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物語との向き合い方について

ヘッダ画像をサイト内機能でお借りしています。ぼくは「同志少女よ敵を撃て」を読んでいないんですが、作者さんのインタビューを見ました。

めちゃくちゃ大変な胸中だと思ってますが、簡単に言えば傷つくことは厭わず説明責任(別に責任はないでしょうが)みたいなものを果たすために矢面に立つつもりでその場に現れたように見えた。


ラノベじゃなかった

同志少女よ敵を撃ての作者さんがメディアに出た理由は本屋大賞のためでした。ぼくは2021年終わりか22年始めに何かの折に本があることを知っていましたが、表紙の少女が可愛らしいためラノベかと思っていた。

表紙の絵は二次元の女の子です。出版は別にそういう企業からではなかった。だから始めはなんとかになろうとかアルファポリスとかから出たライトノヴェルであろうと信じて疑わなかった。

で別に偏見もない。ラヰトノヴェルこそまともに読んだことがありませんが二次元の異性に対して情動の意を寄せられる感覚はある一定の水準まで進行した文明に許される感覚的文化であると思います。ぼくも何の抵抗もない。傍から見たら偶像崇拝でしょうけども

メディアに出るな=後から付け足すな

ぼくは「作者の人となり」とか「思想」を知ってしまうことはその人が書いた本を読む上での「不要な予備知識」や「色眼鏡」を持ってしまう意味を持っており、イコール損失だと思っているので、いわゆるよく喋る系の著者は全面的に信用していない。

信用と言っても「どうせ金を貸しても返してくれへんやろ」的な信用ではなく、「著作で言いたいことがあるなら著作で全部言いきればいいものを、それをしない(=本外で本の意味性をわちゃわちゃ付け足す)から、本だけ読んだのでは本を読んだ意味がなくなるかも知れない」という意味での信用です。

本を読んでも実は違う意味があるんですよ~みたいな後出しをされるかも知れない。「ファンの間ではそこまで知っていてこそ読者だ」みたいなどろどろした内集団バイアスが醸造されるネットワークを善しとする人間かも知れない。

もちろん物語をどう受け取るかを人と比べること自体があんま意味ないですし、そんなこと気にしなきゃいいのかも知れません。

全く関係ないことのために出るんならいいのかも知れません。ぼくはカンブリア宮殿を見ますが、村上龍に対して上記のような思いを…………………抱いたことがなかったような気がしてましたが……………ほとんど彼の話を読んだことがなかったからかも知れない。いま新たに村上龍の話を読んだり、一度読んだ限りなくなんたらかんらたーズみたいなのを読んだら見方が変わってしまうのか……

同志少女よ敵を撃ての作者さんに対してはまだ上記のいずれの気持ちも抱いていません。単にまだ読んでないためでした。

で彼ですが矢面というか話さなきゃいけないんだなと自分でも言ってましたがそれについてまた次回。良い週末をお過ごしください。

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