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もち麦を食う色(ルックバックの感想)

※内容ばれには最大限配慮しているつもりではありますが、万が一ということもありますのでご注意ください。

チェンソーマンという漫画が好きで何回か感想を書いていました。

たまたま先週終わりぐらいに何故か最後まで読みたくなって、上記のように途中まで読んでいた状態だったのを残りの数冊一気に消費しました。

なんで読みたくなったのか理由はわかりません。ぼくは特に8巻の異常事態が好きといいますか異常事態なだけに、なのか異常に惹かれてしまい、何度も読んでしまいます。

一番最初の始まり方からして、悲しい終わり方をするんだろうなと思っていましたが、その終わり方には非常に納得といいますか満足できた。

どのような形で続きが書かれるのか全く予想がつかない状態でいます。別に想像したって仕方がない部分でもあるとは思っています。同じ人々が出てこないかも知れない。後でいきなり出てきたりするのかも。

ルックバック

という前提があって日々を過ごしていたら、いきなり作者の藤本タツキさんがルックバックという新しい話を書いてしまった。無料で読めます。

自身が漫画を職の業としていて、題材もそれに親しいとなると私小説のように生活を切り売りするような痛みを伴うものとなりがちなのだろうかと考えましたが、読み終わった後は割と杞憂だと思うようになりました。

藤本さんは、頭の中に絵コンテがあって、それを出力するための――――――あるいは、頭の中で話が思いつくのと同時に絵コンテ内の構図だか割り振り的なものが自動的に描写される――――――内部機関を持っている人であるとぼくは思っています。

思っています、といいますかチェンソーマンを11巻まで読み終えて、ああこの人は間違いなく映画監督になるための技術を持ち合わせているけど、映画なんて創ることになってしまったらとても漫画が書けないし、できる技術は持ち合わせているけどやらない人なんだ、その技術は紙面で出力する人なんだと思えました。

漫画の自己紹介欄にも何の映画が好きかしか書いていないほど恐らく映画が好きで好きで仕方ないのでしょう。

ルックバックの藤野

チェンソーマンにはパワーという最終章以外はまるで好感が持てない悪魔(魔人?)がいました。あくまでぼくの主観です。嘘とか虚言癖みたいな現象に抵抗があった。

ルックバックの主人公は、作者の方が持っている性格サンプルの中でパワーに相当する部分が抽出されて動かされているように思えました。虚言癖といいますか……嘘をとりあえず言ってしまって、後から実現させるために死にそうなほど努力する。苦しいとわかっていてもやめられない。

少なくとも幼少時代の藤野がそうだと思えました。パワーも魔人であり、つまり外見的に相当する人間然とした相応しい行動は一切取らない。人間としての理に慣れていない、子供のようである。

この藤野が小学校中学年から大卒ぐらいまで生きていく様を見て、同じように藤本氏も回遊魚のように止まってはいられないのだろうと思わされました。止まっていられるのなら読み切りを150ページも書けない。

チェンソーマンの続きというかなりでかめなタスクが控えているにも関わらずです。もちろんそれを片付けなきゃならない義務などなく、好きにこうして読み切りが書けるということは、いま自由に何でも書ける環境にいられているのだなぁという証左でもあるでしょう。

余談

ここからは手前味噌といいますか手前蜃気楼的な何の意味もない自分語りのようなものであり流してもらって良いのですが、ルックバックを読み終わってそういえば子供の頃に創った歌で少し評判が良かった歌の中にLooking backという英語が出てきたなぁということを思い出しました。

他の部分がすべて日本語なのに、唐突に英語を使って気取ってんなと思うのですがあまり滑舌もよくないしどうせ小さなライブハウスのステージで歌ってれば歌詞なんて聴き取れるわけもないと思って使ったのでしょう。また題名も英語だった。

今回、漫画を読んでなんとなくその歌を思い出していたら、Look Backという部分以外にも相似性があって何か感じるものがありました。

look backとは
振り返って見る、(…を)回顧する、追憶する、しりごみする、うまくいかなくなる、後退する

https://ejje.weblio.jp/content/look+back

この漫画は今日リリースされたばかりなので当然この漫画を題材としたわけではなく、ぼくが子供の頃なため10何年も前です。過去がいきなり現在につながってくるなんていう絶対に不可能なことも思いいる部分でありました。

また、あるコンポーザが若い頃に歌を創る時に意識していたことは「死とセックス」だけであるというようなインタビューを読み、ぼくは子供の頃に衝撃を受けた事がありました。

思えばチェンソーマンのテーマのひとつも死とセックスであるように思います。少年誌であるため死の描写しかありませんし、ルックバックも況やという感じではありますが多くは語りづらい。

当時、ぼくが創った歌の雰囲気はスピッツの夢追い虫を少しだけおとなしくした感じで、

やはりメジャーコードが基本なんですが、子供の頃ということで天の邪鬼に歌の内容は物悲しいものに振ってやろうとか思っていたのだと思います。安易な恋愛を歌うのでなければ多分何でも良かった。

感情がありそうで何も考えていないアルペジオで始まり、ほぼ全楽器鳴らされながら大部分が演奏されます。

アルペジオ・イントロ・Aメロ・Bメロ・Cメロ・コーラス・イントロ・Aメロ・Bメロ・Cメロ・間奏(A+B+C)・コーラス(アルペジオのみ)・間奏(コーラス)・最終コーラス・アウト・アルペジオ

という恐ろしく長い構成になっていて、まともに演奏すると7分、作者がハイになった遅いテンポで演奏すると8分かかります。その……当時の、リードギターが上手い友達に間奏部分をとても任せたかったのだと思います。

クリスマスに書き終わった、歌を創り始めてから99番目の歌だったという立ち位置も手伝って覚えていたのかも知れません。

1
踊れなくてこぼれていったそれを放り投げて 向こう側へ
目を曇らして去った子飼いの俺を馬鹿にしてんだ

「夏が戻る夢を見た 私はそれで音もなく目覚めた
泳いでいた子供たちは 私を見て 音もなく笑いあう」

2つ 大きな オーバーホールの波間を目指してる
焦った俺は唾液を飲み込んだ

カスタネットを開いて床に叩きつけた
よかった きみはもう降りられない船の上
いつかきみを浮かべながら汚していた
Looking back. 日は当たり前に上がっている 息は白い

鳥が鳴く 空が目を醒ます前の青さで声になった
ここから 出鱈目に羽織ってきたきみがいて 少し黙っていた
少し黙っていた

2
綴った日を胸に留めては知らんふりをして目の前で跳ねても
戻れなかった 笑うふりもしたけど無理だった

まだ醒めない空で俺を呼ぶの
まだ「少しぐらい」って開き直るの

星がネットの向こうで明日を讃えている
秋のような真冬に枯れた菜の花
風になった花束と死んだ友達と天使の左手とビルの形

ここから 手を離したままで振り返りもしなかった
そこからは最後の雨の日が続くと少し思っている
少し思っている

鳥が鳴く 空が目を醒ます前の青さで声になった
ここから 出鱈目に羽織ってきたきみがいて 少し黙っている

~部分は、一番だけありがちなAメロの繰り返しなのですがどうしても思い出せない。

2021/07/19追記↑思い出せました。

しかしながら他の部分をこうして覚えているだけでも何かあるのかも知れない。ぼくは大抵創った歌の言葉がスタジオで急に恥ずかしくなったり歌いづらかったりと必ず直していましたが、この歌についてはほぼ直していなかった。

……「俺」を「僕」あたりに変えれば藤野か京本の心情を表した歌に………ならないでしょうか。とにかく……大変な漫画でした。

お読みくださりありがとうございました。

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