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ポケ森日記5 現実の延長した場所にある架空の森は教育の現場で利用できるかについて

<序>

これまで、どうぶつの森ポケットキャンプの可能性について考えてきました。

その中で、もし現実世界をまるまるコピーしたような、かつ何をしても許される、簡単に復元できるようなミラーワールドがあったなら、企業や科学者が現実世界ではできなかった試行実験をいくらでも重ねられ、ひいては文化や技術、学術の発展に大きく役立つかもしれないという考えを取り上げました。

<ポケ森も「もう一つの世界」なのでは>

そういった概念の都合のいい部分をお借りするなら、いささか乱暴かもしれませんが、現実でぼくらが出来ないことが出来ている時点で、どのゲームもミラーワールド然とした佇まいを持ってぼくらの前にあるのではないかと思い至りました。

その結果が社会に貢献できるのかどうかは一旦置いておいて、です。

ポケ森は、移動におそらくキャンピングカーを収容できる船を使うんですが、ほぼ家の裏に深海魚がいくらでも捕獲できる海があり、淡水魚が無尽蔵に湧き出てくれる滝があり、魅力的な造形で空腹を誘う林檎や蜜柑がきっちり三時間ごとに生育してくれる森林があります。

ゲーム内の自由度の高さ(高低の数値をいかに設定するかはその人次第)のおかげで、現実と同じような幸福感が得られるなら、その場所は貴重な「もう一つの世界」なのかなあと考えます。

<教育の現場から考える森>

その考えに基づいて、仮に―――――ゲームはもう一つの世界なんだから尊重してください―――――と……いわゆる

・ゲーム内で得られた「もの」「こと」、
・それを体験している本人自体

をも否定してしまうのはよくないよ、ということになってしまうと、「遊んでないで宿題しなさい!」という親御さんがたのご意見と真っ向から対岸に立つ感じになってしまい、……なにか、あまりにゲームにどはまりしてしまっている人のようにも見えてしまい、表現が難しいように思えるのですが。。。

実際に、ぼくが寺子屋的な現場にいた際には、勉強の指南を欲する(あるいは強制的に保護者さんたちから欲するように諭されてその場所を訪れた)子たちに対して、アニメやゲームばっかり見ていないで少しはこの英語の問題集のここぐらいまでやってね的な言い方はついぞできませんでした

その言い方にぼくが思い至らなかったというのがでかいかもしれませんが……当時も

この子たちは自ら率先してこんなところに来たいわけもないだろうなぁ

という思いが強く、または彼女/彼らの趣味嗜好について深く掘り下げられなかった経験もあり(いま思うと、人間関係の構築のためにある程度掘り下げるべきだったかもしれません)、こういうアニメが好きで、学校から帰るとこういうことをしている、程度の情報を共有しただけで、

「あぁ本来ならこんなところにいないで、そういう趣味に没頭したいだろうな」

とか、ぼくは無意識に思っていたのかもしれません。もちろん話好きな子のペースに乗せられてしまうと全く単元が進まないから、ひとまず問題を解かせて、できたら採点してどこが駄目だったか教えるという一連の作業をこなさないとお互いの存在意義に関わるので、優先すべきはそちらでしかないという結果のもとでもありますが……

もし、親御さんたちがそういう指導を求めて寺子屋にお子さんを送り出していたのだとしたら、ぼくは意に添えていたのか不明かもしれません……が、その子たちは(未だに自分の力とは思えませんが)ある程度結果を出してくれていたようなので、今こうしてゲームで遊んだ話を人様の前で発表できるほど、ぼくは前向きに生きていられています。

<関係性の構築にポケ森>

教育の現場にてスマートフォンを持ち出して、いきなりポケ森で遊ぶなんてことは些か問題があるように思えてしまいますが、当時のぼくができなかった「話の取っ掛かり」「関係性の構築」のために応用する、ということなら、もし今同じ立場になったのであれば実現できたのかなあとここまで書いていてうっすら思いました。

特に女の子であれば、ポケ森内にある意味報酬として立ち並ぶ―――――おそらく全貌を把握するには開発側にでも回らないと不可能と思える―――――主人公・森の住人たちが着られる・自由に着せ替えできるファッション群を紹介することで、相手の興味をひきつけ、会話の話題探しには困らないように思えます(少し楽観視しすぎでしょうか……)。

もしかしたら、生徒から教える側に紹介するということすら成立するかもしれません。大人は電車で移動するため、その生活サイクルにはほぼほぼポケ森が入り込む余地があるからです。

<「ゲームで仲良くなる」という考えについて>

いま述べていることは、中学や高校の席替えとかで初めて隣になった子とかに「こういうアプリ入れてるけどやってる?」「オレよりすげーじゃん今度教えてよ」「いいやり方知ってるから教えてやるよ、今度○○が捕まえやすい公園行こうぜ(←これはポケ森の例ではないですが)」みたいに話して、仲良くなるという行為と根本は変わらないようにも思えます。

ゲームを通して人と人が仲良くなれるなら、その内容がミラーワールドであるか如何に関わらずゲームの功績といえるでしょう。現実世界での幸せを手に入れているわけなので……

あるいは現実世界で仲良くなれたなら、ミラーワールド内でも仲良くできるのかもしれません。お互いに現実←→ミラーでの「生き方」が異なる場合だと、また別かもしれませんが……(実生活の知人や友人にはSNSのアカウントを教えないというケースみたいなものですね)

<ポケ森における相互関係>

ポケ森ゲーム内では意図的にコミュニケーションが不自由に作られており、ぼくはそれがとても良いことだと思っています。相互関係が必要ではない(例:鉱山や採取系イベント)わけではないのですが、自分のためにしてくれたことが大抵の場合かなり相手のためになっているため、よくも悪くも後腐れみたいなものがない

まさに今、上述の互助的イベント「採取」とは全く異なり、自分のちから(主にログイン力)でなんとかする魚釣りのゲームが期間限定で始まったようです。概要をきちんとは見ていないのでもしかしたら全く違うかもしれませんが……

では早速その内容を確かめてきます。お読みくださりありがとうございました。


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