告知と安堵・読めるものが書けるならほんとうによかった(日記)

 日記を書く。
 今日はnote以外で掲載していただくエッセイの手直しをしていた。短いものだが、投稿していたエッセイがいくつか掲載していただけることになったのだ。
 すでに掲載されたものが2本あるので貼っておく。いずれも『かがみよかがみ』というサイトで読めるのでよかったらご確認いただけると嬉しい。

そんなに言うならまずは広告をマッチングしてみろ

 こちらは「結婚、どう思う?」という募集テーマで書いたもの。はじめはこのテーマの募集広告すら、アプリの宣伝だと思っていらいらしたのは秘密である。

美少女がほめてくれたチャーハンについて

 こちらは「私を変えたひとこと」のテーマに寄せたもの。
 変えたというにはささやかに思われるかもしれないが、同じ料理を作るたびに思い出すようになったのだから、それは多大なる影響である。

 このほかにもう少し掲載予定のものがあるので、載せていただいたら再度お知らせしようと思う。1本目のときに照れくさくて(いまも照れくさいが)リンクを貼れなかったのは、これも秘密である。

やっと私は安心して「文章が下手ではない」と思える

 実のところ、編集者さんだとか選考委員の方だとかなんでもいいのだが、ある一定の「文章を書くことをお仕事にしている方」に「お仕事上の立場」から文章を読んでいただくというのは、ほとんど初めてである。あまつさえ採用していただくなど本当に初めてである。
 応募したのも初めてだったが。

 私はとにかく「読みにくい」と言われたことがトラウマの人間だ(以前書いたエッセイに詳しい)。
 趣味で創作活動はしていた(いまもしている)が、趣味の似通った仲間内で共有するのが主だったから、文脈を共有している同士でのやりとりになる。必要以上の説明をしなくとも(良くも悪くも)意図が伝わるので、だからこそ喜んでもらうこともできる一方、そこから「一歩外に出れば私は何も書けない人間なのかも」という気持ちがずっとぬぐえなかった。

(誓って言うけれど、決して共通の趣味の友人にほめてもらったことを軽んじているわけではないし、そこでほめて貰えなかったら私はずっとずっと昔に文章を読むのも書くのも辞めたと思う。今だって私の日記にいいねを押してくださる人がいることで寿命が延びている。)

 だから、同じ趣味でもない人を相手に(とはいえ『かがみよかがみ』は18~29歳女性の投稿に限っているから、多少はバックボーンが近いかもしれないけれど)、私の文章が出されても、問題なく伝わるのだと分かったことがなにより嬉しかった。
 私は、文章を書くことができるらしいのだ。
 とびぬけて優れているかといえば、もっともっと優れたる人が世の中にはごまんといるからまったく大したことはないが、少なくとも人に伝わるように書くことができる。
 読みやすく書くことができる。
 どこかでセーラームーンの話を読みやすいと言ってくださった方ありがとう。泣きました。
 明日からももう少しだけ頑張ってみようと思う。なお、この記事が、うっかり中途半端な状態で投稿した上で修正をかけているモノなのは本当に秘密である。

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