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後世消える言葉大賞No.3に「曜日感覚」が選ばれました

これはぼくが勝手に創造・設定した賞です。ヘッダ画像をお借りしています。

第一回はコロナ太りで、次は同性カップルでした。ではまず、「曜日感覚」という単語が持つ側面について解説しましょう。

曜日感覚、とはかつてぼくが所属していたコミュニティにおいて(ろくなコミュニティじゃない)主に侮蔑用の武器として使われていました。

つまり正常に社会参画しているやつと、そうでないやつを分断する言葉だ。働いていない人は、毎日同じ平日であり休日だと思っていると見做される

これって「分断したい側」の勝手な都合なわけです。「働いていない人は曜日感覚なんて持ってへんやろw」「曜日感覚がわかっとらんやつは働いとらん奴やから、けなしたるw」みたいな図式を成り立たせるために、例えば連休の月曜日が休みであることを知らずに平日みたいな感覚で過ごしている風を見せた人を見つけ次第、猛烈にぶっ叩く。その行為に何の意味があるのか……

斯くして曜日感覚を持ち合わせているかどうかは、ある一定の条件下のコミュニティにおいて、働けていない弱者をあぶり出すツールと化してしまったようではありましたが、この「とにかくコミュニティに分断を持ち込みたい層」にとっての伝家の宝刀は三日天下と成り下がりました。

つまりはコロナが来襲したことにあります。コロナは曜日感覚なんて消し飛ばした。もはやリモートワークは常識となり、果たして俺はいま何曜日におるのやら……という気持ちで働く人が続出した。

皮肉なことに、曜日感覚を失わない層もいた。それはいわゆる家事手伝いの人とか、主夫(主婦)とか、既に現役を引退した世代。その辺りの方々が曜日感覚を失わなかった理由はひとえに廃棄物処理にあります。

廃棄物とは特定の曜日にしか廃棄できない。それ以外の日に出してしまえば報いを受けるクラスのデリケートなイヴェントなのです。つまり、廃棄物に関わる人は絶対に曜日感覚を失わなかったはずだ。

言ってしまえばコロナ前からそうだった。廃棄物を回収する人々もそうだったし、廃棄物処理に関わる人とはエッセンシャルワーカーであるため多くのエッセンシャルワーカーも曜日感覚を失うことはなかったはずだというのは強引だろうか。

つまり現代において、曜日感覚があろうとなかろうとどうでも良いわけです。

どうでもよい言葉が残り続けることはないだろう。といっても残るような気はするんだけど……

それは経団連をはじめとしてリモートワーカーをエッセンシャルワーカーのように現場に引き戻そうとする動きがめっちゃ活発だから。

経営者といいますか雇用主は、てめえの目が届くところに人員を置いておかないと相手が本当に自分のために働いているかの信用すらできなくなる弱き生き物なのです。


リモートでことが済むなら、現場に人を呼び戻すというコストのかかる行為などしない・させないはずだ。通勤は人1人の可処分時間を奪い取る悪行だ。

果たしてリモートで働く人は曜日感覚など失ってしまった。曜日感覚で人をけなすことなど意味がないし、できない。強いていえば曜日感覚で人をけなす人の底の浅さが露呈する程度だろうか?

あるいは本文の内容を鑑みると、曜日感覚がない人は自分で廃棄物を捨ててないことになりますが……一人暮らしじゃなければそれもありえる。

あるいは経団連など経営者側の都合がこれからもまかり通ってしまうのであれば、その鍛えられた曜日感覚で出勤のついでに廃棄物ぐらい処理してるんだろうな、みたいに捉えることもできるけど別にぼくは何かをけなしたり攻撃したい気持ちはない。せいぜい経営者は立派な曜日感覚をお持ちでいらっしゃるだろうから、家族に廃棄物など任せず自分で処理してるんだよな?と思うぐらいです。

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