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服屋のチルR&Bが気になりすぎて服を買いに行けない2

服屋に行けない理由を健康面とBGM面から考えています。ヘッダ画像をお借りしています。

前回は健康面から春に安易に出かけることの危うさを考えた。

https://note.com/fuuke/n/n57af74846f27

今回は変な面から考える。すなわち服屋でかかっている歌です。

チルR&Bとは?

で毎年そう言うこと書いてんじゃないの?と思って自分の文を見返しに行くと

5月にはなかったけど、その前の月に見つかった。趣味のクロスで走ってたら熱が籠もったのか身体がやられた。つまり一年後のぼくはひとつきだけ寒暖差を乗り切ったといえるのだろうか?あるいは速攻で一年前の寒暖差に太刀打ちできなかった?

また5月はそうでもないけど6月はかなり文化に触れ合っていたことがわかった。なんでだよ

チルR&Bとは例えば以前も挙げましたがN.E.R.Dに見られるR&Bですね。

上記で挙げたN.E.R.DのWonderful placeはチルというよりはチル過ぎてチルを感じる以前に寝る勢いの歌だとぼくは思ってるんですが、同じEPから選ぶとするならDon't Worry About ItやFly or DieやBreakout……BreakoutはワンダフルプレイスLvの眠さかも知れない。Thrasherも良い。The Way She Dancesまで行くとR&Bにしてはメロディアス過ぎるだろうか。

RadioheadのNo SurprisesやGorillazのRe Hashなんかもぼくの中ではチルR&B(チルR&R)なんだけど、前者は実は歌詞がいかれてたりするので英語圏や英語話者にはお聞かせしづらい。そして今回の命題である服屋では流れそうにない。

服屋でかかっているR&Bはなぜあそこまで良いのだろうか。しかしながら徹底的に消費材として扱われていることが恐るべきである。これは以前、解散前のBLANKEY JET CITYにおけるベーシストの照井利幸が言った、歌を単なるBGMとしてしか思わない層が発現しうる現代社会がただ悲しいといった事象に連なるでしょうか。

しかしながら服屋のR&Bとは、単純に消費のためにあらねばならないんじゃないかという側面もある。知ってる歌がかかると衣服選択に集中できなくなる。別にこれがぼくだけの問題ならいいんだけど、知ってる歌がかかると何か知らないが責任感みたいなものが生まれてしまう。

別にその歌はその人達が好きで自分の責任においてリリースしているんだから、その歌に責任など感じるほうが烏滸がましい。

ぼくはもしかしたら照井利幸に逆らってしまうような、BGMとして消費できる歌を探してしまっているのかも知れない。それだけ今まで聴いたひとつひとつの歌に対してしっかりとコミットメントを持ってしまっていたのかも知れない。

さらっと流せる歌を聴くようになりたかったのでしょう。その需要に対して服屋のBGMはあまりにも適しすぎていた。

すると服屋にいながらにしてBGMを買い求めたくなってしまう。これは服屋にいる意味が見いだせなくなってしまう現象を引き起こす。こんな事している場合じゃないんじゃないか、と。そんな状態で服を選択できるのだろうかいまいち自信がない。

そこで前回書いたMIZUNOとかある程度事前の信頼が高い製品に目が行くわけです。

だから一枚だけ店に行かずに上着買っちゃったんですけど。

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