緑茶低温Wonder Radar
ファンマーケティングについてよく考えるがファンマーケティングには2つあると思う。ヘッダ画像をお借りしています。
そもそもファンなんてアイドル以外につかないのに、欧米企業がナーチャリングという概念を生み出してしまい、自社商品についてまるで思想の強姦のように無理やり「教えつけ」、そんなもん買う必要がない相手を「教育する」という商品の売り方が浸透してしまった。ぼくはそれを情けなく思う。
そしてこの考え方は、めぐりめぐって本来のファン的なそれにも取り入れられている気がする。すなわちファンの統制とかコントロールみたいなことですね。ぼくはファンのことをお前らとか呼ぶ奴を基本的には信用しない。だってそんなん……さも匿名掲示板にいる一匹が注目を集めようと思ってやるそれと同じじゃないですか。価値がない。
ともすれば現代では地下アイドルかなんかがそのようにファンを呼ぶ光景とかが普通にみられるのだろうか。地下であるだけに地獄である。もちろん彼らからしたらぼくが見ているそれらも地獄なのだろうが、生身が生身をお前らと呼び、それに喜んでいる生身同士の様まで見なきゃいけないっていうのは体力が要る勝負であると思う。そこまで強火のファンでいないと成立しないと思うので恐ろしい。
お前らと呼ぶってことはあからさまに上下関係をはっきりさせたいんじゃないかな、と思う。とか言ってたら以前書いてたよ……
と思ってたけど些か論点がずれていた。ので続行します。強火のファン、思想強めのファン、自我を持つな、色々なことが叫ばれます。ぼくはそのすべてが虚しいと思う。現代のファン活が金を伴わないと成立しないように、そのファン元であるIP管理企業が促してるってことは金を払わないとファンじゃないような資本主義に基づいたフレームワークをすでに形成している可能性があり、ファンになるイコール財布の中身を吐き出させられる可能性が非常に高い。そうじゃなければこっちこないでね、と。
そんな中で自我を持つことすら許されないのであれば、もはやこれは無言財布というモノとどう違うというのか。人を、といいますかファンのことをお前と呼べてしまう程度だとさもありなんなのでしょうか。
金を遣うことがさも正しいと、遣った瞬間に相手の役に立ったみたいな自覚を下手にしてしまい、金を遣うことを気持ちいいと思ってしまうようなシステムを彼らは備えている。遣ったが最後流動的にそのシステムに組み込まれ……と言っていると陰謀論めいてくるので可能性を示唆する程度にとどめ、でもなんかそれでも気にならなかったことについて話して文を締めて終わる。
それはお前ら……とまでは行かないが(お前らという単語が提示された瞬間にぼくはそれが見えなくなるまで後ずさるので)近いような感じがあってうーん……これも避けるべきかなと思ったのだがずるずると続いたことがあった。実際、1円たりとも金を費やしてないから例外的にいいのか……とまで考えて、あれ?別のIPの何かが欲しくて買ったランダム品の中に同一がなかっただろうか、もしあったらその時点でIPナーチャリングのエコシステムにぼくも組み込まれてしまってやいないか……と思ったのだがガチで覚えていない上に、今でもそれらは確かそこらへんで売ってる気がするが、全然手を出さなくても発狂しないでいられる程度の自制心が持てている。
偶像自体が生み出したファンという概念、から生まれたファンマーケを、その偶像たちが逆輸入して取り入れている。なんか末恐ろしいことだと思ってしまうのだが気のせいか。