人々に想起させるようなエンパワーメント
    つまりそのエンパワーメントととは「次につなげるための力」であり、ナワリヌイさんが残した者を引き継ぎ、社会とはいつか悪の枢軸を叩き潰せるのだということを示した

  4. 連帯と支持:社会が悪を叩き潰すために同じ考えのもと協力することで、「殺されないナワリヌイさん」をいつしかギルド単位で広げ、悪を打ち砕く可能性がある

  5. 遺産とインスピレーション:
    ナワリヌイさんは殺されてしまい、誰もこうはなりたくないだろうが、彼が正しかったことが悪にとって都合が悪かったことは公然たる事実なのだから、決してひとりにならずナワリヌイさんの思想であるかどうかを問わず、正しさをもって連帯することで誰もが生き残れる、殺されない成功体験が得られるはずだということ

また思いついたら書く。死してなお、自分が殺された事実は「自分が相手にとって都合悪いほど強大な刃」だったことを意味する。

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