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体験談 どうゆう経緯で無職になったか

 どのような経緯で無職になったか、2015年までの経緯と無職になってからのことなどを簡単に書いていきたいと思います。

1. 生い立ちから2005年頃まで


 社会からドロップアウトし、無職の状態になっていました。今現在は簡単に働ける場所があり、少し精神的環境が悪い状態もありますが、回復にむかているのかなと感じています。無職になった理由として、どう考えてもストレスなどで体調が悪いといった自覚があったためですが、そもそもどういう経緯で、こうなったかを、生い立ちなどから、悪循環のキッカケとなった出来事などを書いていきたいと思います。

 家は中流階級で、ある程度の地位はある家に生まれました。めちゃくちゃ高い地位というほどデモもないのですが、世間一般から見ると裕福な家庭立ったのかなと思います。ただ一生困らないほどの財産があるわけでもなく、働かないとやっていけない状態でもあります。健康状態を戻し、再起を目指している状態でもあります。

 家庭環境に関しては、真面目で、遊びが少ない親でもありました。今の言葉で言うと、毒親、モラハラ気質のある親でもあり、家がリラックスできる場ではなかった点が、現在の無職になり、悩むきっかけにはなっているのかなと思います。その中で、鬱状態につながるような習慣、考え方に繋がって行ったのかなと考えています。

 ただ親の世代は、まだまだ戦後の混乱の中を生きてきた世代でもあり、現代のような恵まれた社会で生きておらず、異なる感覚で生きてきた世代でもあります。人間全てが恵まれるわけではないので、正直、ちゃんと育ててくれたらといった気持ちや文句はありますが、自分で今の環境を改善することに重点を置いて、親に当たる気も少なくなります。貧乏で彷徨っている人というのもたくさんいると思うし、現在の境遇が全て親のせいだけないかなと思う節もあります。

 実際親に対するわだかまりもありますが、居心地がいい点もあったり、正直複雑な気持ちでもあります。今は、自分で改善していくことに集中しています。実際に、原因を探る中で、体質が原因になっているなと思う点もありますし、悪い生活習慣のきっかけになっている部分もあります。

 2005年頃までは、大学卒業前後にあたります。普通と言っていいかわからないですが、中高は、受験を頑張り、クラブ活動などを行っていました。ただ、家に帰れば、会話も少なく一人で部屋にいるなどが多い生活でしたが、朝になれば学校に行ってというある程度のサイクルができてので、表面上は問題なく生活できていました。

 ただ、少し成長、社会に出ていくと言ったこと考えた場合、不安が募ったり、人間関係に悩み出したりと、少しずつマイナス要素はありました。この点、親といても問題の解決にもならず、徐々に不安要素が膨らんで行った感じです。

 今の境遇に一番大きく関係している出来事としては、社会に出て成長していくといった中で、大学時代に、あまり合っていなかった親との距離が取りずらかった点があります。大学に入ってから、分け合ってより家族の大きな環境の変化により、身近な存在になってしまったのが原因でした。

 このような状況で、社会に出ていく過程での不安、わだかまりがうまく整理しにくいような状態になり、最終的に大学のゼミでうまく通えなくなった点があります。親のせいにするわけではないですが、ストレスが溜まりやすい私生活で気持ちの整理がつきにくくなり、ゼミを休みがちになりました。この時、就活をする余裕も少なくなりペースが乱れ、ストレスが多くなっていた記憶があります。

大学にゼミに通いにくいなった時に一度心療内科に受診し、うつ状態であると診断され薬を処方されました。その時は医者との相性が良くなかったのか、薬飲んで休んでと結構軽い対応に感じ、医者はこんなものかと思い足が遠のいて行った記憶があります。

 すぐに就職といった状態ではなくなってしまい、結果的に家族関係の会社に入ることになりました。ストレスが溜まったまま、別の世界に飛び込む余裕がなくなっていました。


2. 2005年頃から2015年まで

 就職をしたものの、コネ入社のようなものでもあり、立場を気にする環境に入ってしまいました。わだかまりやストレスがある状態で仕事をする環境になっていました。

 あまり周りに不平を言う権利もなかったのですが、会社の中でもいわゆる左遷場所のようなところであり、余計にストレスがたまる環境でした。なんとか仕事関係は進めていました。コネ入社のような物だったので、何か貢献しなければといったプレッシャーの中、頑張る状態になっていました。

左遷場所のようなところでもありましがた、自由度はあり評価さえるような結果にもたどり着いたこともあります。一方で、社会人経験とシては中途半端でそこでしか通用しないような状態でもあり、将来に不安を抱えた状態で生活していました。モラハラの親の関係で入ってしまった会社でもあり、親の周りも正直、まともな人間が集まっていなかったと言うのも初めて知り、一部のスタッフからはあまり評価されることもなく、ストレスの原因にもなっていました。

 別の記事にも書きますが、このような中で、悪習慣が拍車をかけ、神経過敏、結果的に健康を害し、人間関係も正常な関係も少なく、離職を選択せざるを得なくなっていきました。仕事上認めてもらっていた方などもいましたが、イライラやギスギスした感覚、ストレスが溜まっている状態が、抜けず気分転換といったことをしても、解決しないといった悪循環に陥っており、健康上何かおかしいという自覚症状があり、離職を選択しました。少し気にかけてくれた人もいましたが精神的ににも肉体的に無理を感じる瞬間もあり無職を選んだ気がします。

3. 2015年から現在まで

 2015年5月に離職後、体調回復のために病院に通ったり、趣味的なことを始めたりと、自分なりの改善法を模索してきました。やってみたかった趣味的なことを始めることで、少し精神的に楽になりましたが、根本的な解決にはならなかったです。また同時に病院にも通い始める生活になりました。

 病院は、先にも書きましたが心療内科に対する不信感があり通わず、自覚症状があるところ、ここが悪いのかなと自分で考えられる部分を挙げて、ストレスによる腹痛であれば内科、頬に違和感があるので耳鼻科、ストレスで体が硬くなっているので整体、マッサージなど、色々と自己流で病院に行っては反応を見て回復に努めました。心療内科精神科などの薬は、使わずに色々と自分なりに原因を探ってきました。ただ、今から考えると、相談相手として心療内科には通っておけばと少し後悔しています。無職の中で、精神的な不安も大きくなんとか頑張っていた気がします。無理せずに、心療内科には通った方がいいのかなと考えています。特に、薬自体昔に比べて、発展している場合もあり、偏見を捨てた方が良いかなと考えています。

無職になって、趣味的なことや病院に通ったり、次の仕事のことを考えたり、社会的には3年は宙ぶらりんな時間を過ごして、なんとか貯金に頼っていました。家がある程度経済的にはゆとりがあったのでなんとかやっていけましたが、一生問題ないほどでもないので、正直、3-4年立っても健康状態が完全には戻らず、かなり不安な状態にはなっていました。離職した後、ストレス発散すれば健康状態が戻るのではと考えており、三年以内には健康状態が戻るだろうと言う目測があったのですが、思ったよりも悪くなっている部分がありました。

 貯金も底をつきかけ、体調も少し改善していたため簡単に働く場所を見つけたりしていました。完全に良くなっていたわけではないので、パワハラ、無職に対する軽蔑など人間関係に振り回されたり、就職離職を二回経験しました。この一年(2022年)は、一時的な社会復帰に成功しているかなと思います。また大きな原因にこの一年気がつくことができ、自分に合う薬に出会うことができ、完全な回復に向けて試行錯誤している段階かなと考えています。

 何が悪くて、どうやって改善、現状維持をしているかなどこの7−8年で見つけた、不健康状態の原因をこのnoteに書いていきたいと思っています。正直、苦しみながら不安のかなで見つけた原因や自己流の改善方法でもあるので有料記事にはなっていますが、自分の苦しい経験が誰かの役に立てればという思いもあります。

 体験談を書く中で、改めて自分の不健康の原因を探っていくと、2010年以降、うつ病との関連性が指摘されている病気もありました。web上の情報としては、まだ少ない情報かなと思っています。それに、自分が気づいた悪習慣は、正直普通に誰でも小さい頃に取り組む基本的なものを、きっちり取り組まなかった習慣が影響している部分もあります。

うつ病などの精神疾患、不健康、生活苦の人にどれだけ役立てるかわからないです。直接読んでも、頭に入ってこない、正常な判断ができなければ、そのままになってしまうかもとも考えています。読んで欲しいなと思う人は、全てで、健康状態を崩して、ドロップアウトしたくない人や当事者以外の人で家族や友人の人にも読んでもらえればと考えています。僕の経験が、巡り巡って誰かの役に立てることを願っています。

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