見出し画像

心に残るステージと心に残らない何か、残るべき何か

今日あるステージを見ていて、終わってから変わったことがあったことに気がついた。ヘッダ画像をお借りしています。

気がついた、といいますか……変わってたことを教えられて知ったというものだった。

左の人がそうですね。

ぼくは説明している通り当該ファンとかとSNSでステージとかを共有しながら見たり後で何か言い合ったりみたいなことをしないため、パブリックサーチに及んだ。

すると、ぼくなんかより重度のファンの人々(ぼくはにわかにすらなれているかどうか、怪しいところだ)でも、気づいていたり気づいていなかったり半々……といいますか、ほとんど気づいていなかったり、そういう演出だと思っていた人が大半だったように思えた。

実際変わったステージ……といいますか、試みだったのだろうと思えるのは、事前に(たぶんこのステージを定番化するために)リリースされていたCDなり配信音源は、大きなプロモーションとかは行われてはいなかったんですね。

というのも、アイドルがアイドル然としてキャピったりはしない内容だったり、中には歌い方を帰るようにプロデュースされた人もいた。上記でいえば真ん中の人がそうだった。そのため当人たちのブランディング……なのかどうかまではわからないけど、「いつもと全然違う」然とした物言いがこのステージ開催前とかCDリリース前なりにはされていた。

ぼくは別に当該違う歌い方を聴いたことがないわけではなかったので、そこまで気にはとめないでいた。しかしながらそこそこの間、たぶん明確に集大成の1枚のCD(今の所CD媒体はこの1枚だけでしょうが)がリリースされるまでは本人たちによるプロモーション配信とかも一切なくて驚いた。だからとりわけぼくは「君になりたかった」という歌をしょっちゅう聴くようにしていた。

上に挙げた彼女は狼であり、夜光通信という歌が持ち歌である。だから目の印象が変わったとて本人の特性で言い切れる気もする。

さらにこの三人のうち、舞台美術……演出とかの能力すらある右側の方がいるわけです。

彼女を含めたこの三人でリハーサルなり練習なりしてたのであれば、斯様な提案があってもおかしかないんじゃないか……と思ってしまうのは都合が良すぎだろうか。

さっきも言ったんですけど、全然プロモーションが今までのそれとは違ったわけで、なんなら歌特化型イベントでありながら歌特化型……といいますか歌ありきのタレントの起用がないとすら言えるステージだった。Irysぐらい起用してもいいんじゃないの、もしかしたら内部的には管轄が違うのかも知れないけど……昭和の企業じゃないんだし、そんな細かいことどうでもいいでしょう。

だけどそこまでして歌特化型タレントを出さなかった、つまり'18年当初とかにはまさか自分がボイトレとかダンスを毎週のように習い、なんらかの大イベントに何回も立つようになるなんて思わなかっただろう人たちで構成されたイベントとなった。タレントたちの経験、場数はたぶんこちらの想像を越えており、そのような年1とかの巨大ステージだけでなく、それぞれの個人イベントとかに呼びあったりすることでさらに練り込まれるわけです。

そんな、付け焼き刃のように見えてとても付け焼き刃じゃないタレントが見せるちょっと変わったステージという触れ込みでこのミスは面白く作用することになったのでしょう。

本人たちがどうしてもバラエティ特化型タレントであるため、印象が先行してしまうことも時にはデメリットなのかも知れない。あ、感性がちょっと自分とはずれているなと思ったタレントは追わずに、もともと別のタレントを追っていたファンが、今回全くこれまでの様相とは異なる状態でいろいろと披露したことで「目移り」が生じることすら狙いだったのかも知れない。こういう言い方はやだけどLTVの拡大ですね。

つまり、イレギュラーだったかも知れないし、アーカイブで当該演出が修正されてしまう以上、生で見てた人以外はこの感覚が味わえなくなってしまうわけだけど、上記理由からリスナーにこのような正常性バイアスが働くのは至って普通なような気がするんですね。

だから普段から言っているように、何か芸術的なものを見て、もし当人の心に何かが喚起されたのであればそれだけで貴重なのである。だから、見た人でこの演出に対し、なるほど狼だからそうなのだとか、裏テーマを感じた人がいたのであれば、その気持ちは大切にしてほしいと思います。

というとなんか関係者みたいで嫌なんだけど、全然関係ないですんで……

この記事が参加している募集

このサイト内ではいかなる場合でも返信行為をしていません。