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映画エンド・オブ・ザ・ロード(End Of The Road)の教訓とかHAACHAMAとか

黒人女優のQueen Latifahが虐げられる映画を見ていていろんなことを考えました。ヘッダ画像をお借りしています。

教訓

簡単に述べるとぼくは普段どんな物語にも学ぶべきことはあるはずだと思っており、Queen Latifahがなまじ好きだっただけにエンド・オブ・ザ・ロードへの事前期待値が高まっててしまい

(ぼくは映画についてそれがスリラーか戦うのかヒューマンなのかみたいなジャンルすら知ってしまうことは内容ばれになり萎えるから絶対に欠片ほどの情報も仕入れません)、

その結果Queen Latifahがひどい目にばっか合うことに心が燃やされそうになりました。

でもそれなりの教訓があるはずなのでアウトプットしたい。まず前回書いたように、アメリカのPAには想像を絶するカスゴミみたいなボケハゲがいる。

思わずそのへんのインターネッターが使うような陳腐な単語で罵るだけではあまりにも足りないけど、そんな悪意に対して一生懸命ことばを考えて形容するのも人生があまりにももったいないと思えるほどのクズであるとも前回述べました。

つまりメリケンの地方には行かないほうが良いという教訓がある。

実は、意図せずしてエンド・オブ・ザ・ロードのクリティカルな内容ばれはしていないのですがこのあとクイーン・ラティファである主人公は高額な治療費をかけたにも関わらず死んでしまった夫とそれに伴い土地代が安い地域へ信じられない距離の大移動をしなければならないという重責を背負って尚、ひどいことが折り重なるように起きまくる。

赤井

また同時に、ぼくはYouTuberの赤井はあとさん(以下敬称略)のMinecraft実況を見ていまして、エンド・オブ・ザ・ロードにおけるこのもやもやとした気持ちの行き場を求めてたからかいくつかの学びを得た。

そのひとつに、映画を見た後怖くて寝れないことがあったという赤井の弁があった。

現在の赤井は大学生であり、少しずつだが確実に社会に揉まれて来ているらしい。その中でも最近ではスタバの窓際をわざわざ選んで座るような連中は単なるナルシストであり自分に酔っているんだと思っていたと話した。別にぼくは否定も肯定もできなかった。

でも、さらに最近気づいたこととして子供の頃つまりここ数年前程度の自分は余裕でナルシストであったということだった。性別が女だから、あらゆる条件下でかどわかされそうになるとか、ストーカーとかいるんじゃないかって常に思うようになってたみたいなことでした。

当時のエピソードとしてこの段落冒頭の怖い映画を見た時の話が話された。怖い映画を観たあと寝ようとしたけど、窓を開けてたら明らかに人が窓の外を行きかいこちらの様子を伺っているような音がすると。

あまりに怖くて、深夜だったけどお母さんを起こしたら風が当たる枝の音で怒られた。でも当時は、その時に怖い映画を観て、およびナルシストであり、世界にそんな悪意があるというパターンを数々観て見識を深め、知識が初めて得られたからそのような結論になってしまった。

これは映画を観たあとの読後感として確かにその通りだと思えました。映画というメディアに触れるのは何歳からだって構わないとぼくは思いますが、映画の中で展開されるのって一生行かないような国の文化だったりすることが多く、初めての知識が集積されることになる。

ホラーでも、潜入とか頭脳戦とか何らか戦うんでも、味方側が圧倒的な物量なり激強(げきつよ)手段なりを用いることはまずなく、それらはまず敵側が仕掛けてくる。それも物語を面白くするために画期的な方法だったりする。そしてぼくらは映画を観た後に、「ぼくが知らない場所の社会には、このような悪意が存在してしまうのか。知らなかったら(知っていたとしても)対応するすべもなくやられてしまうだろう」とか思う。

つまりそのような衝撃的な映画を観た後は、それまで世の中に対して、自分へ向けて放たれる悪意の種類についてあまりにも知見不足であったことを思い知らされることになる。

そしてエンド・オブ・ザ・ロードも、そのような示唆に富みすぎていた。あらゆる未知の悪意がクイーン・ラティファに襲いかかる。薬漬けまみれの貧乏ハゲだらけが住む集落みたいのが存在したり、保安官が地下に〇〇だったりとか。

このように、常に映画は人生を豊かにしてくれるものだと思うのでした。

ところで赤井さんは一人称がはあちゃまの時に赤井はあとではなくはあちゃま呼ばわりしなければならないみたいな決まり事があるっぽいんですが便宜上赤井さんと呼ばせていただきます。

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