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パラサイトの見(み)から1年程度経ったから再度見たら書かれる感想

ぼくは最近こそ映画を異様な数見ていますが(2021後半~今までで35ぐらい)、パラサイトが民間放映されるようになって初めて見て、2019~2021前半とかまではどぼぢで生ぎでいるのおぉおぉおおというぐらい映画の見(み)に楽しみを見いだせていなかったため、パラサイトにどさっとやられて当時もnoteを書いています。ヘッダ写真をお借りします。

ぼくは映画の感想を漁るという行為は意味不明なところがあったときぐらいしかしないのですが、パラサイトの見から1年たって有名所の感想みたいなものを見たら驚かされるものがありました。

それは映画の中では富裕層、そうでないものがくっきりと分けられて書かれているものの、それぞれがお互いを貶し合わない、見下さない、尊重しているというものでした。

ぼくはイカゲームとかも含めて、観光映画の構成についてある特徴があると思っています。

それは記号がはっきりしているということ。折しもこの前ジョン・ウィック2を見たら、その記号的役割があまりにも見えすぎてしまってなにか1を見たときとは比べ物にならない感があったという話もいたしました。

イカゲーでも善人がいて(善人じゃないかも知れませんが言い過ぎると内容のばらしにつながるので)、善人のロジックは理解しているが悪人にならないと事態が終わらないと分析する中間層がいて、わかりやすい悪人がいて、メタ上位次元とでもいいますかその辺りには善悪とか越えた位置で自らの意志を追求するだけという奴、みたいに役割(キャラクターとしてのではなく、勢力図としてのもの)がはっきり分かれていた。

でパラサイトでもそう。上記ぼくがどこかで見たブログ(パラサイト 敬意 とか パラサイト 見下し とかで検索していただければ見つかると思います。とにかくお借りしたご意見だということを明記しておきたい)にもありましたが、富裕層、貧困層、貧困とか以前の層、みたいなレイヤーがあります。

ぼくの言い方に直させていただくと支配層、被支配層、被支配層に支配されている層、というレイヤーになる。主役のギテクはこの真ん中にいますね。

このように韓国映画は舞台装置が非常にわかりやすい。言うなればそんなんワイだって思いつくわ~~みたいに思えるのかも知れませんが、カンヌだの何だのを貰えるのはそれよりさらに進んだ技術とか見せ方にあるのでしょう。

ともあれパラサイトはお互いがお互いに敬意を払い、その存在を尊重していることに特徴がありますが、パラサイトが変なコメディ映画だなという感想を誰もが持っていない理由となるシーンがパラサイトにはありますね。

そちらを踏まえてまた明日……今日はいい夢を見ましょう。


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